ⅩⅢ 「皇帝」の正体(3)
「詭弁だな……そんな論理は弱者のたわごとだ。そのような義理人情切り捨てて、己が目的を達成できることこそが強さ……その弱さ、つけ入らせてもらうぞ」
一方、その言葉も宍戸の心には届かず、不敵な笑みを取り戻すと石化して立ち尽くしたままの当麻亜乃のもとへなぜか歩み寄り、ぴくりとも動かない彼女の体から赤いローブと白い犬面を乱暴に引き剝がす。
「もう一匹、我が愛犬を紹介しよう……死者の国の女神ヘルの館エーリューズニルの番犬。胸元に赤い血の付いた〝ガルム〟をご存知かな?」
そして、先程のフェンリルの時と同じようにローブと仮面を組み合わせ、今度は顔だけ白い色をした赤い大型犬を幻の中に作り出す……彼が語るその紹介文を聞いている内に、やはりフェンリル同様、零にもそれがハァ、ハァ…と荒い息遣いをする生きた犬のように見え始めた。
「ガルムもテュールを食い殺したやつだろ? フェンリルといい、おまえ、どうやらMの気がありそうだな」
「ぬかせ。こやつも住処である洞窟〝グニパヘリル〟の綱でちゃんと縛ってある。遠き
マニアックすぎる会話だが、またも北欧神話ネタでおちょくるように言う久郎に対し、宍戸も赤い帯のリードを引き絞りながら、やはり神話を引用して言葉の応酬を繰り返す。
「なんなら、
「う、うん……」
もう一度、
「その減らず口、
と、同時に、宍戸の攻撃が再開された。
宍戸が二本のリードを操る度に、黒と赤の幻影の魔犬がガルルル…と唸り声をあげながら、宙の大地を駆けて久郎へと襲いかかる。
「フン……二匹になろうと……
だが、そんな狂犬達の猛攻を、今度も久郎は摩利支天のイメージで強化した超人的運動能力を持ってすべて回避してみせる。
「フッ…なぜ、我がガルムまで召喚したと思う?」
しかし、攻撃をかわされているにも関わらず、それを見て宍戸はなぜか笑う。
「囮になったつもりがとんだ誤算だったな……おまえの餌はそっちだ、ガルム」
「ハっ! ……しまった!」
そして、久郎から離れて壁際に立つ、零の方へ向けて不意にガルムをけしかけた。
彼女を安全圏へと逃すため、攻撃をかわしつつも零から徐々に距離をとっていった久郎であるが、うまく宍戸の目を欺いたつもりが、逆にそこを突かれたというわけだ。
「キャっ…!」
突如、自分に向かって来た獰猛な赤犬に、零は顔を腕で覆うと硬く目を瞑る。
「チッ……ぐあっ!」
が、次の瞬間、呻き声を上げたのは零ではなかった………襲われたはずなのに、体はどこも痛くも痒くもない。
「……あれ? ……はっ! あ、アリスちゃん!」
不思議に思いつつ、一瞬後におそるおそる瞼を上げた零の瞳に映ったのは、目の前で赤犬に組み伏せられ、なんとか逃れようと身悶える久郎の姿だった。
咄嗟に人並み外れた脚力で間に飛び込んだ久郎が、零の身代わりにガルムを受け止めたのである。
「バカが。本当の狙いはこれだ。フェンリルっ!」
その隙を宍戸は見逃さない。ガルムに倒された久郎に向けて、続け様に黒い狼の方も容赦なくけしかける……宍戸は初めから、久郎がそうした行動に出ることを予期して狙っていたのだ。
「……や、やめろっ! ……うわっ……ぐぅ……」
「アリスちゃん! ……そんな……アリスちゃんが、アリスちゃんが死んじゃう……先輩! もうやめてください! このままじゃ、アリスちゃんが……アリスちゃんが……」
二匹の魔犬に寄って
「これこそが〝弱肉強食〟。世の理だ。風生、おまえにもすぐにその理を教えてやるから待っていろ」
だが、宍戸そっくりな見知らぬ男は、狂気の笑みをその憧れの人と同じ顔に浮かべ、やはり冷酷な台詞を返すだけである。
「……そんな……もう、いや……こんなの、もう、いやだよぉ……」
……ところが、そのなんとも残酷な世界の仕打ちに、力なく、零がぺたりと冷たい板張りの床に崩れ落ちた時のことだった。
「…フフ…フハハハハハ! ……やめろ! よせ! ……そんなとこ舐めるな……もう、そんな悪い子はこうしてやる……こちょこちょこちょこちょお…!」
二匹の魔犬に襲われている久郎が、不意に場違いな笑い声を上げたのだった。
犬に組み伏せられながらも陽気な声を出しているこの感じ……それは、犬に襲われているというよりも、まるで……まるで、犬と戯れている人間の様だ。
「ど、どういうこと!?」
「なんだと!?」
その不可解な久郎の言動に、零は赤く腫らした目をまん丸く見開き、宍戸は表情を険しくしながらも同時に驚きの声をあげる。
「ふぅ……まったくヤンチャなやつらだ。悪いが、
そうして二人が唖然と見守る中、久郎は遊び疲れたように溜息を吐くと、所々擦り傷のできた顔でおもむろに起き上る……見れば、その両脇にローブの帯で縛り上げられた二匹の魔犬をがっちりと抱きかかえている。
「貴様……いったい、何をした!?」
「本当はもっとスマートに勝負をつける気でいたんだがな。念のため、こいつも用意しておいたんだ。見た感じ、どうやら犬好きのようだったし、そうした戦法でくると思ってな」
まさに威嚇する犬のような眼つきで睨みつけ、苛立った声で短く尋ねる宍戸に、久郎は二匹の犬を床に放りながら、そう言って何か白く長方形の物を懐から取り出した。
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