ⅩⅣ 真の「世界」(2)
「グルルルルル……」
倒れ伏した宍戸は手負いの獣よろしく苦しそうな唸り声をあげるだけで、そのままぴくりとも動かなくなってしまう。
「こ、今度はどうしたの?」
「限界が来たんだ。
思わず尋ねてしまう零に久郎は短くそう答えると、動けない宍戸の傍まで歩み寄って、彼の頭部から乱暴にフードと仮面を奪い取ってしまう。
「ガルルルルル…」
「ああ、これで狂犬ともおさらばだ!」
そして、真っ赤に血走った猛獣の如き彼の眼の前で、地面に落したその黒い犬面を、重そうなエンジニアブーツで容赦なくバキン! …と踏んづけてかち割った。
「……ハッ! ……くっ…か、体が動かん……なぜだ? 我はいったい……」
すると、久郎のそのパフォーマンスによって暗示が解けたのか? 宍戸は意識を取り戻し、なぜか指一つ動かせなくなっている自分の肉体を訝しむ。
「骨と腱が逝ったな……当然の報いだ。
そんな宍戸を久郎は冷淡な眼で見下ろしながら、彼の体に起きた現象についてまた親切にも説明してやる。
「加えて、俺はこの地の〝地霊〟と意識を通じ合わせることで体育館の構造を隅々まで理解し、貴様の体に効率よく負荷がかかるよう逃げ回った。ついでに因果が速やかに応報されるよう、潜在意識的にも願いながらな……つまり、すべては因果のなせる業。俺はこの世界の理を味方につけただけのことだ……そう。これこそが真のカテゴリ〝
「か、カテゴリ〝
その言葉に、宍戸は驚きの表情で首だけを動かして久郎を見上げると、譫言のようにそう呟く。
「……そうか。通りでこの力量……だが、なぜだ? 歳もほぼ変わらぬというのに…いや、貴様の方が歳下だというのに、どうして我すら到達していない境地に貴様だけが……」
「変わらぬ……か。ま、生きた時間がほぼ同じでも、俺
すべてを納得したというように抗うことを諦めた眼をし、だが、新たに浮かんだ大きな疑問に眉根を寄せて宍戸が尋ねると、久郎はどこか遠くを見つめながら、その理由をおもむろに語り始める。
「むかしむかし、あるところに、とても貧しい一軒の家があり、小さな男の子が両親と三人で慎ましく暮らしていました。家は貧乏で食べるものにも困る生活でしたが、お父さんもお母さんもその子も大変に信心深く、毎日、神さまに幸せになれるよう熱心にお祈りをして、なけなしのお金もすべて神さまの化身である教主さまのために捧げていました」
「むかしむかし? ……って、いったい……」
少し離れた位置で二人の会話を聞いていた零は、突然始まったその昔話に怪訝な顔をして小首を傾げる。
「ですが、どんなに神さまに祈っても、どんなにお金を捧げても、一向にその家族は生活苦から抜け出すことができませんでした。それどころか彼が小六の春、その人並み以下の生活がたたったのか両親は体を壊し、貧困に苦しみながら呆気なく天に召されてしまいました。そこで、彼は子供ながらに気づいたのです……両親が悪徳なカルト教団に騙されていたのだと」
「………………」
一方、宍戸は黙って久郎を見上げたまま、じっと話に耳を傾けている。
「また〝神〟という存在に対する嘘も悟った男の子は、すべてを奪ったこの世界への復讐のため、まずは教団を潰そうとその本部を焼き討ちにしました。ところが、燃え盛る本部の巨大な神殿の中、教主を殺すべく捜し回っていた男の子は、偶然にも同じく教団を潰すために乗り込んでいた一人の魔術師に出逢いました……襟羽黎彌という名の魔術師に」
「襟羽……黎彌……だと?」
不意に出てきたそのよく知る名に、宍戸は目を細めると俄かに色めき立つ。
「他に身寄りもなかったその男の子はそれが縁で襟羽に拾われ、彼の内弟子としてともに暮らすようになりました。ところが、一見親切に思えたその男も、じつはカルト教団の教主以上に人でなしのクソ野郎だったのです……」
