ⅩⅢ 「皇帝」の正体

ⅩⅢ 「皇帝」の正体(1)

 黒い犬面に隠されていた宍戸毅の顔……しかし、顔つきや全身から感じられるその雰囲気は、いつもの宍戸とどこか違う。その眼も鋭く冷たい感じなのにどこかぼんやりとしていて、時折、久郎が見せるあの眼差しにそっくりだ。


「だが、いくら本物の魔術師の眼をも以てしても、我が同じく魔術師であることはなかなか見抜けなかったであろう?」


 その普段と少し異なる宍戸が、やはり聞き慣れた彼のものとは違う口調で久郎に尋ねる。


「ああ。〝正義ジャスティス〟の霊視でも引っかからなかったからな。おそらくは〝吊られた男ハングドマン〟を…」


「……先輩……ほんとに、宍戸先輩なんですか?」


 彼の問いに素直に頷き、答えようとする久郎だったが、その時、予期せず一人の女生徒の声が背後の闇の中から聞こえてきた。


 赤ずきんも他のメンバー達も石化した今、ここには自分達二人以外、声を出せる者などいないはずだ……久郎も、そして宍戸も、同時にその不可解な声のした方向を素早く振り返る。


「おまえ……なんでここに……」


「ほう。ネズミがもう一匹紛れ込んでいたか……」


 すると、そこには驚きを隠せない様子で、顔面蒼白となった零が呆然と闇の中に佇んでいた。


「ハァ……まったく。本当におまえは〝愚者〟だな」


「そんな……宍戸先輩がわんこのチーフだったなんて……で、でも、なんか雰囲気違うし、もしかして、顔が似てるだけでまったくの赤の他人だとか……それとも、驚くべきことにも悪の組織が造り出した先輩のクローン人間だとか?」


 想定外の人物乱入に大きな溜息を吐く久郎だが、零はそれを気にも留めず、その信じ難い現実をありえない理由で強引に否定しようとしている……そんなこと、自分でもあるわけないとわかっているのであるが……。


「いいや。他人の空似でもないし、残念ながら今のところそこまでのクローン技術は存在しない……我は正真正銘、本物の・・・宍戸毅だ。普段とは違う本物の・・・の方のな。それにしても普段はあれほどあがり症のくせして、まさかこれほどアグレッシブなキャラだったとは知らなんだぞ、風生零」


 そんな零の苦しい言い訳を、黒犬の下から現れた宍戸はご丁寧にも完全否定してくれる。


 しかも、零のことをよく知っているようなその口振りは、最早、彼が宍戸毅であることに疑いを挟む余地がない。零が信じようと信じまいと、今、目の前にいる魔犬の首領チーフ・ハウンドは、間違いなく宍戸毅その人本人なのである。


「先輩、なんで先輩がこんなことを……ううん。きっとこれは何かの間違いですよね? 先輩は正義感が強くて、とっても優しくて……こんな、こんな危ないクラブのチーフなわけありません!」


「やめておけ。こいつは確かに宍戸毅だが、おまえのよく知る宍戸ではない。とはいえ、こいつの方がオリジナルの宍戸なんだろうがな」


 それでもなお信じることができず、宍戸に食い下がる零を久郎が制する。


「あたしの知ってる先輩じゃない? ……でも、オリジナルの先輩って……どういうこと?」


「カテゴリ〝吊られた男ハングドマン〟――人格を二つに分割し、普段はオリジナルの人格を無意識の海に沈め、意識上には新たに作った表向きのペルソナを出して周囲を欺く魔術……こいつはそれを使っていたんだ。俺と同じように・・・・・・・な。〝正義ジャスティス〟でも見抜けなかったのはそのためだ」


「ぺるそな?」


「人間がその時々の状況に合わせて被る、仮面のような人格のことだ。正確には少し違うが、ま、俺でいうところの〝史郎〟みたいなものさ。表の風紀委員長・宍戸毅としてのペルソナは、魔術師とはまるで似ても似つかぬ現実的な人間だったからな。いつからその二重生活を送っているかは知らんが、果たしておまえが憧れている宍戸がオリジナルの宍戸なのか、それとも作られた人格の方なのか……それすらも実のところはわからん」


 怪訝な顔で久郎の方を振り返る零に、彼は宍戸から目を放すことなく、どこか自嘲するかのような表情で苦々しげに語って聞かせる。


「そんな……」


「ほう……ということは、貴様も〝吊られた男ハングドマン〟を使って人格を分けているのか? なるほど。やはり魔術博士マグスエリハの魔術をよく理解しているようだな……」


