Ⅷ 「正義」の強権(3)

「――ハグっ…もごもご……まず答えろ。なぜ、勝ち犬倶楽部のことを宍戸に話した?」


 遠く北アルプスの稜線が紫に染まる夕べの時刻、花見に訪れた大勢の市民達の雑踏を横目に、どこか不機嫌そうな様子の久郎がりんご餡のかかった三色団子を食らいつつ零に尋ねた。


 高地性気候で春なお肌寒い辰本では、桜前線が頭の上を通り越し、青森辺りまで行ったところでようやく花見の季節となる。


 先週末辺りから咲き始めた辰本城の桜はちょうど満開であり、今しがた始まった夜間ライトアップによって、よりいっそう幻想的な、むせかえるほどの妖艶なピンク色に城内は包み込まれている……現在、久郎と零は城の本丸庭園に設けられた茶店の緋色の茶席に座り、名物〝リンゴ団子〟三色お花見Ver.をお茶受けに、一応、お茶しているところなのだ。


「だって、先輩に相談すればなんとかなるんじゃないかと思って……話したら先輩、任せてくれって言ってたし……」


 だが、そんな美しい景色も楽しもうとはせず、いつも以上に厳しい口調で詰問する久郎に、零は手にした抹茶の茶碗に視線を落したまま、ぼそぼそと気拙そうに言い訳を口にする。


「その結果がこれだ。問題が解決するどころか、余計ややこしいことになってしまった。湯追が〝魔犬の首領チーフ・ハウンド〟の容疑で引っ張られるとは呆れて物も言えん。いずれにしろ、こうなった遠因はおまえにある」


「わたしだって、まさか湯追会長が疑われるなんて思わなかったよぉ……警察や先生にも言えないし、わたしはただ、なんにもしないで知らんぷりしてることに堪えられなかっただけなんだよぉ……」


 美しい夜桜を前にお茶しているというのに、茶店の傍らで客引きをしている北アルプスとアップルをかけ合わせた辰本のご当地キャラ〝アルプルちゃん〟の陽気な動きとは対照的に、二人の間にはひどく陰険な空気が流れている……原因はもちろん、お昼の一件で明らかとなった零の勝手な情報リークである。


 突然、宍戸達風紀委員によって生徒会室へ連行された後、昼休みの終了と同時に一旦は解放された湯追であるが、放課後になると彼が密かに立てた逃亡計画を実行に移す間もなく、再び事情聴取のために有無を言わさず連れて行かれてしまった。


 おそらく今、この時間にも、湯追は公安警察の取り調べバリにキツく絞り上げられていることだろう……。


 また、それとは別に千代や珠子、さらに久郎と零も生徒会室に呼ばれ、一人づつ聴取を受けさせられた。


 まあ、こちらはすぐに終わったし、皆、一様に湯追の無実を訴えるのに終始して、久郎に到っては〝史郎〟と入れ替わったので何も知らずに話が通じない有様だったが……宍戸はオカルト研究会…特に千代にも疑いの目を向けている。


 これもまた、零が湯追を救うためとはいえ、迂闊にも〝赤ずきん〟の情報を漏らしてしまったせいである。


 そんな反省もあり、放課後の事情聴取後、〝史郎〟と再び入れ替わってもずっと憮然とした顔でなんだか怒っている様子の久郎に許してもらおうと、零は辰本名物リンゴ団子を奢ることを餌に、ちょうどやっていたお城の夜桜祭りに彼を誘ったのだった。


「ま、おまえが宍戸にしゃべることは想定できたのに、そのまま放置しておいた俺も俺だがな。それに謎の密告で湯追がしょっ引かれるのは完全に想定外だ。それに関してはおまえばかりを責められん……にしても、高だか風紀委員長のくせに密告一つでこんなことまでするとは……宍戸がそういう猪突猛進なアホウだとちゃんとわかって話をしたのか? あいつをずっと好いていたんなら、それくらいわかるだろ?」


