Ⅷ 「正義」の強権

Ⅷ 「正義」の強権(1)

「――どうか、うまくいきますように……」


 生徒会室の前に立ち、首から下げたペンダントの小さなガラス壺型ヘッド部を、零は祈るようにして両手で強く握りしめる。


 それは以前、当麻亜乃に作ってもらったイランイランのアロマペンダントである……ああした恐ろしい幻覚を見せる植物とは対象的に、この香りには心を落ち着かせる効果もあると、確か亜乃は言っていた。


「…スー……よし!」


 さらにその効果を期待してイランイランの甘い匂いを大きく空気とともに吸い込むと、零は意を決したように独り頷く。


 その日の放課後、零は宍戸を訪ねて、クラブ棟へ足を向けていた……。


 あの後、有荷の事件以上に学校が騒がしくなったのは言うまでもない。すぐに警察がやって来て部活は再び中止。翌日はさらに臨時休校となり、教師達はまた会議を重ねる一方、その夜には保護者への説明会も急遽開かれた。もちろん新聞やテレビのニュースでも取り上げられ、開慧高にはマスコミも詰めかける大騒ぎだ。


 生徒が病院で事故死するどころか、今度は学校内で屋上から飛び降りて死んだのだ。そのくらいの騒動になるのも当然であろう。もっとも、何者かの意図がそこに働いているなどということは誰も知る由がなく、世間も警察もただの事故か自殺としてしか見ていないのであるが……。


 だが、それほどの騒ぎになっていても、零は久郎の言葉に従い、まさにその瞬間、自分達が現場である屋上に居合わせ、瀬戸の飛び降りる姿を目の当たりにしてしまったことを誰にも話してはいなかった。無論、警察にもだ。


 確かにあの時、正直に話していたら、殺害容疑とまでは言わなくとも過失致死の疑いをかけられていたかも知れないし、それに何より、もし話したとしても、その真相はまず信じてはくれまい……なにせ、彼を死に追いやったのはこの学校に潜む秘密クラブの結社員にして、赤い頭巾と白い犬の面を付けた魔術師なのだから……。


 久郎に手を引かれ、急いで屋上から誰にも見つからぬよう逃げ出した後、瀬戸の死体を遠巻きにとり巻く人垣をさらに離れた、校舎前に植わる桜の木の影で零は彼にわかるよう説明を乞うた――。




「――俺達が行く前に、瀬戸は何者かに〝ダチュラ〟を煎じた茶を飲まされたんだ」


「だちゅら?」


 野次馬の人だかりをあのぼんやりとした眼つきで監視しながら、久郎は背後の零に淡々と答える。


「ああ。チョウセンアサガオや曼荼羅華まんだらげ、エンジェル・トランペットなどとも呼ばれる毒性植物だ。草全体に幻覚性アルカロイドを含み、摂取すると〝やってはいけない〟ことが楽しいことのように錯覚され、それを躊躇もなく実行してしまう。また、悪夢としか呼べないような、とにかくひどい幻覚を見るようになり、バッドトリップ・・・・・・しかできないことからジャンキー達にすら恐れられているドラック界の〝魔王〟だ。その危険性はこの前の〝ヒヨス〟の比ではない」


「そ、それで、瀬戸くんはあんなことを……」


「やつが飛び降りる前の言動はまさにその症状に当てはまる。床に残っていた液体の臭いからしても間違いないだろう……そして、有荷に使われたのもおそらくはこれだな」


「ああ、そういえば、有荷さんも同じように突然飛び降りて……じゃ、じゃあ、今度もやったのは……」


「無論、勝ち犬倶楽部――あの〝赤ずきん〟だろうな。俺達と接触するわずか先を越して、屋上で待っていた瀬戸の口を封じたんだ。まあ、おとなしくあんなクソ不味い毒薬飲むとも思えんし、力づくで飲ませたか、いざという時にはおとなしく言うこと聞くよう、メンバーには後催眠がかけられているのか……にしても、なぜ俺と会うのがバレた? これではまるで、こちらの行動が筒抜けになっているようだぞ?」


「わずか前に……それじゃ、もし、わたし達がもう少し早く行ってれば、瀬戸くんはこんなことにならないですんだかも……」


 久郎の言葉に、人垣を見つめたまま自問自答する彼の背後で、零はその可能性を思って後悔と自責の念に捉われる。


「それは結果論にすぎん。早く行っていたとしても、瀬戸が助かった保証はないし、これはそんなヤツらを当てにした瀬戸自身の招いた結果でもある。もしも変な責任を感じているんだとしたら、それこそ無駄だからやめておけ」


「で、でもお……ねえ、やっぱり先生とか警察に言った方がよくない?」


 そんな風に言われてもやはり気持ちは軽くならず、とりあえず何かしなければならないという思いから、零はもう一度、久郎にそう提案してみる。


「さっきも言っただろう? これはヤツらの仕掛けた罠だ。口封じとともに、あわよくば俺も殺人犯に仕立てて排除しようと思ったんだろう。そうでなくとも、警察からの聴取で俺の動きを一時的に封じられる。おまえが一緒だったのもヤツらにはむしろ好都合だ。俺一人ならともかく、おまえがバカ正直に騒ぎ立てる可能性は高いからな。あの場にいたのを誰にも目撃されなかったのがせめてもの幸いだ」


