Ⅶ 破戒者への「審判」(4)

「――フゥ……さて、行くか」


 本日最後の授業終了後、いつものように一旦、落ちた・・・後、〝史郎〟と入れ替わった久郎はおもむろに席を立つ。


「あ! ねえねえ、アリスちゃん! あたしの教えた中に大噛神社の都市伝説試した人いた? その後、アリスちゃんも試してみたりしたの?」


 すると、ちょうどそんな所へ珠子が寄って来て、興味津々な様子でそう尋ねた。


「ああ、まだ確実ではないし、俺は別に試す気はないが、おまえの情報のおかげで真相に迫りつつある。さすが、校内一のゴシップ好き、第一印象に反してなかなかに優秀な人材だな。今度、礼に何か奢ろう。〝因果応報〟が俺の信条なんでな」


 その問いに、重要なところはぼかしつつも、久郎はその功績を彼なりの言葉で褒め讃え、相変わらずの不愛想ながらも礼を述べる。


「え? なんかしんないけど、そんなにあたし、役に立ったの? エヘヘヘ…いや~照れるな~……んじゃあ、何奢ってもらおっかなあ~……やっぱモスマンの〝ジャージーデビル牛シェイク〟かなあ……」


「まあ、考えておいてくれ。それじゃ、俺は少々野暮用があるんでこれで……」


 だが、褒められて照れると、あれこれ妄想を巡らせ始める珠子を置き去りに、そう断りを入れた久郎はさっさと教室を後にしようとする。


「……あ! ちょっと待ってよ、アリスちゃん! 一人で行っちゃうなんてズルいよお!」


 一方、まだ二人のおしゃべりが続くと油断していたのか? 前の席でスマホを弄っていた零も慌てて腰を上げると、置いて行かれないよう小走りにその背中を追った。


「なぜズルい? 別におまえを連れて行くと約束した憶えはない。それに、スマホを弄りたいんならそっちを優先すればいいだろう? 歩きスマホをすると危ないぞ?」


「え? あ、ごめん。つい……はい! 終わったからもう大丈夫だよ!」


 廊下に出た後も無意識にスマホを操作しながら歩いていた零は、手早く指を操ってそれをすませると、苦笑いを浮かべてなおも久郎の後を追う。


「ったく、これだから近頃の若者は……」


「あ! ちょっと待ってよお! 歩くの速いよお!」


 そんな零に、久郎は年寄りのような台詞を吐くとさらに歩調を速めた。


「……ん? ああ、風生。それに……ルイス…いや、違うな。キャロル……ああそうだ! アリス君だっけ?」


 だが、そうして久郎とそれを追う零が階段を登り、教室棟の三階に到った所で、奇遇にもちょうど階段を下りようとしていた宍戸が二人を見つけて声をかけてきた。


「明らかに『不思議の国のアリス』と関連付けて記憶してたようだが、その〝アリス〟ではないからな? 漢字で書くし、名字の方だからな?」


 他の者達同様、どうしてもその〝アリス〟を連想してしまっている宍戸に、先輩であることも無視して、いつもの如く久郎はツッコミを入れる。


「どうしたんだい? 三年生に何か用かい?」


 だが、こちらもいつもの皆の反応同様、やはり久郎の文句は無視して宍戸は零に尋ねた。


「え? えっと……え、は、はい。ちょっとお……」


「ああ、そうだ! あんな事件のあった後なんで、念のため、少々込み入ったことを尋ねたいんだが……アリス君、君が例の有荷保祢のグループとトラブルになっていたという話を小耳に挟んだんだが、それは事実かい?」


 その、本当のことを答え難い質問に言い淀む零であるが、宍戸はふと思い出したように、あろうことか、さらに厄介な話題を持ち出してくる。


「うっ……」


 あのことが、よもや宍戸の耳に入っていようとは……自分達ですら忘れかけていたというのに、ここへ来てのまさかの問題発生に零は顔を引きつらせて言葉を詰まらせる。


「さあな、俺は転校して来たばかりだし、その事故死した有荷という生徒もその友人達のことも知らん。何かの間違いだろう」


 一方、さすが久郎の方は顔色一つ変えずに、さらっと嘘を口にすると正々堂々はぐらかそうとする。


「本当かい? もし転校生ってことで目をつけられたりしているんなら正直に言ってくれ。黙ってるように脅されてても心配はいらない。僕が絶対に守るから大丈夫だ」


 はぁ……やっぱり先輩、カッコイイ……。


「心遣い大変ありがたいが心配はご無用だ。俺はなんの問題もなく……いや、一人、変なのにしつこく付きまとわれて困ってはいるが、それを除けば楽しく学園生活をエンジョイさせてもらっている」


 それでも嘘を吐いていることを疑い、なおも頼もしく尋ねる宍戸に、目をハートマークにしている零のとなりで久郎は今度も無愛想に否定しようとするが、途中、思い出したように彼女の方をチラと横目で見やり、そう答える。


「付きまとわれてる?」


「ああああっ! な、なんでもないんです! なんでもぉ! た、ただ、わたしがちょおーっとお節介に、転校生なアリスちゃんのお世話をしてあげてるだけなんですよお! そ、そう! これは風紀委員としての義務なんです!」


