Ⅹ 噛み合う「運命の輪」(3)

「……え? わたし、ほんとにそんなことしてたの? まさか……でも、思い出した。わたし、確かに当麻さんにそう言われたんだ。それで、なんとなくその通りにしなきゃいけない気がして……」


 その小気味良い音で催眠が解けた零は、一瞬、事態が飲み込めずに戸惑いを見せた後、思い出したその記憶に自分でも驚いている。


「だろうな。それが後催眠による暗示というものだ。しつこく俺につきまとっていたのも、その暗示によるところが少なからずあるかもしれん。だとしても、本人は自分の意思でそうしているように思えて、誰かにやらされているという認識はまるでない」


「そんなあ~……まさか、当麻さんがそんなことしてたなんて……恋をかなえるアロマペンダントくれたし、親切なとってもいい人だと思ってたのにぃ……」


「そのペンダントも後催眠に一役買っていたんだろう。その匂いを嗅ぐことで暗示を無意識的に思い出し、後催眠の持続時間をなるべく伸ばすようにしていたんだ。いかに強力な催眠暗示といえども、いつかは解けるものだからな」


 まさかの操られていた事実を知り、かなりのショックを受けている零であるが、さらに痛めつけるような注釈を久郎はさらっと付け加えてくれる。


「ええ~っ! このペンダントもなのお~!? なんだあ……せっかく恋に効くお守りだと思ってたのにぃ……」


「まあ、イランイランに催淫効果があるのは確かだ。その点では騙していないんで安心しろ。催眠効果が真の目的とはいえ、なんとも的確なチョイスだ。まさにカテゴリ〝魔術師マジシャン〟の魔術師といったところだな」


「それなら、まあ、ちょっとは騙されたのもよかったかもだけどぉ……でも、それじゃあやっぱり、当麻さんが赤ずきんちゃんなの?」


 せめてもの救いであるそのアロマの効能に、完全に凹んでいた零は淀んだ顔を上げると、核心に触れる質問をおそるおそる口にする。


「うーむ…そこなんだが、やはり当麻が魔犬の首領チーフ・ハウンドというのはどうにもしっくりこない。確かに〝赤ずきん〟としてはもってこいの人物像ではあるが、勝ち犬倶楽部のホストを務めるにはカテゴリ〝皇帝エンペラー〟や〝教皇ハイエロファント〟の力――即ち統率力やカリスマ性も必要になってくるからな。無論、おまえにしたことからして、当麻がクラブに関係していることは間違いないんだろうが……」


「じゃあ、当麻さんは赤ずきんちゃんだけど、赤ずきんちゃん以外にチーフわんこがいるんじゃないの? ほら、そうすれば問題ないでしょ?」


「バカを言え。あの通り、〝赤ずきん〟はそうとうなレベルの魔術師だぞ? その他にまだ魔犬の首領チーフ・ハウンドを張れるクラスの魔術師がいるっていうのか? 本物の・・・魔術師がそうほいほいとそこらにいて……いや、なんだ? この、今、頭を過った奇妙な感じは?」


 あまり考えもせず、簡単に言ってくれる零に対して小馬鹿にするような口調で即否定する久郎だったが、そこでふと、心に引っかかっていた何かが記憶の奥底より呼び起こされる。


「……そうだ。湯追に嫌疑がかけられた時、出てきた証拠の品は〝赤ずきん〟のものではなく、見たこともない黒い面とローブだった。もしそれが本当に魔犬の首領チーフ・ハウンドのものだったとしたら……」


 そして、しばしの沈思の後、その正体がなんであるのかに久郎はたどり着く。


「確かに、おまえの言う通りかもしれん……他にチーフがいるとすれば話はだいぶ違ってくる。そうなれば、当麻亜乃を〝赤ずきん〟と見てまず間違いない……クソっ! 俺としたことが大きな考え違いをしていた。とんだ固定観念だな……」


「え? ってことは、わたしの意見の方が正しいってこと? エヘヘヘ…なんか、初めてアリスちゃんを言い負かした感じでちょっとうれしいな……」


 さらに険しい顔つきでぶつくさ呟き、その後、大いに悔しがる久郎の姿に、零は後頭部を擦りながら頬をピンク色に染めて照れ笑いをする。


「別に言い負かされたわけではないがな……」


「テヘへへへ……でも、そうすると、チーフわんこはいったい誰なの? 証拠上がってるし、やっぱり湯追会長?」


 その様子に渋い顔を作る久郎だが、零はひとしきり照れると再び話を本題に戻した。


「湯追か……まず一番に除外したい人間だが、固定観念は禁物だな……ま、億万に一つ、じつは魔術師としての裏の顔があって、俺と同じ・・・・手法を使っていたんだとしたら、正義ジャスティス〟の眼を欺くことも不可能ではないかもしれないが……」


 零の言葉に、久郎はまたもブツブツ言いながら独り考え始める。


「だが、その可能性まで考慮すると除外した他の者達も全員候補に復活だな。ならば〝正義ジャスティス〟の判断はあまり当てにせず、優先条件としてはこちらの動きを事前に読むことができ、なおかつそれをうまく利用できた人物となると……ん? そういえばあの日、瀬戸が飛び降りる前に……いや、もしそうならば証拠の黒い面も……そうか。そういうことか……」


 するとあまり間を置かずして、一見、無関係に思えていた様々なピースが彼の頭の中で段々に繋がり始めた。


「一人だけ、ごくごく自然を装い、状況を自分達の都合のいい方向へ持って行けた人物がいる……その上、校内の情報を一手に集められ、秘密クラブの主催者としての器も充分……おそらく、そいつが魔犬の首領チーフ・ハウンドだ」


「ええっ! 正体わかったの!?」


 いつもながら、さらりとしてくれる久郎の爆弾発言に、零は目をまん丸く見開くと跳び上がるほどに頓狂な声をあげる。


「だ、誰なの!? 誰がチーフわんこなの!?」


「ああ、それはな……いや、まだその確証はない。まずは確かめてみんことにはな……」


 尋ねる零に即答しようとした久郎であるが、彼女の顔を見るとなぜか眉間に皺を寄せて、渋い表情で言葉を濁らす。


「とりあえず、まずは〝赤ずきん〟――当麻亜乃だ。一つ、いいことを思いついた。明日、さっそく仕掛けてみるつもりだ」


「あ、あの、それじゃ、わたしも…」


「いや。今度という今度はダメだ。多少荒っぽいことをするからな。下手すれば、おまえも一緒に三人で心中することにもなりかねん」


 案の定、今回もついて行きたいと言い出す零の口を、久郎は手を差し出してその前に制する。


「し、心中っ!?」


「そうならないための用心だ。当麻亜乃にしてもなるべく無傷ですませたい。作戦に支障が出るからな……で、その代りと言ってはなんなんだが、おまえにはちょっとやってもらいたいことがある」


 いつもながらさらっと怖いこと言う久郎に零は顔を強張らせるが、彼は補足するようにそう述べると、意外にも彼女に助力を求める。


「……え? やってもらいたいこと? ……って?」


「なあに、目には目を、歯には歯をだ。これもまた因果応報……こちらも同じ戦法でいかせてもらう」


 予想外の申し出に目をまん丸くして驚く零に対し、久郎は不敵な笑みを浮かべると、飲みかけの〝餡子入りコーヒー〟へ再び口を付けた――。

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