 だが、やはり久郎はそれを却下し、さらにそのことが久郎を窮地に陥れかねないと、零に改めて釘を刺した。


「それに話したところで、瀬戸が興味本位にダチュラをキメて、不運にも屋上から落ちたくらいに判断されるのが関の山だ。警察も学校も秘密クラブの関与説など微塵も信じず、捜査結果は逆に真実からよりいっそう遠のく。その行為になんらメリットはない。むしろ、ただの事故死で処理された方が瀬戸の名誉のためだ……チッ。それはそうと、犯人が様子を覗いに来ると思ったんだが、この人数では探し出せそうにないな……」


「………………」


 今しがた、人が飛び降りる瞬間を目の当たりにしたというのに、いたく冷静に状況判断をしている久郎のもっともらしいその意見に、零は彼の後姿を見つめながら、それ以上、反論することができなかった――。




 だが、そうして誰にも事実を告げず、自分の中だけに秘密を抱えていることが零にはやはり苦痛だった。


 なんだか、いろいろ割り切っていそうな魔術師の久郎と違い、零はごくごく一般人な、極めて普通の女子高生(ちょっと年齢不相応にロリ体型であるがが…)なのだ。そんな重たいものを抱えて、とても平気でなんかはいられない。


 故に、警察や教師達大人に話ができなくとも、とにかく事件解決のために協力しなくてはならないという思いに零は駆り立てられた。だが、それは正義感とか倫理観とか、純粋にそういったものからではなく、きっと、そうすることで罪悪感にそわそわする心の落ち着きを取り戻せるのではないかという、極めて利己的な理由からなのだろう。


 そして、休校明けの事件より二日後の日。ともかくも、そこで零が思いついたのは宍戸に相談することだった。


 誰よりも優しく真面目な宍戸ならば、この冗談のような話にも真剣に耳を傾けてくれるかもしれない……以前は彼にも話さない方がいいと判断した零であるが、人が二人も死亡するというこの状況に到り、彼女はそう考え直したのである。


「――なんだい? あらたまって僕に話って?」


 誰もいないクラブ棟三階の廊下で、生徒会室から呼び出した宍戸が零に尋ねる。


「あ、あの……その……」


 憧れの宍戸を前に、いざ話そうとするとやっぱり緊張してしまう。


 こんな時に不謹慎ではあるが、なんだか宍戸のその台詞が、まるで愛の告白をするために呼び出した相手みたいな感じだ。


 もしこれがほんとにそういう告白であったならば、どんなにかよかったことか……まあ、もしそうだったとしたら、もっと緊張して口も利けないだろうし、呼び出すところからしてまず零には絶対無理なのではあるが……。


「えっと……そのお……あ、そうだ! ちょっと待って下さいて……スー…」


 ともかくも、今は落ち着かなくてはいけない。零は両手でペンダントヘッドを握って鼻に近づけると、そのリラックスさせるという香りをもう一度、大きく吸い込む。


「すまないが、例の事件で今ちょっと立て込んでてね、すぐに戻らないといけないんだが……」


「そ、それが、その事件のことなんです!」


 そして、やはり学校始まって以来の大事件に忙しいらしく、今にも背を向けて生徒会室へ戻ってしまいそうな宍戸に、零は意を決すると思い切って話し始めた。


「――なるほど。それじゃ、有荷君の事件にも瀬戸君の事件にも、その秘密のクラブが裏で関与している可能性があると?」


 零の語った大まかな概要に、宍戸はいたく真面目な顔で聞き返す。


「はい。ウワサではそうしたクラブがほんとにあるみたいで……」


 零は、自分達が実際に目撃したことや久郎が魔術師としてそれを追っていることなどは伏せ、勝ち犬倶楽部の存在とその危険性、瀬戸達が関係している可能性だけを当り障りのない程度に語って聞かせた。


「わかった。こっちでも少し調べてみるよ。俄かには信じ難い話だけど、例え事件に関与していないとしても、そんな得体の知れない集団が学校内に潜んでいるとしたら、とてもじゃないが放ってはおけないからね」


 すると、予想外にも拍子抜けするほどすんなりと、宍戸はそのデンパ極まりない話を信じてくれる。


「あ、ありがとうございます! ま、まさか、こんなすぐ信じてもらえるなんて……」


「いや、風生の目を見てれば、それが嘘や冗談じゃないってことはすぐにわかるよ。こちらこそ貴重な情報をありがとう。結果、ただのウワサにすぎなくても風紀委員として当ってみる価値は充分にある」


 意外なその反応に驚いて、うれしそうに頭を下げる零に対し、宍戸はまた逆に感謝の言葉をかけてくれる。


「そ、そんな、ありがとうだなんて……わたしの方こそ、その……信じていただいて、すっごくうれしいです!」


 その優しげな言葉に、零はよりいっそう赤らめた顔をうれしそうに輝かせ、恥ずかしさを堪えながら精一杯の気持ちを憧れの人に伝える。


「ハハ…風生は大袈裟だな。とにかく調べてみるから少し時間をくれ。一応、危険がともなう可能性もあるから、この件はこちらに任せて、風生はおとなしく待ってるように。わかったね?」


「は、はい! よろしくお願いします!」


「それじゃ、また。何かわかったら連絡するよ」


 そして、久郎とはまた違った意味で手を出さぬよう、彼女の身を案じて忠告を加えると、ペコペコお辞儀する零を残して生徒会室に戻って行く。


「はぁ……やっぱり先輩相談してよかったよお~」


 目をキラキラと輝かせてそれを見送る零は、自分の判断が正しかったことを確信し、そして、宍戸が自分の思った通りの人間であったことを何よりもうれしく感じていた――。

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