Ⅻ 「月」夜の狂宴(2)

「――それでは、故あって二名ほど欠席ではあるが、これより勝ち犬倶楽部の臨時集会を始めたいと思う」


 その時、零が思った通り緞帳裏のステージ上では、イランイランの甘く神秘的な香り立ち込める中、頭上に燈る円形の照明に照らし出され、同じく円形に並べられた椅子に座る黒ローブ姿のヤマイヌ達が、今まさに秘密集会を始めようとしていた。


「今宵の議題だが、まずは我らにしつこく付きまとっていた、あの忌まわしき謎の転校生に関してのことだ」


 だが、今夜の会は前回に比べ、円を形作る席は13から11に数が減っている。


 その若干小さくなった円の中、〝赤ずきん〟の左どなりに座る黒いローブに黒いヤマイヌ面の男が、くぐもった声で集会の議長を務る……あの、湯追が隠し持っていたとして、証拠にでっち上げられた衣装とまさに寸分違わぬものだ。


「〝監視役〟からの報告によると、とりあえずは問題解決のようだ。幾人かのメンバーに目星をつけ、そこから我らの正体に迫るつもりだったようだが、事前の対応策をとっておいたおかげでようやく諦めてくれたらしい」


 黒犬のその言葉に、他のメンバー達からは「おお!」という歓声が低く沸き起こる……まさかその対応策というのが、自分達にかけられた〝口を割りそうになると硬直を起す〟という危険な後催眠であるとも知らずに。


「やっと諦めてくれたか。まったくしつこい野郎だったぜ」


「これでもうビクビクしながら活動することもないね」


「凄腕の魔術師だって聞いてちょいビビったけど、やっぱ俺達にかかれば余裕っしょ?」


「いや、それはどうかな? 俺はまだ諦めてないと思うぞ? 凄腕かどうかは知らんが、しつこい魔術師であることは確かだ。なんせ、当の本人・・・・が言うんだから間違いない」


 だが、恐ろしい後催眠をかけられていることすらも知らず、暢気なメンバー達が口々にポジティブなコメントを口にする中、一人、それに真っ向から反論するような意見を言う者がいる。


「……っ!?」


 なんだか聞き捨てならないその発言に、フードを被った犬達は仮面に覆われたそれぞれの顔を各々訝しげに見回す。


「ああ、すまん。そっちじゃなくて、こっちだ」


 すると、黒い輪の中からではなく、その背後、ステージ下手側の暗闇の中から、再びその聞き捨てならない声が聞こえてくる。


「まさか……」


 慌てて犬達がそちらを振り返ると、その暗闇が凝固して人の形を成すかのように、一人の真っ黒い人物が幽霊の如く彼らの前に姿を現した。


「キャアッ…!」


 犬達の中からは、そんな女性の短い悲鳴や動揺の声が沸き起こる。


「なに、ただの隠行おんぎょう法だ。貴様らが来るずっと前からここで待たせてもらっていた。しかし、まさかこんな所で大胆にも秘密集会を開いていたとはな。まったく、おそれ入谷の鬼子母神・・・・・・・・・・だ」


 驚く犬達の疑問にそう答えたその人物も、彼ら同様、漆黒の色をした衣装で身を固めている……。


 ローブではなくロングパーカーだが、それをまるでマントの如く肩に羽織り、首元を革のベルトで止めている……また、そのマントの下も黒一色に固め、濃い影を顔の上に作りながら大きなフードを目深に被ったその異形の者は、他の誰でもない。あの日とは少々着こなしが異なるものの、まさに大噛神社に現れた時の〝魔術師〟久郎である。


