Ⅴ 「女帝」の実験(2)
「――今、準備するから、そこに座ってちょっと待ってて」
他には誰もいない、普段、授業で来る時よりも遥かに広く感じる静かな第二理科室へ入ると、亜乃は零をそこに残し、独り理科準備室へと通じるドアの中へ入って行く……そして、何やら陶器の壺のような物を抱えて戻って来ると実験用の机を挟んで零の対面に座り、その壺のようなものを机の上に設置した。
よく見ると、それは上部がカップのようになっていて、その下には小さな竈のように横穴が開いており、そこで火が燃やせるような仕組みとなっている。アロマテラピーで香油を気化させるのに用いるオイルバーナーというやつだ。
「アロマペンダントを作る前に、まずはその香りを嗅いでもらおうと思って。これはイランイランのアロマオイルよ」
細長い小さなガラス瓶の蓋を開けると上部のカップに香油を注ぎ、手慣れた手つきでライターを擦りながら亜乃は言う。
「要らん要らん? ……ううん! 要るよ! 是非とも惚れ薬が要り用だよ!」
「そうじゃないわ。そういう名前のバンレイシ科の植物よ。自律神経に働きかけてリラックスさせるとともに、ホルモンバランスを整える効果がこの香りにはあるの。でも、あなたが望んでいるのはその催淫作用の方ね」
いつもながら勘違いしてぷるぷると首を横に振り、もらえなくなっては困ると強く切望する零に対して亜乃はそう説明をする。
「さいいん?」
「イランイランの香りは性衝動を引き起こすテストステロンに似た物質を含んでいるのよ。つまり、この香りを嗅いだ相手はセックスがしたくなるってわけね。それで、恋をかなえる惚れ薬と云われているの」
「せ、せ、せ、せっ!? …あ、あたしはそんな……べ、別に先輩とそういうことがしたいわけじゃ……」
さすが論理的思考の科学少女といったところか? 同じ年頃の女子達のように頬を赤らめて恥じらうこともなく、そんな口に出すのもはばかられるようなことを平気で言い放つ亜乃の態度に、言われた零の方が逆にトマトの如く顔を真っ赤にして、しどろもどろになって必死に否定をする。
「でも、最後に行き着くところはそこでしょ? 別に恥ずかしがることなんてないわ。恋愛なんて、所詮、人間に生殖行為をさせるために遺伝子が仕組んだ戦略に過ぎないんだから。それとも、あなたの本能が相手のDNAを求めるほどには真剣に思ってないってことかしら?」
だが、亜乃はやはり顔色を変えず、冷静な口調でさらに味もそっけもない言い方をする。
「うっ…そういう風に言われると、なんか、あんまし恥ずかしくなくなってくるな……」
「さ、オイルが気化してきたわ。嗅いでみて。これがイランイランの香りよ」
そうこうする内にも、なんだか香水みたいにいい香りが周囲の空気の中に混ざってきた。
無論、その出所は目の前で焚かれるオイルバーナーである。なんというか、ジャスミンと柑橘系の混り合ったような、そんな爽やかな香りだ。
「どう? これを嗅いでるとなんとなくリラックスしてくるでしょ?」
「うん。いい香り……確かに心がほわ~って感じになるね。これなら、ほんとに惚れ薬になりそうな気がするよ」
自然と目を閉じ、吸い込んだその甘い香りを鼻腔に感じながら、零は亜乃のその言葉に心地良くそう答えった――。
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