 その追い打ちをかけるような説明によりいっそう打ちひしがれる零であるが、そんな彼女の反応を他所よそに、宍戸は再び久郎の方へと興味を向ける。


「〝吊られた男ハングドマン〟とは少々異なるがな。俺の場合は完全な人工物として造り出され、この肉体に宿された。ま、いわば人造人間ホムンクルスといったところか……ああ、申し遅れたが、俺は有栖史郎・・じゃなく有栖久郎・・だ。以後、お見知りおきを。宍戸センパイ?」


 対して久郎はご丁寧にも、自分という存在について錬金術用語を用いて説明すると、さらに挑発するかの如くそう慇懃無礼に自己紹介をしてみせる。


「フン! クローンの次は人造人間ホムンクルスか? やはり、あのデンパな同好会に少々毒されていると見える……貴様、いったい何者だ? なぜ、それほどの魔術師がそこまでして我らにつきまとう? よもや勝ち犬倶楽部への入部希望でもあるまい?」


 だが、同じ魔術師でも宍戸は久郎の話を信じていない様子で、ふざけて冗談を言ってるとでも思ったのか、さらに彼を問い質した。


「ああ。無論、犬っころの仲間に入れてもらうつもりはない。ただちょっと、この世の理に反することがどうにも許せない魔術師なんでな」


「この世の理? ……ならば、我らの行っていることこそがこの世の理だ。所詮、この世は〝弱肉強食〟。強い者が生き、弱い者は死せるのみ……それが世界の真理。カテゴリ〝世界ワールド〟の魔術師たる我が言うのだから間違いない。故に、我らの邪魔をすることは、逆に世の理を犯すこととなるぞ?」


 不敵な笑みを浮かべて答える久郎に、宍戸も口元を歪めながら自信ありげに持論を述べる。


「なるほど。それがおまえの獲得した世界観か……だが、だとしたらおかしくはないか? おまえは魔術師でもない者に魔術の力を授け、本来、持つべきデメリットを無理矢理消し去って強者を作り出している。それはむしろ弱者を助けているようにも見えるがな」


 対して、久郎の方も奢り昂った宍戸の理論に、鋭くその疑問点を突いて反論する。


「フフ…浅はかだな。高等な魔術師とはいえ、カテゴリ〝世界ワールド〟に到らぬ者ではこの崇高な教義を理解することはできんか……いいだろう。少し問答でも楽しもうじゃないか」


 しかし、宍戸はまるで怒る素振りも見せず、逆にいっそう愉快そうに笑って話を続けた。


「神は理不尽だ。〝天は二物を与えず〟というのに、この世には二物も三物も与えられた、あらゆる才能に恵まれる者がいる一方、一つの才能があっても他の才能がないめに浮かばれない者や、果てはなんの才能も与えられない者もいる。そして、いつまで経っても天に愛された者だけが勝ち組で、何も与えられなかった者達は一生涯いつまでも負け組だ……こんな世を、貴様はおかしいと思わぬか?」


「ま、その点は賛同するな。そこに関しては同意見だ」


「そうか。意外と気が合うようだな……かつて、まだまだ純真無垢な子供だった頃、その矛盾に気づいた我は、なぜそんな不公平が存在するのか? それを正すことはできないのか? と憤りを憶え、眼に止まる弱者にはなるべく手を差し伸べるようにしていた。そして、それでも変わらぬこの世の中に、日々悩み苦しんだりもしたものだ」


 だから、あの時、先輩は………。


 いつもとは異なる口調ながらも宍戸の顔をしたそれ・・の語るその言葉に、ずっと口を聞くこともできず、ただただ黙って二人の遣り取りを聞いていた零は、彼に好意を抱くようになったあの中学一年の日のことを不意に思い出す。


 ……じゃあ、あれはやっぱり、あたしの知ってる先輩だったんだあ……はぁ…それだけでもよかったぁ……。


 そして、こんな状況ではあるのだが、内心、ほっと安堵の溜息を独り密かに吐いたりもする。


 先程、久郎にあんなことを言われ、もしかしたら自分の好きになった相手が本当のその人ではなく、ただの仮面として作られた偽りの宍戸だったのではないかと心配していたのである。


「だがな、ある時、気づいたんだ。間違っていたのは自分の方だ……とな」


 ところが、そんな零の安堵感を覆すように宍戸はさらに続ける。


「我の父親というのは刑事をしていてな。しかも検挙率が高く、取調べもうまい優秀なデカだった。ただ、一つ難点としては人づきあいが大の苦手でな。そのために上司や同僚達の印象悪く、なかなか出世することができなかった。で、最後はある未解決事件の責任を負わされ、それがもとで体を壊すとあっさり逝ってしまったよ。我が高校へ入った年のことだ」


 ……先輩のお父さん、亡くなったとは聞いてたけど……そんなことがあったなんて……。


 零は知らなかった宍戸の過去を知り、その時の彼の心中を思いやる……彼が正義感の強い性格になったのも、きっとその警官だった父親の影響なのだろう……宍戸は、どんな思いで父の死を受け入れたのだろうか?