「アホウだなんてひどいよお~……まあ、確かにそうかもしれないけどぉ……ってか〝好いてる〟だなんてもお~っ! そんなはっきり言われたら照れちゃうよぉ~!」


 ややトーンダウンしつつも、なお嫌味を言う久郎に、当初はヘコんだ様子で反省の色を見せる零だったが、その乙女が思わず過敏に反応してしまうようなフレーズを聞くと、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに身悶える。


「………………」


「……でも、もしかしてほんとに湯追会長がチーフなんとかなのかな? あのローブとお面も見つかってるし……」


 そんな零を久郎が白い眼で見つめていると、彼女は不意にその奇妙な動きを止め、真面目な顔になってその疑念を呟く。


「んなバカなことがあるかっ! あのトンデモ系にそんな役回りが務まるわけがない! ハグっ…!」


 すると、苛立った様子で久郎は声を荒げ、ヒドイ言い様ではあるが、その可能性をきっぱり否定してリンゴ団子へまた食らいついた。


「モゴモゴ……あの〝赤ずきん〟は明らかに女だぞ? それにあのローブと犬面はだった。どう考えても湯追ではない。よしんば、あの証拠の品が本物だったとしても、チーフではなくただのメンバーだろう」


「じゃあ、やっぱりお千代さんが赤ずきんちゃんってことは? 宍戸先輩の説とは逆に、それでチーフなんとかなら、湯追会長がただのメンバーとしても一応、筋は通るような……」


「うむ……その可能性もないではないが、やはり〝正義ジャスティス〟の心眼で見るに違うような感じを受ける。赤ずきんは化学的なカテゴリ〝魔術師マジシャン〟を得意としているが、川船は見たところ、占星術や西洋近代魔術なんかのオーソドックスないわゆる魔術・・・・・・に興味があるようだしな。その点もヤツとは異なる」


 千代への疑いについても零は尋ねるが、それにも久郎は首を傾げ、湯追の時よりはやや弱いにしろ、同じくその可能性にも否定的な言葉を口にする。


「それよりも問題はその密告というやつだ。おまえが宍戸に話した直後でのこのタイミング……明らかに俺や宍戸達をミスリードさせようとしての細工だろう……ま、んなチンケなデマに騙されはせんがな」


「え!? それってもしかして、あの密告もわんこのクラブの仕業ってこと!?」


 さらに生徒会への密告からして疑わしいと述べる久郎に、零は今さらながらに驚いて、周囲の目も気にせずに思わず声をあげる。


「もしかしなくてもそうだ。他に何がある? ヤツらはそうしたデマ情報をリークすることで湯追を犠牲スケープゴードにし、皆の目を真実から逸らそうとしているんだ。おそらく警察や学校側はただの都市伝説と一笑に付すだけだろうが、予想外にも宍戸や生徒会はあの食いつき様だし、ウワサ好きな者達の口を介して生徒達の間にはすぐに話が拡がるだろうからな」


 目を丸くする零を久郎は呆れたような顔で見つめ、明らかに怪しい密告の意図を親切にも説明してくれる。


「ああ、そう言われれば、珠ちゃんも……」


 久郎の言う通り、もうすでに現時点でもウワサはリアルタイムに拡散し続けていることであろう……うっかり事情を知っているような口振りをしてしまったがために、零はついさっきまで珠子からも質問責めにあっていたのだ。


 ゴシップ好きの彼女に知られれば、最早、公共電波に乗ったも同然である。湯追の容疑に対して否定的なのが、彼のせめてもの救いだ。


「そうなった時、事前にフェイクを用意しておけば、大衆の目を容易にそちらへ誘導できる。嘘の秘密を開示して真正の秘密を隠す魂胆だ。オカルト研究会の会長が、ついに趣味が高じて実際に秘密結社を作ったなんて話、いかにも大衆ウケしそうだからな」


「確かに……」


「もっとも湯追はあんなトンデモだし、誰も本気にはしないかもしれないが、それでウワサが自然消滅すれば、それはそれでよし。密告通り湯追を皆がそういう目で見てくれれば、それもそれでよし。いずれにしても真実をうやむやにできるというよくできた仕組みだ」


