Ⅸ 「恋人達」の夕べ

Ⅸ 「恋人達」の夕べ(1)

 その翌日の放課後……。


「――瀬戸の他にメンバーと見て間違いなさそうな候補者は四人。三年壱組の別当絵莉紗べっとうえりさ、弐組の的午貞悟まとうまていご、二年壱組の知戸礼ちどれい、参組の漬海緑しかいみどりだ」


 零と久郎は話しながらも足は止めず、今の時期ではまだ水泳部も使っておらず、学校の敷地内でも特に人気ひとけのない教室棟裏にある屋外プールへと向かっていた。


「なんか、みんな、それなりに有名な人達だね。派手なエピソードがあるというか目立つというか……」


 速足で歩く久郎の後を追いかけながら、零がその著名な顔ぶれに呟く。


「だろうな。それがまさに勝ち犬倶楽部メンバーの証拠だ。いずれも不自然なほどに恵まれた人生を送っている。ま、瀬戸の話だと、各々が相互に正体を探り合うのもタブーだったようだから、自分以外のメンバーについては誰がそうなのか知らんと思うが、こちらとしては一人でも捕まれば事は足りる……だが、瀬戸の事件があった後だからな。裏切り者への粛清を恐れて正攻法では話をしてくれん。なんで、その内でもとりあえず一番騙しやすそうな別当絵梨紗を呼び出すことにした。今から会いに行くのはそいつだ」


 零の呟きに、久郎は背後を振り返ることもなく、進行方向を向いたまま淡々とそう答える。彼らは今、その会う約束をした場所へと向かっているのである。


「別当さんって、あのモテモテクィーンの別当さんだよね? 超お金持ちのお嬢さまでそこそこの美人だけど、ちょっと性格に難ありっていうか高飛車っていうか、お嬢さまだけにワガママっていうか……」


「そうだ。なのに男子にはモテモテで、下僕の如く奉仕する色惚けどもが後を絶たないようだな。金持ちの美人という条件を考慮しても、これはちょっと異常な状況だ。だが、誰かがカテゴリ〝恋人達ラバーズ〟の魔術――即ち無意識の内に誘惑の暗示をかけるテンプテーション・・・・・・・・の能力を付与したと考えれば納得がいく……というか、ほら、また歩きスマホしてるぞ? 気をつけろと前にも言っただろ?」


 やはり前を向いたまま答える久郎だが、ちらと横目で後方を覗うと、零は器用について来ながらも、いつの間にやらスマホを弄くっている。


「あ、ごめん。なんか、無意識につい……」


「無意識って……完全にスマホ依存症だな。その内、ほんとに怪我するぞ? ……よし。どうやら餌に食いついてくれたようだ。二人きりの方が話がしやすい。おまえはどこか、そこら辺に隠れていろ」


 そんな現代っ子の零に今回も年寄り臭く苦言を呈した後、久郎は不意に立ち止まり、地面より1.5mほど高くなったプールの壁際に佇む一人の女生徒を遠目に確認してからそう指示を出す。


「うん、わかった。でも、相手はあのモテモテクィーンだし、アリスちゃんまでミイラ取りがミイラになったみたく別当さんに恋しちゃったりしないようにね?」


「フン。誰があのような性悪女。俺はM男ではないし、テンプテーションの魔術も俺には利かんからな……」


 素直に頷き、近くの木陰に隠れる零の忠告に、久郎はそう鼻で笑うとその女生徒の方へと足早に近づいて行った。


「待たせたな、別当絵梨紗。悪いが、その手紙で呼び出したのは俺だ」


 まるで愛の告白の現場を覗き見するかのように、なぜか自分の方がドキドキしながら零がこっそりと見守る中、そのカールした栗色のツインテールをゴージャスに垂らす、いかにもお嬢さまな風貌の別当に久郎が声をかける。


「あっ! あなた! こ、このラブレターはあなただったのですの!?」


 すると、別当はパッチリとしたお目々をまん丸くして、持っていた封筒を突き出しながら驚きの声をあげた。


「ら、ラブレターっ!? …はっ! ……も、もしかして、ほんとに恋しちゃったの?」


 また、その言葉には零も思わず声をあげ、慌てて両手で口を塞ぐ。


「こうでもしないと、さすがに会ってはくれんと思ってな。愛の告白かと期待させてしまったことは謝る……いや、勝ち犬倶楽部の恩恵で、男に不自由していないおまえではもう期待もせんか」