 しかし……。


「そこで、我は悟った。〝弱肉強食〟こそが世の理であると……強い者が勝ち、弱い者が負けるのは当然の結果。人生の勝者となるには強く…しかも、一芸に秀でるだけではなく、二物も三物も持った者になるしかない。我が父が同輩達に負け、死に追いやられたのも弱かったからだ。この世界において弱いことは罪なのだ」


 ……そんな……そんなこと、先輩が言うだなんて……そんなの、うまく説明できないけど……そんなの、なんか違うと思う……。


 その宍戸の口から出たとは思えない言葉に零は愕然とし、そして、残酷ながらもどこか納得してしまうところのあるその理屈に、直感的な違和感を持って必死に抗しようとする。もしもそれが真実なのだとしたら、自分のような弱い者達はどうやって生きて行けばいいというのだろうか!?


「そこで、我は誰にも負けない強さを得るために、勉強でもスポーツでも、それまで以上の努力を重ねた。また、自身の努力だけではいかんともしがたい運命の問題についても探究しようと考えていたその矢先、我は襟羽黎未という魔術師の書いた『真正魔術の秘密の鍵』という本物の・・・魔術書と、まさに運命の出会いともいうべき偉大な邂逅を果たしたのだ!」


「ああぁ、そういうことか……ったく、あのジジイ、厄介極まりないものを流通させやがって……」


 零には言っている意味がよくわからなかったが、その署名と著者名を聞いて、久郎は得心がいったというような顔でなんだか迷惑そうに頷いている。


「そして、〝魔術〟という名の運命すらをも変える最強の力を手に入れた我は、我が父同様、天に見放され、苦しんでいる者達にも力を与え、人の手で二物も三物も持った強者を作り出してやろうと考えたのだ。強き者…中でも魔術という最強の力を持った者こそが勝者となるのがこの世の正しき姿……そう。これは〝弱肉強食〟という世の理に則った、まさに正義の行いなのだ! 世の人々にその真理を心底理解させるためのな!」


「ハァ……またずいぶんとひねくれた世界観だな……ま、おまえがただ単に奢り昂ったバカでないことだけはわかったが……」


一際声高に持論を叫ぶ宍戸に対し、いつも零にするのと同じように、久郎は大きな溜息を渋い顔で吐く。


「しかし、そもそもおまえはそんな二物も三物も与える不公平な天が許せなかったのではないのか? だからこそ、それにあらがおうとしたのだろう? ならば、なぜ同じことをする? 今、おまえのやっていることは、その不公平な天の行いそのものだ。おまえは因果を捻じ曲げ、恵まれた者の本来受けるべきデメリットを奪い去ってしまっているのだぞ? いいや、それだけじゃない。自身の努力で作った原因により、正攻法で良い結果を得ようとしている者達をもおまえの不自然な行為は阻害している」


 ……そうだ。やっぱりわたしの知っている宍戸先輩が、こんなこと絶対に言うはずがない……この人は、ほんとにあの宍戸先輩なの?


 反論する久郎の言葉に、零は今目の前にいる人物と、既知の宍戸という人間との間にある大きな相違をよりいっそう強く感じた。


「フン。綺麗ごとだな。以前の我ならばそうも思ったろう。だが、何度も言うようにけっきょくのところ、この世は〝弱肉強食〟だ。何をしようとも所詮は強き者の勝ち……その理に気づいた今の我には、それに逆らうことこそが間違いに思える」


 ……いったい、この人は誰なの? 顔や声は同じでも、わたしの好きな宍戸先輩とはぜんぜん違う……あ、もしかして、これは夢か何かだったりとか? ……そっか。わたし、今、悪い夢を見てるのかも……。


「残念ながら意見の相違だな。確かにそれも理の一つではある……が、俺の認識している世界の理は〝因果応報〟。貴様のものとは少々違うんでな。すまんが正させてもらうぞ?」


 そうして零が現実逃避を始めている一方、宍戸の論理に屈することなく、久郎はあくまでも反対の意を表す。


「一介の魔術師風情がカテゴリ〝世界ワールド〟たる我に理を説くか……おもしろい。ならば逆にその身を持って〝弱肉強食〟の理を存分にわからせてやる」


「ああ、こちらもはなから言ってわかるとは思っていない。いや、わかってもらう必要もない。宍戸毅……否。〝弱肉強食〟の魔術師とでも呼ばせてもらおうか? 悪いがおまえにはここでその因果の帳尻をきっちり合わせてもらうぞ」


 そして、お互いその言葉を合図に、二人の間にはピンと張り詰めた空気が漂い始めた……。

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