「ドレスコードには厳しい集まりのようだったんでな。今夜は正装・・で来させてもらった」


 その闇を凝縮したような黒マントの魔術師が、おどけた調子で再び口を開く。


「貴様……どういうことだ!?」


「わ、わかりません! 確かに風生零からのLEY-LINEレイラインでは今夜も彼女と一緒にいると!?」


 荒げた声で尋ねる黒い犬面の男に、赤ずきん――当麻亜乃は慌てた様子でそう答える。


「ああ、あれは嘘だ。そう言っておけば集会を開いてくれると思ったんでな。そんな連絡をしておいてくれと頼んでおいた」


「まさか、風生零の後催眠を……だが、なぜここが……それに、今夜集会が開かれることも……」


 親切にも説明してくれる招かれざる客・・・・・・に、そのカラクリをすぐに理解する赤ずきんだったが、まだ残る疑問に訝しげな呟きを口にする。


「別に驚くこともなかろう。おまえが風生にやったのと同じ手口だ。この前、おまえにも後催眠をかけさせてもらった。〝秘密集会を開く時には必ず連絡してくれ〟とな。会場の場所を教えてくれたのもおまえだ。忘れないよう、送信したメッセージはちゃんと残しておかなくちゃダメだろう? まさか、理科室であんなに楽しく遊んだことも全部忘れちゃったのか? ……ああ、そうか。すまん。俺が忘れさせたんだったな」


「くっ……貴様ぁっ! 火蜥蜴サラマンドラっ!」


 人をおちょくるような口調でそう補足する久郎に、逆上した赤ずきんはローブの下から魔法杖ワンドを取り出し、速攻、躊躇いなくその先からフラッシュコットンの火の玉――見る者によっては〝炎のトカゲ〟に見える幻影を彼に向けて放つ。


「キャアぁぁっ!」


「うわぁぁぁっ!」


 久郎はなんなく身をかわしたが、むしろ彼と赤ずきんの間にいた者達が慌てて逃げまどい、一瞬で恐慌状態に陥ったメンバー達は緞帳を潜ってステージから転げ落ちる。


「ここでは少々手狭だな。俺達もファンサービス・・・・・・・に客席へ下りるとしようじゃないか」


「待てっ!」


 それを見て、久郎も緞帳の端を捲って素早く外へ出ると、赤ずきん、黒い犬面の男もすぐさまその後を追う。


「あなた達も〝勝ち犬〟ならそいつを捕えなさい! 相手は一人。肉弾戦なら勝てるはずよ!」


 自分達に続き、ステージから下りて来た黒衣の魔術師を見て、慄き、ただ立ち尽くすメンバー達に赤ずきんは檄を飛ばす。


「ああ、そうそう。もう一つ、おまえにはこんな暗示もかけておいた……」


 だが、そんなこと急に言われても足が竦んで動けないでいる彼らを他所よそに、久郎は思い出したかのようにそう呟くと、マントと化したパーカーの裏から革製のお盆みたいなものを取り出して赤ずきんに見せる。


「当麻亜乃! こいつをよーく見てみろ!」


「くっ……!」


 すると、その円盤を目にした瞬間、赤ずきんは何か短い呻き声を上げたきり、そのまま体を硬直させて口も利かなくなってしまう……見れば、久郎が掲げたそのお盆の表面には、蛇の髪の毛を持つギリシア神話の怪物〝メデューサ〟の顔がリアルなタッチで描き出されている。


「アイギスの盾……?」


 まるで石化したような赤ずきんとその円盤を身比べ、黒犬面の男がぽつりと呟く。


 そう……それはまさしく、英雄ペルセウスから討ち取ったメデューサの首を献上された女神アテナが、自らの盾に埋め込んだという〝アイギスの盾〟の故事を彷彿とさせるような代物である。


「その通り。これもおまえが別当達に施した後催眠と同じ仕掛けだが、ただ硬直させるだけじゃおもしろ味に欠けるからな。どうだ? なかなかにいい演出だろ? カテゴリ〝女帝エンプレス〟――魔術武器を作るのも嫌いじゃないんでね」


 黒犬の呟きを拾い、久郎はその自作の盾を見せびらかすように掲げながら、どこか愉しげな様子で彼にそう答える。


「さっき火蜥蜴サラマンドラが見えたってことは、皆、トランスしているな? あのイランイランの香りといい、そうして集会に臨むのがおまえらの作法か……確かに、いろいろと魔術を使うのには都合いいからな。無論、こちらとしても好都合だ」