「あの密告、そこまで考えてたんだあ……」


 密告騒ぎに隠されていたそのしたたかな意図に、褒められたものではないのだが零は思わず感心したように呟く。


「うまいことしてやられた。宍戸達も思いっ切りハマってくれたし、例え俺を欺けなくとも、ほぼ目的は達成だ。ま、そもそも俺やおまえが勝ち犬倶楽部の存在を知った時点で少なからずヤツらのことが表に出る可能性はあったから、もともと用意していた筋書なのかもしれんがな。ここでそれを使ったメリットは非常に大きい」


「メリット? ……どんな?」


「ヤツらはもう人を二人も死に追いやっている。万が一にも警察や学校が〝勝ち犬倶楽部〟に興味を持つこともありえなくはないし、もしそうなった場合でも〝デンパな湯追=秘密サークルの首領説〟はその真実を一気に胡散臭くするのに最適だ。そうなれば最早、捜査する気にすらならん」


「なるほどお……さすが湯追会長! ……でも、なんか、扱いひどい気が……」


「ともかくも、おまえの軽率な行動のおかげで、ヤツらは困るどころか、むしろ大助かりだったというわけだ。まったく、大した〝愚者〟だよ、おまえは」


 感心しつつも皆の湯追の扱いに苦笑いを浮かべる零を横目に見つめ、久郎はそう嫌味を込めた言葉を口にする。


「エヘヘヘ……そんな褒められると、なんか照れるなあ……」


「褒めてない! 逆に批判してるんだ! 瀬戸の一件で参っているところへ持ってきて、これ以上騒ぎを大きくされたら、ヤツらより俺の方が大迷惑だ」


「ごめんなさいぃ……反省してますうぅ……でも、これからどうするの? 瀬戸くんがいなくなっちゃったし、さすがにもう、わんこのクラブのことは諦めるの?」


 久郎に怒られ、しょぼんと謝罪する零だったが、すぐに立ち直ると不意に気になったそのことについて彼に尋ねる。


「諦めるものか。情報提供者の瀬戸をなくしたのは確かに痛かったが、やつとの接触はただの手段であって、目的はあくまで勝ち犬倶楽部だ。まだ打つ手はある。二荒澤のおかげで他にもメンバーの可能性がある生徒を絞り込めたし、今度はそいつらを当ってみるつもりだ」


 だが、零の予想に反して久郎は意欲を失うことなく、すでに次なる手を考えている。


「あのお……怒られるのは重々承知の上なんですけどぉ……わたしも、ついて行っていいかな?」


 そんな久郎に対し、零はおそるおそる、性懲りもなくそんなことを言い出す。


「………………」


「い、いや、こんな騒ぎにしておいて、まだ言うかって感じなんだけど、それでもやっぱり放ってなんかおけないよ。今の話聞いたらなおさらだし、それに湯追会長にかかってる濡れ衣も解いてあげなきゃだし……ね、今度は相談もなしに勝手なこととかしないからさあ!」


「……ハァ、どうせそう言い出すだろうと思っていた。ダメと言っても聞き分ける気は毛頭ないのだろう?」


 厳しい表情のまま、ずっと黙って見返している久郎に零は慌てて言い訳するが、彼は思いの外すんなりと、その頼みを聞き入れてくれるような口振りをする。


「えっ!? じゃ、じゃあ、一緒に行っていいの?」


「ま、放っておいて、また余計なことされても困るからな。ただし、俺の指示には絶対従うことと、二度と他の者に知り得た情報を漏らさぬことが必須条件だ。あまり強引に因果へ干渉することはしたくなかったが、もしそれが守れなかった時は、今度こそ本当に俺とこの件に関するおまえの記憶をすべて消させてもらう。わかったな?」


 そして、パッと顔色を明るくする零に改めて釘を刺すと、平然とした顔でさらっとそんな恐ろしい威しも付け加える。普通の高校生が言ってもただの中二病発言にしか聞こえないが、本物の・・・魔術師である久郎のその言葉はガチだ。


「ゴクン……う、うん。わかったよ……」


 吸い込む夜気が重たいくらいに匂い立つ、妖艶な夜桜の花に周りを囲まれているせいなのか? なんだか久郎の顔がとても恐ろしい物ののもののように見えてきて、零は表情を強張らせると、生唾を飲み込みながら彼に頷いた――。

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