そんな宍戸の反応に気づいているのか? 久郎はさらに淡々とした口調で、その調子とは裏腹な凄まじい内容の昔話を続ける。
「襟羽は魔術的な実験として、魔術師に最適な人格を造り出して男の子に埋め込み、男の子本来の意識は世を欺くための表のダミー人格へと追いやりました。そして、その二つの魂を宿した男の子を実験動物かサーカスの猛獣の如く厳しく調教し、自身に匹敵する強力な魔術師へと育てあげました。そんな人を人とも思わぬ英才教育のおかげで男の子は、ついには襟羽黎彌と同じ〝因果応報〟の世界観を獲得し、最高位であるカテゴリ〝
「それって……もしかして、アリスちゃんの……」
最初はきょとんとした顔で耳を傾けていた零も、その昔話が意味するところをようやくにして理解し、久郎の抱えていた重すぎる過去に大きなショックを受ける。
「……だから、家族がいない……それで、白アリスちゃんと黒アリスちゃんが……アリスちゃんに、そんな過去があったなんて……。
「なるほどな。それを聞いて得心がいった……貴様、
他方、零とはまた違った意味ですべてを理解した宍戸は、その有名な都市伝説の怪人を思い出すと、世間で云われている以上の裏事情をその口にする。
「……黒マント……じゃ、じゃあ、あの時思った通り、ほんとにアリスちゃんが……?」
またもやの初めて知らされるその新事実に、零は目を見開くと、あの大噛神社で出逢った日の光景を密かに思い浮かべながら呟く。
だが、知りあって間もない頃であったならば驚きもしただろうが、今は驚くというよりも、むしろ納得する部分の方がはるかに大きい……。
彼の人並外れた魔術師としての力……この黒いマントを思わす漆黒の色をしたフード付きロングパーカー……理不尽な勝犬倶楽部を潰しに来たというその行動原理……そのすべてが、〝黒マント〟の正体が彼であることを肯定している。
「フン。勘違いしてもらっては困るな。あの
驚愕と納得のない混ぜになったような複雑な感情を零が抱いている内にも、宍戸の話をなんだか不機嫌そうに訂正すると、久郎はそう言って、どこか悪魔的で凶悪な笑みをその口元に作って見せる。
「ま、まさか、貴様が
「ええっ…!?」
そのまたしても明らかとなる久郎の忌まわしき過去に、さすがの宍戸も、そして零も驚きの声を上げる。いや、本人は是とも否とも言っていないが、否定もせずにただ口元を歪めているその薄ら寒い表情は、暗にそうだと言っているようなものだ。
「……フン。貴様も我と同じではないか?
「あ、アリスちゃん!」
技も、力も、その歩んで来た人生の重さも……自分と久郎との間に横たわる埋まるべくもない大きな溝を感じ、最早、太刀打ちできぬと観念したのか? 潔くそう告げる宍戸の言葉に、零は慌ててその名を呼ぶと、久郎の動きを制止しようとする。
彼の隠された過去を知り、零は今さらながらに悟った……自分は、有栖久郎という人物を誤解していたのかも知れない……このどこまでも論理的で冷徹な魔術師ならば、本気で宍戸にとどめを刺してしまってもおかしくはない……。
「言っただろう? 因縁に対する報いは自然の内に行われるべきだと。おまえはもう勝ち犬ではなく完全に無様な
だが、最悪な事態を懸念する零の予想に反して、無力に横たわる宍戸にもあっさりその背を向けると、先刻来、石化したまま忘れ去られていた他のメンバー達の方へと久郎は静かに歩み寄って行く。
「石にはなっていても、こいつらも貴様が貴様のいうところの〝強者〟ではなくなる一部始終をじっくり鑑賞していたことだろう。
そして、首を半分だけ後へ向けて、歩きながらそう宍戸へ告げようとした、その時のことである……。
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