 さらに誰に言うとでもなく久郎はそう口にすると、今度は立ち竦むメンバー達の方へ〝アイギスの盾〟を見せつける。


「さあ、おまえ達もこの盾のメデューサをよーく見ろ! この神話は知っているだろ? メデューサを一目見た者はその瞬間、瞬く間に体が石になってしまう。ほーら、もう体が固まって動かないはずだ!」


「うぐ………!」


 そして、ゆっくり回転しながら手にした盾を周囲のメンバー達に見せて回ると、久郎の言葉通り彼らは立ち竦むのではなく、赤ずきん同様、本当に体が硬直して動けなくなってしまった。


「手は出さなそうだが、さりとて逃げ出されても困るんでな。すまんが、しばらくそこで石になっていてもらおう……さて、残るはおまえだけだ。おまえもこれを見ろ!」


「フッ…アテナよ! この鏡に宿り、我をメデューサの邪視より守りたまえ!」


 続けて最後に残った黒犬面の男にもメデューサの首を見せつける久郎だが、鼻で笑う黒犬はそう唱えながら、取り出したペンタクルのつるつるした裏面を鏡のようにして眼前に掲げ、さらに付属のチェーンを用いてそれを首に下げてみせる。


「もうその首は使えん。我を石化させようとすれば、このアテナより授けられし鏡で己の方が石になるぞ? もっとも、鏡を見せて石になるのは〝バジリスク〟で、ペルセウスは鏡のように磨いた盾にメデューサを映し、直接見ないようにして退治したのだがな」


 そんな奇妙な行動をとった後、黒犬はアテナとペルセウスの関係、メデューサ退治に関する巷の誤った解釈を引き合いに出しながら久郎にそう忠告をする。


「やはりこの程度の魔術では効かんか。さすが、ギリシア神話にも詳しいと見える……ようやくお目にかかれたな、魔犬の首領チーフ・ハウンド。ま、普段の貴様とは幾度か会っているんで、はじめましては言わんぞ? ……なあ、宍戸毅」


 だが、その反応を予期していたかのように、久郎は別段驚くこともなく、むしろ喜んでいるかの如き顔をして彼にそう告げた。


「………………」


 そのさらっとしてくれた正体の暴露に、こちらはさすがに驚いたのか? 黒犬は不意に押し黙る。


「今さら惚けても無駄だ。俺を欺くためにとった対応策が、逆にそのまま、おまえ以外、魔犬の首領チーフ・ハウンドたり得んことを示している……瀬戸が死んだ時、屋上へ向かう俺達の足止めをし、当麻がやつにダチュラを盛る時間を作ったのもおまえだ。偽の証拠をでっち上げ、湯追に濡れ衣を着せることも風紀委員長のおまえなら容易だったろう。ただ、俺達が〝赤ずきん〟をチーフと見余っていたのを知らずに、うっかり本物のチーフの仮面とローブを用意してしまったのは誤算だったがな」


「………………」


 どこかの探偵か何かのように語る久郎の推理ショーを、黒犬は押し黙ったまま身動ぎもせずに聞いている。


「それに看護婦から聞いた話では、入院した有荷の面会に来た学校関係者の中に生徒会役員を名乗る男子生徒も一人いたとのことだ。あの時は気にも留めなんだが、それがおまえだとすれば当麻に指示するまでもない。大方、その時に栄養ドリンクでも刺し入れしたんだろう。もちろん、ダチュラ成分たっぷり配合のな」


「……フフ…フハハハハハ……おまえもさすが魔術師といったところだ、有栖史郎……そう。我こそが勝ち犬倶楽部の主催者、魔犬の首領チーフ・ハウンドだ」


 久郎の上げる数々の状況証拠に、ようやく沈黙を破った黒犬はおかしそうに仮面の下で笑い出すと、不意にフードを下ろし、その犬面もあっさりと取り払う……すると、窓から挿し込む蒼白い月明かりに照らし出され、その下から現れたのは本当に宍戸毅の顔であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る