Ⅵ 暴走する「力」

Ⅵ 暴走する「力」(1)

「――ふふふんのふ~ん♪ やった~! 最強の恋のお守りげっとだよお!」


 30分ほど後、緑色の小さなガラス壺のような形をしたイランイランのアロマペンダントを胸元で揺らし、零は廊下をスキップしながら独り浮かれまくっていた。


「超優等生科学部員・当麻さん監修の惚れ薬アロマペンダント。スー……なんか、ほんとに宍戸先輩を振り向かせられそうな気がして来た! あ、そうだ! アリスちゃんにも見せてあげようっと!」


 そして、ふと立ち止まり、その綺麗な緑色に透けるペンダントヘッドをまたも鼻に押し当てて匂いを嗅ぐと、そう思い至って再びスキップで歩き出す。


「この時間なら、たぶん、あそこかな?」


 零が向かったのは八角塔だった。零の知る限り、放課後、日が暮れるまでの間はあそこで校内を見張っているはずだ。


 現在、周囲の特別教室内では部活の真っ最中であるが、廊下には彼女以外、生徒の姿は見られない……それでも左右を見て念のために確認すると、音楽室から響いてくるくぐもった吹奏楽部の演奏を聞きながら、零はいつもの如く〝不開あかずの扉〟をこっそりと開けた。最近ではいっそう大胆になり、久郎が解錠しっぱなしにしているので鍵はかかっていない。


「アリスちゃ~ん♪ ……あれ? いない」


 同じくいつもの様に、若干、目を回しながら螺旋階段を登り切り、弾んだ声で彼の名を呼ぶ零だったが、今日に限ってそこに彼の姿はなかった。


「ぜったいここだと思ったのになあ………トイレかな?」


 予想が外れ、小首を傾げる零であるが、それでもせっかく塔へ登ったからには夕暮れの素晴らしい景色を眺めて行こうと窓辺に歩み寄る。


「相変わらず絶景かなだねえ~。なのに立ち入り禁止にしてるなんてもったいないよ……ん?」


 だが、橙色オレンジに染まる桜の頃の街並みにしばし見惚れ、パーンして教室棟の方へ視線を移したその時のことだった。


 瓦葺の管理棟とは違い、教室棟の方にはフラットな屋上が設けられていて、そこには生徒達も自由に出られるようになっているのだが、その屋上に数名の人影があるのに零は気づいた。しかも、どうやら一人の男子生徒を数人が囲み、殴ったり、蹴ったりと暴力を振るっている様子である。


「あわわわ! た、大変……って、あれ、アリスちゃん!?」


 さらに目を凝らしてよく見ると、その暴行を受けている生徒は久郎のようなのだ。対する彼を囲んでいる生徒達は、普段から素行が悪く、バッドボーイとしてよく知られている札付きの不良グループである。


「ど、どうして、アリスちゃんが……な、なんとかしなきゃっ!」


 思いもよらぬ友人のとんでもない事態に、零は慌てて踵を返すと、現場へ向かうために螺旋階段を全速力で駆け下り始めた――。




「――あうっ…!」


 思いっ切り頬に右フックを食らった有栖史郎・・が、その衝撃に屋上の床へ勢いよく倒れ込む。


「転校生、もう一度訊くぞ? オレらの島でなにこそこそ嗅ぎ回ってんだ? ああん?」


 口端から流れる血を手の甲で拭い、よろよろと立ち上がろうと立て膝を突く彼を見下ろしながら、極短の丸刈り頭に剃り込みを入れ、サングラスのようにスモークの入ったメガネをかける人相の悪い男子生徒がドスの利いた声で尋ねる。見た目、もう高校生ではないが、彼がこの不良グループのリーダーであり、開慧高校一番のワルとして恐れられている三年の有荷保祢あるがやすねだ。


「そ、そんなことしてないって言ってるじゃないですかあ! な、何かの誤解ですよお!」


 史郎はその人相の悪い顔を涙目で見つめ、わなわなと脚を戦慄わななかせながら、凄む有荷に必死に訴える。


 別に彼は嘘を吐いてはいない……勝犬倶楽部について調べているのは〝久郎〟の方であって、本当に〝史郎〟は何も知らないのだ。


「ネタはあがってんだよ。転校早々、うちの生徒に因縁つけた上に、先輩に対して口ごたえか? どうやら礼儀がなってないらしいな……おい。こいつにちょっと礼儀ってもんを教えてやれ」


 だが、そんな複雑な事情を知る由もない有荷は、仲間達に命じると再び彼に対しての暴行が始まる。


「おら、しっかり立てやコラ!」


「調子に乗ってんじゃねえぞ、コラッ!」


「……うぐっ! ……はうっ! ……」


 古風なリーゼントと黒髪をオールバックにした者が左右から久郎を抱えて立ち上がらせ、パンチパーマのやつが史郎の腹に思いっ切り拳の一撃を食らわせる。


「てめえ、有荷さんに向かって失礼なんだよおっ!」


「新入りってのはもっと慎み深くしてねえとなあっと!」


 さらに、スキンヘッドやチャラい耳ピアスいっぱい、金の短髪といった明らかに不良スタイルな他三名も、続け様に殴る蹴るの暴行を史郎に加える……にしても、魔術師であり、闘い慣れした〝久郎〟の方ならば、こんなやつら簡単に撃退できるはずなのに、なぜか彼は入れ替わろうとせず、非力な〝史郎〟は何をされてもされるがままだ。


 一旦、三階に下りて教室棟へと渡り、再び階段を登って零が屋上へ到着したのはその頃のことだった。


「…はぁ……はぁ……た、助けなきゃだけど……でも、どうしよう……」


 幸い、屋上へ出るための階段から彼らの位置までは離れているため、覆い屋のドアを開けて現れた零に誰も気づいてはいない……全力疾走で駆けつけた零は肩で息をしながら、こっそりその様子を覗いつつ、史郎を助けるための算段を今さらながらに考える。


「うう……勢いで来ちゃったけど……やっぱり怖いよお……」


 だが、邪魔をすれば自分にも何をするかわからない乱暴な不良達を前に、やはり足が竦んで震えてしまう。


「だ、だけど、もし宍戸先輩だったら……」


〝おまえら、弱い者いじめはやめろっ!〟


 そんな零の脳裏に、あの日、宍戸が発した忘れえぬ言葉がふいに思い出される――。

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