 その視線に釣られ、キョトンとした顔で零を見つめる宍戸に、零はバタバタと手を振り回しながら、顔を真っ赤にして久郎の失言を慌てて誤魔化す。


「そ、そうかい? ならいいんだけど、有荷君達のこともあるしね。最近はなにかと暴力に走る輩が多い。何かあった時はなんでも言ってくれ。僕でよかったら、いつでも相談に乗るよ。それじゃ、また」


 そんな、どう見ても挙動不審な零に苦笑いを浮かべると、念押しにそう温かい言葉をかけて、生徒会室へでも行く途中だったのか? 宍戸は階段を下りて行く。


「は、はい! また是非ともお会いしましょ~う! ……もお! また先輩の前でなんてこと言うのお!」


「フン。偽りなき真実だ。言われたくなかったらついて来ないことだな。さて、無駄に時間を取った。先方を待たせては悪い。急がねばな……」


 一方、宍戸を笑顔で見送ってからプンスカ文句をつける零に、久郎はさも当然というように鼻を鳴らし、屋上へと続く階段を再び登り始めた。


「――ほう。どうやら先に来てくれていたらしい……そうとう焦っているな」


 階段の覆い屋を出ると、広い屋上の先に男子生徒が一人、縁部の落下防止用フェンスを背にぽつんと立っている。お昼に廊下で久郎と話していた、あの取り立ててなんの特徴もない、地味な風貌の二年男子だ。


「すまない。呼び出しておいて待たせたな。変なのが一人ついて来てはいるが、人畜無害なんで心配はない。こいつは存在しないものと思って気にしないでくれ」


「なんか、言い方が微妙に癇に障るんですけどお~」


 足を止めることなく、そのままそちらへと歩み寄って行った久郎は、その男子――瀬戸有久にそう声をかけたのだったが……。


「…クククク……ヒヒ…ヒ―ヒヒヒヒ……」


 近づくと、なんだか様子がおかしい……彼はこちらの接近に気づくこともなく、何がそんなにおかしいのか? 俯いたまま狂ったように笑い続けている。


「瀬戸? ……おい、どうした? 何を笑っている?」


 そのどう見ても正常ではない姿に久郎は目付きを鋭くして尋ねるが、彼はそれにも反応しようとしない。


「…シシシシ……あ! そうだ。いいこと思いついた……」


 それどころか急に顔を上げて笑うのをやめると、フラフラと背後のフェンスに歩み寄り、何を思ったのかよじ登り始める。


「おい、何をする気だ?」


「ここから飛び降りれば、ベタなギャグマンガみたく地面に頭突き刺さるかなあ? ……なんかおもしろそう。よし、試してみるか……アイ、キャン、フラ~イぃっ!」


「よせ! やめろっ!」


 そして、不可解な言動に慌てて久郎が手を伸ばしたその瞬間、彼はフェンスの頂から躊躇なく空へ飛び上がり、そのまま校舎の下の方へ消えて行った。


 わずか後、ドサっという低い不気味な音が遥か下の地面辺りから聞こえて来る。


「きゃっ…!?」


「チッ……」


 まるで現実味のないその予期せぬ光景に、零が目を見開き、口を両手で覆っているその内にも、久郎はフェンスへと駆け寄ると下を覗いて微かに眉をひそめる。


「キャァァァァァーっ!」


 誰か女生徒の、衣をつん裂くような悲鳴が聞こえたのはそれと同時だった。続いてわらわらと何か叫ぶような声が増えてゆき、下界は俄かに騒がしくなり始める。


「今夜の晩飯をおいしく味わいたかったら、けしてこっちへは来るなよ? ま、しばらく飯食わずにダイエットしたいって言うんなら別に止めやしないがな」


 隠れるようにフェンスから身を引くと、こちらへ足を踏み出そうとしていた零を久郎はそう言って制する。


「……う、うそ……な、なんで? どうしてこんなことに!?」


「ん? ……クンクン…この甘ったるい臭い……なるほどな。魔王が天使のラッパを吹き鳴らした・・・・・・・・・・・・・・・・ってわけだ」


 動揺を隠し切れず、何かにすがりたい一心で尋ねる零を気にかけることもなく、久郎はコンクリの床に残された真新しい染みに気がつくと、その臭いを嗅いで何やら訳のわからないことを呟いている。


「天使のラッパ? なに? どういうこと?」


「だが、やったヤツは……そうか。俺達と入れ違いに向こうから下りたか……おい。すぐにここを立ち去るぞ」


 さらに混乱して問い詰める零に、久郎は屋上の向こうの端にある、自分達が出て来たのとは別のもう一つの覆い屋を見つめながら、彼女の方を振り返りもせずにいたく真面目な声でそう告げる。


「え? ……で、でも、わたし達、飛び降りる瞬間を目撃しちゃったわけだし、先生や警察とかに言わないと…」


「何を言っている! ここに居合わせたのを偶然だとでも言うつもりか? これで自殺や事故だと思われなければ、ここへ呼び出した俺や、加えて一緒にいたおまえも関与を疑われるんだぞ!?」


 その言葉に、そんな常識的判断から反論する零であるが、久郎はどこか苛立たしげに語気を強めてその理由を説明する。


「昼間、俺が廊下で瀬戸と話す姿は大勢に見られてるだろうしな……クソっ! 嵌められた。ほら、皆がこちらへ注意を向ける前にとっととズラかるぞ!」


「えっ…あっ! ちょ、ちょっと痛いったらあ……」


 そして、いまだ動くのを渋る零の手を掴むと、強引に彼女を引っ張って、もと来た階段へと久郎は急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る