Ⅵ 暴走する「力」(4)
それから土日を挟み、明けて翌週の月曜日朝……。
「――おはよう、アリスちゃん。まだひどい顔だねえ。大丈夫?」
登校した零は自分の席に向かうと、先に来ていた後の席の有栖
「ああ、おはよう、風生さん。うん。痛みはちょっと残ってるけど、あれだけ殴られたわりには軽傷ですんんだよ。いやあ、それにしても、なんで目をつけられたかしらないけど酷い目にあったよ……」
その言葉に挨拶を返すと、史郎は不運にも交通事故に遭ったような感じで、苦笑いを浮かべながらそう答える。
「そ、そうだね。確かに大災難だよ……」
そんな
怪我も大したことなさそうだし、集団で暴力を振るわれたにしては精神的ショックもあまりないようなのでよかったはよかったが……その災難の原因を作ったのは、同じ身体を共有しているまったくの
「ま、けっこうこういうことあるんでもう馴れっこなんだけどね。なぜか、僕、身に憶えがないのにケンカ売られること多いんだ。人の恨み買うようなことはしてないつもりなんだけどなあ……」
「うっ……」
さらに不思議そうな様子でそう続ける史郎に、零は思わず渋い顔を作る。
きっと、これまでにも何度となくこういう尻拭いさせられてきたんだあ……そして、そうやって鍛えられてきたせいか、白アリスちゃんも見かけに反して意外とメンタル強い……。
「ちょっと! ちょっと! 大変だよ!」
と、そうして零が史郎への同情の念を禁じ得ずにいたところへ、駆け寄るようにやって来た珠子がかなり興奮した様子で二人に話しかける。
「どうしたの珠ちゃん? いつにも増してテンション高いけど?」
「これが落ちついてなんかいられますかってんだ!」
おそらく何かいいゴシップネタでも仕入れたのだろうと思いながらも、それでもちょっと普段とは違う雰囲気を感じながら尋ねる零に、珠子はさらに鼻息を荒くして江戸っ子口調に声を荒げる。
「三年の有荷っているでしょ? あのバッドボーイ達のリーダー格みたいなやつ!」
そして、続いて珠子の口から出たその名前に、零は一瞬ドキリとして、やはり目を見張る史郎と顔を見合わす。
なんというジャストタイミングか? 今まさに二人が話していた話題の人物である。もしや、先日の暴力沙汰の一件が誰かに目撃されていて、ウワサにでもなっているのだろうか?
「さっき学校の裏掲示板で見たんだけど、なんか、この週末に有荷とやつのグループの生徒達が全員、集団暴行受けて半殺しの目になったみたいなんだ。それで担任の先生達も大騒ぎだとか」
だが、零のその予想は大きく外れていた。珠子は何やらその件とはまったく関係のない、しかし、また別の意味で驚くべきことを語り始める。
「は、半殺し!?」
……どういうことだろ? 有荷達が史郎に暴行をはたらいた加害者だというのならわかるが、その逆に
「うん。それが驚くべきことにも、偶然一人一人が同時多発的に事件に巻き込まれたらしいの! 全員一緒にいたわけじゃないんだよ? ある者は他校の不良グループに絡まれ、ある者はバイクで走行中、暴走族と遭遇。ある者は肩がぶつかって文句つけた相手がカタギの人じゃなかったり…ってな具合にね。だから場所も相手もみんな別々にだけど、結果、同じ目に遭ったんだよ? こんな偶然ってあるわけ!? いわゆる〝シンクロニシティ
〟てやつじゃない!?」
不思議そうに語る珠子の話に、再び零は史郎の方をちらりと覗う。
「へえ~そんな偶然の一致が……まあ、素行悪そうだったし、そういうトラブルに巻き込まれやすいんじゃない?
すると、何も知らない史郎は膏薬の貼られた頬を擦りながら、字面通りの一般論的にそう答えていたが、その口にした四文字熟語に零はまた違った意味合で思い当たる節があった……。
「あれ? アリスちゃん、その顔どうしたの? まさか、アリスちゃんまでシンクロニシティ!?」
「ああ、いやあ、ちょっとね……」
……そうか。これがこの前言ってた〝因果応報〟ってやつなんだ……だからみんな、アリスちゃんにしたのと同じように、一人でいるところを大勢で寄ってたかって……。
今さらながらにも彼の
今回の場合は普通ではありえないくらいに極端な例であるが、そこは「特に俺の関わる場合は…」と言っていたように、久郎が魔術師であることと何か関係しているのだろう……そういえば、〝ある種の魔術〟だとも言っていたし……。
しかし、俄かに信じ難い話ではあるものの、そのように魔術的な意味合いで零が納得したのも束の間、それを覆すようなことをさらに珠子は告げる。
「って、そんなことよりもだよ! しかも、話はそれで終わりじゃないの! 全員大怪我してから救急車で運ばれて、それぞれ病院に入院してたんだけど、土曜の夜、有荷だけはその入院してた五階の病室から飛び降りて、そのまま打ちどころ悪くて死んじゃったんだって!」
「…!?」
それには、史郎はもちろんのこと、裏の事情を知っている零も顔色を変える。
史郎に対しても同じことをしたのだから、暴力を受けるのはまだ仕方ないとしても、まさか命までとるだなんて……。
「えっ!? 亡くなったの!? なんか、それは因果応報とか、ちょっと言いすぎちゃたな……」
それが魔術師というものなのか? 久郎の容赦のなさに恐ろしさを感じ、蒼褪めた顔で再び彼の方を覗うと、〝史郎〟である彼は善良な小市民らしく、たいへん気まずそうに眉を「ハ」の字にして前言を撤回しているが……その顔の裏に潜む〝久郎〟の方は、今、どのように思っているのだろうか?
