Ⅹ 噛み合う「運命の輪」(2)
「こ、こら、目立つだろ? 俺が極悪人のドSなカレシみたいに見えるからやめろ!」
一心に注がれる客や店員達の痛い視線に、久郎は慌てて零の小さな頭を上げさせる。
「だって、アリスちゃんの方がずっと真剣になんとかしようと思っててくれてたのに、わたし、なんにも考えずにひどいこと言って……ほんと、ごめんなさい!」
「ああもう、やめろって! ハァ……だから、俺がなんとかするから任せておけと言ったろう? ま、ちゃんと話しておかなかった俺も俺だからな。これも因果応報。別に怒ってもいないし気にするな。それよりも、俺はその〝アリスちゃん〟という呼び名の方がずっと気に触っているのだが…」
「はぁ~よかったぁ~怒ってなくて……」
またも机へおでこを叩きつける零を手で制すると、もっと気にかけていることについて口にする久郎だったが、いつも通り、彼女はそれを無視して安堵の溜息を吐く。
「おい、じつは反省してないだろ?」
「でも、どうするの? 他の人達もみんな別当さんみたくなっちゃうんだとしたら、もう昨日のように話を聞くこともできないし……」
「ん? ああ、そうだな……見事に最後の手段も封じられた。今のところ、もう打つ手なしだ」
そして、意図的なのか無意識なのか、急に話題を変えてくる零に久郎もついつい注意を逸らされてしまう。
「うーむ……危険は承知で強引に後催眠を解く方法も残されてなくはないが、それでまた死人でも出たら事だしな。さて、どうしたものか……」
眉間に皺を寄せて腕を組むと、久郎はしばし黙って考え込んだ。
「やはり、万事休すか……にしても、こうも悉く先手を打たれるとはな。なぜ、こんなにもいいタイミングでヤツらは適切な処置がとれる? まるで、こちらの動きを絶えず監視でもされているみたいだぞ……」
数分の後、顔を上げると、その黙考が徒労に終わったことを苦々しげに呟き、巧妙な相手の先回りに疑念を抱くと、訝しげな表情を浮かべる久郎だったが。
「ま、身辺に盗聴器仕掛けられているような節はないし、あの八角塔やオカ研の部室に仕掛けても効果は高が知れてるしな。無論、尾行なぞされていたらすぐに気づくはずだが……て、話聞いてんのか?」
ふと見ると、自ら話題を振ったにも関わらず、またもや零はスマホを弄くり、まったくこちらに注意を向けてはいない。
「……え? あ、ごめん。また無意識につい……最近、無意識に弄くっちゃうこと多いんだよねえ……」
「もう完全な中毒だな。しかも、そう頻繁だとかなり重症だぞ? なんだ?
「うん……あれ、でもなんであたし、当麻さんなんかにメッセージ送ってんだろ?」
生活指導の教師の如く、渋い顔でお説教をする久郎に苦笑いして見せる零だったが、本当に自覚がないらしく、不思議そうにスマホの画面を見つめながら自分でも驚いている。
「当麻? ……というと、二年壱組の当麻亜乃か?」
だが、その名を聞くと零のスマホ依存を嗜めるのも忘れ、予想外な食い付つきを久郎は見せる。
「うん。そだよ。アリスちゃんも知り合いだったの?」
「いや。科学部員なんで一応、他の部員ともどもマークしていた。どうやら〝赤ずきん〟は自然科学の知識が豊富なようだからな。ただ、カテゴリ〝
「そっか。確かに植物の効能とかにも詳しそうだしね。あ! そういえば、アリスちゃんに言うのすっかり忘れてたよ。この前ね、その当麻さんに恋に効くアロマペンダント作ってもらったんだあ……ほら、これ。
話す内にそのことを思い出し、普段、首から下げてブレザーの下にしまっているそれを零は取り出すと、うれしそうにそのヘッド部の小壺を久郎に見せびらかす。
「いるだかいらないだか? ……イランイランのことか?」
「そう! それ! さすが、アリスちゃんも詳しいね! なんかアロマの研究してるみたいで、これ作る時にオイルの香りも嗅がせてくれたんだよ?」
「アロマ……
「ああっ! 〝今、マルコでアリスちゃんとお茶してる〟って、なんでそんなこと当麻さんにわざわざ送ってるの!? これじゃ、まるでデートしてる報告みたいだよ! あらぬ誤解されちゃうよ! もしかしたらウワサになっちゃうかもだよ!」
その緑色をした小さなガラス壺に鼻を近づけ、ジャスミンと柑橘類を混ぜたような香りを久郎が嗅いでいる間に、再びスマホへ目を向けていた零が突然、驚きの声を上げる。
「なんでって……送ったメッセージの内容も憶えてないのか?
そんな零のおとぼけぶりに呆れ果てた顔で嫌味を言う久郎だったが、その途中、何かに思い至った様子でブツブツと呪文のように単語を並べ立てると、突然、零と同じように声を大きくした。
「おい! そいつをちょっと貸せ」
「あっ! なにするの! プライベートの侵害だよ! デリカシーなさすぎだよ!」
そして、零の手からスマホを奪い取ると、憤慨する彼女も無視して、その画面に指を走らせる。
「もーっ! 返してよ~っ!」
「当麻へのメッセージはこの一通だけか。だが、本人にも気取られないよう、毎回、送信後に削除する指示を出していたとすれば……おい、風生。俺の目をよく見ろ」
「ブ~っ……え? ……な、なに? 突然、そんな真剣な顔して……」
さらに
「も、もしかして、今の話、本気にしちゃった……とか? で、デートってのは当麻さんがそう誤解するってことであって、べ、別にあたしは、そ、そんな風に思っては……」
「無駄口を叩くな。今からおまえに退行催眠をかけて忘れた記憶を蘇らせる。ほら、このイランイランの匂いも嗅げ。これにはリラックス効果があるからな。催眠導入にも役に立つ」
何か勘違いをし、顔を真っ赤に焦りまくる零であるが、久郎は淡々とそう述べながら、アロマペンダントのヘッドを掴んで彼女の鼻先に押し当てる。
「催眠? スー……ああ、そっか。それで目を……でも、忘れた記憶って……いったい……」
「さあ、もう目が離せないはずだ……そして、段々と心が落ち着いて、気持ちが楽になってくる……」
その爽やかな匂いを大きく吸い込み、あの不思議な色をした久郎の瞳を覗き込んでいると、なんだか頭がぼおーっとした感じになってきて、いつしか零は深い
「さあ、その時のことを思い出せ。あの日、当麻亜乃はおまえにイランイランの香油を嗅がせ、何かを頼んだんじゃないのか? どうだ? 当麻はおまえになんと言っている?」
朦朧と焦点の定まらぬ目をして佇む零に、久郎は強い口調でそう尋ねる。
「当麻さんは……なるべく、アリスちゃんと行動をともにして、どこで何をしているのか定期的に
久郎の問いかけに、まるでその時の情景を今、実際に見ているかのように零は静かに
「それから、送った後はそのメッセージ削除して、送ったことも忘れるようにって……あと、今話したことも、次に目を開けた時にはもう憶えていないんだって……」
「やはりイランイランで催眠導入しておいて後催眠をかけていたか……で、
本人すら忘れ去っていたその記憶を探り出し、久郎は得心いったとように独りごちると、ぼんやりとした零の目の前で指をパチンと打ち鳴らした。
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