 だが、そんな素振りは微塵も見せず、その顔に不敵な笑みを浮かべながら、唖然としている別当に久郎は軽口を叩く。どうやら本気でラブレターをしたためたわけではなく、粛清を恐れて久郎との接触を避ける彼女をおびき出すための作戦だったようだ。


「な、なんのことですの? た、確かにわたくしは男子にモテますけれど、そんなワンワンクラブのことは知りませんわ」


「いいや。よーく知っているはずだ。おまえが戌の日の夕刻、大噛神社へ行ったことはもう調べがついている。そこで、おまえは魔犬の代りに赤いローブに白い犬の面を着けた人物と会ったんだろう? 勝ち犬倶楽部への入会を勧める、赤ずきんの魔術師にな」


 ひどく動揺しながらも、それでも惚けようとする別当に対し、久郎はさらに畳みかける。


「だ、だから知らないと言っているでしょう? そ、それに、前にも言いましたけれど、わたくしはそのような所になど一度も行ったことは……」


「なあに。別にそんな必死に誤魔化そうとする必要はない。今日はおまえにではなく、おまえの潜在意識・・・・に話を聞くつもりだからなっ!」


「きゃっ! …な、何をなさるの……こ、こんなところで、ダメですわ……」


 あくまでもシラを切ろうとする別当に対し、久郎は不意に詰め寄るとプールの壁にドン! …と手を突いて、彼女の顔へ自らの顔を急接近させる……傍から見れば、それは女子憧れのいわゆる〝壁ドン!〟というシチュエーションだ。


 あ、アリスちゃん、な、何やってるの!?


「さあ、俺の目をよーく見ろ。ほら、見ている内にだんだんと体の力が抜けて、気が楽になっていくだろう?」


「あ、あん……そんな、ダメ……」


 少女漫画の一場面のようなその光景に、いっそう胸をドキドキさせながら赤面した零が注目する中、久郎は別当のつぶらな瞳を覗き込み、催眠の暗示をかけ始める……超近距離に迫る美男子の瞳への集中と、その言葉による誘導によって、段々と別当は催眠状態へと陥ってゆく。


「さあ、正直に答えるんだ。おまえは戌の日に大噛神社へ行ったな? そして、勝ち犬倶楽部のメンバーになったんだな?」


 そして、彼女の催眠が充分深くなるのを待ってから、いよいよ本題を彼女の浮上した潜在意識に対して尋ね始める。


「……ええ。わたくしは……あの日、大噛神社に…んぐっ!」


 ところが、ようやく正直に本当のことを語り出そうとしたその刹那、彼女はビクンと体を震わせ、そのままの格好でなぜか石のように固まってしまう。


「……? ……おい、どうした? ……別当、どうしたんだ!?」


 その異変に気づき、久郎は彼女の体を揺すって声をかけるが、本当に石の彫像か蝋人形にでもなったかのように、別当は同じ姿勢のままピクリとも動こうとしない。


「あ、アリスちゃん!? いったいどういうこと!?」


 その並々ならぬ雰囲気に零も木陰を飛び出すと二人のもとへと駆け寄り、興奮した様子で久郎に尋ねる。


「チッ……やられた。おそらくカテゴリ〝戦車チャリオット〟――後催眠だ。前もって暗示をかけておいて、もし俺に口を割らされそうになった場合、自動的にこうなるよう仕掛けられていたんだ」


「ええっ!? ……暗示って、別当さん、石みたいになってぜんぜん動かないんだけど……も、もしかして、し、死んじゃったの!?」


「いや、死んではいない。感覚支配で全身の筋肉が硬直させられているだけだ。だから一見、死んだように動かなくとも、一応、今も意識はあるだろうな」


 まるでメデューサの眼を見て石化したかのような別当の姿に零は慌てるが、久郎は彼女を観察しながら冷静な口調でそう説明をする。


「そっか。生きてるんだ。ハァ、よかった~……でも、あんましよくもなさそうだね。こんな風になっちゃって、別当さん、大丈夫なの?」


「まあ、これで死ぬことはないだろうし、いずれ解けるとは思うが、このままここに放置するわけにもいくまい。無理矢理暗示を解こうとして、何か他に仕掛けられていても余計に危険だ。やむを得ん。救急車を呼ぶぞ」


「う、うん! あたし、電話するよ!」


 淡々とそう答え、固まった別当の肩を担いで歩き出す久郎に、零もスマホを取り出すと、手早く操作しながら彼の後を追った――。

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