やりすぎたと少しでも反省しているのか? ……それとも、その仕掛けた魔術がうまくいったと、密かに独りほくそ笑んでいるのか……?
「でも自殺じゃないみたい。なんか、突然発狂して窓から飛び出しちゃったらしいよ? ありえない偶然の一致といい、もしかして何かの呪い? それとも、なんらかの組織の陰謀かウエストサイドストーリーみたく町のギャングの抗争? あああ、こうしちゃいられないよ! あたし、ちょっと情報収集に行って来るうっ!」
そうして、それぞれに愕然とする二人を
「あっ、珠ちゃん! ……って、黒アリスちゃん!?」
一瞬遅れて珠子を呼び止めようと腰を浮かす零だったが、そのとなりで立ち上がった彼を見れば、その表情はいつの間にやら〝久郎〟のそれに変わっており、いそいそと荷物をまとめると珠子の後に続こうとしている。
だが、意外なことにも、どうやら彼もこの事態に驚いているような雰囲気を醸し出している。
「今日はこれで帰る。教師達には具合が悪くなって早退したと言っておいてくれ」
「あ! ちょ、ちょっと待ってよ!」
そう言葉を残してさっさと廊下へ向かう久郎を、零も慌てて追いかけた。
「ねえ、その……有荷さんが亡くなったのも、やっぱり、黒アリスちゃんの魔術の……」
かなりの速足で廊下を進む久郎になんとかついて行きながら、零はおそるおそる尋ねる。
「俺はそこまでは望んでいないし、これは因果応報の範疇を超えている……どうにも何かがおかしい……」
だが、久郎は零の方を振り返ることもなく、進行方向を向いたまま、彼女の恐れていたその推測をきっぱりと否定した。
「じゃ、じゃあ、アリスちゃんがやったんじゃないんだね! ハァ…よかったあ~……あ、人が亡くなってるのによくはないけど……」
「確かによくはないな……いいか? 前にも言った通り、〝因果応報〟とはその原因に対して、それ相応の結果があるということだ。『ハンムラビ法典』風にいえば、目には目を。歯には歯を……それ以下でもそれ以上でもない。あの有荷というやつはもちろん俺を殺してはいない。だから、因果応報がなされたとしても死ぬことはないはずだ。にもかかわらず、やつは不審な死を遂げた。となれば、別の何者かが因果に介入したとしか思えん……」
思わず安堵の溜息を吐き、すぐに不謹慎だったと反省する零に対して、彼女とはまた違う意味でこの事態を憂いている久郎は、どこか苛立たしげな様子でそう答える。
「別って……つまり、アリスちゃんの他に誰かが魔術を使って、有荷さんを死に追いやったってこと? ……って、まさか!?」
「ああ。なぜ、有荷達が俺…というか、俺だと誤認している〝史郎〟にヤキを入れた思う?」
核心的なそのことに思い至り、驚きの声を上げる零に久郎は訊き返す。
「なぜって……生意気で超ムカつく、殴らずにはいられないクソ野郎だったから?」
「…………あいつらは、俺が大噛神社に行った者について調べてることを気にかけていた。普通に考えれば、そこらの不良が気にするとも思えない類の事柄だ」
ちょっとケンカ売ってるようなその答えに、久郎はしばし零のことを斜目に睨むと、あえてそれには触れずに前を向き直って答える。
「ま、やつらがメンバーとも思えんし、どういった繋がりなのかは知らんが、裏で〝勝ち犬倶楽部〟が糸を引いていたと見た方が自然だろうな。もっとも、今の今まで俺もそう深くは考えずにいたんだが……迂闊だった。なんらかの口封じをされたのかもしれん」
「口封じ……」
そのなんとも恐ろしい響きの言葉に〝勝ち犬倶楽部〟が実は自分の思っていたようなお気楽なものではないのではないか? と今さらながらに思い直し、零は血の気の失せた顔でぼそりとその言葉を繰り返す。
「俺はこれから有荷の入院していた病院や他の仲間の所を回って話を聞いて来る。おまえはそろそろ教室へ戻れ」
そう告げる久郎の声にふと気がつくと、いつの間にやら昇降口にまで歩いて来ていた。
「わ、わたしも行く!」
「邪魔だ。ついて来られても困る。それに早く戻らんと授業が始まるぞ? それとも、授業をサボっておまえまで怒られたいのか?」
素早く靴を履き替え、出て行こうとする久郎に零は慌てて同行を申し出るが、彼は顔だけで振り向くと、冷たく突き放して意地悪にそう尋ねる。
「うっ…それは……」
「じゃ、早退の件、よろしく頼む」
その脅し文句に一瞬怯んだ隙を突き、久郎は後ろ手に手を振りながら、零にそう言い残してさっさと帰って行ってしまった。
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