Ⅴ 「女帝」の実験

Ⅴ 「女帝」の実験(1)

「――何度言えばわかる!? それどころではないといってるだろう?」


「いいじゃん、ケチ~。ちょっとぐらい教えてくれてもお~」


 あれから三日後の金曜の放課後、授業が終わると〝史郎〟と入れ替わり、廊下を早足で歩く〝久郎〟はまたしても零につきまとわれていた。


「俺は例の調べ物で忙しいんだ! なんで、おまえの世話までせねばならん!」


「だって、最近、よくアドバイスしてくれてるし。だからあ、今度は魔法のアドバイスってことでえ~。簡単なおまじないでいいからさあ~」


 足を止めることもなく、なんとか追い払おうと冷たくあしらう久郎であるが、零も負けじとなおも諦めずにすがりつく。


 その目的は本物の・・・魔術師・久郎に、本当に利く〝恋のおまじない〟を教えてもらうことだ。


「チッ…親切な振りをする戦法が裏目に出たか……」


 さらに歩速を速めながら、零に聞こえないよう久郎は小声で呟く。


 何かと付きまとい、無邪気に人の邪魔をしてくれようとする零をどうにか言いくるめて煙に巻こうと、ここのところ久郎は彼女の〝恋する乙女〟な弱みを利用して、「親切にアドバイスするかに見せて自主的にご退散を願う」作戦をとっていた……ところが、調子に乗ってやりすぎたのか? すっかり相談に乗ってくれる恋愛カウンセラーのように思われてしまい、逆効果にも、よりいっそう付きまとわれるようになってしまったのだった。


 勝ち犬倶楽部や情報提供者〝アレクサンダー・セトン〟の手掛かりを掴むため、彼らの秘密集会が開かれていないかと昼な夜な校内を密かに監視したり、ゴシップ少女・珠子から得た「誰それが大噛神社の都市伝説を試した」というウワサをもとに、暇を見つけてはその人物を尋ね回っている忙しい身の上の久郎としては、そんな零の存在がものスゴく邪魔である。


「ねえ~そんな時間とらせないからあ~」


「ええい! しつこい! 魔術なんかに頼る前に、自分でなんとかしようとする努力をしろ! それが因果応報というものだ!」


「うぐ……」


 いい加減、雲霞の如くまとわりつく彼女にうんざりした久郎は、苛立った声でピシャリと言い放つと、一瞬、怯んで立ち止まった零を置き去りにさっさと行ってしまう。


「……んも~! ケチ~っ! いいもん! 自分でなんとかするから~っ!」


 廊下の角を曲がって姿を消す久郎に向けて、零は負け惜しみの言葉を叫ぶ。


「フンだ! 魔術師のくせに魔術に頼るなってどういうこと…」


 そして、膨れっ面で踵を返し、ブツクサ文句を垂れながら、彼とは反対方向へ歩き出そうとする零だったが。


「きゃっ!」


「おわぁあっ!」


 振り返った瞬間、ちょうどそこへ歩いてきた女生徒と零はぶつかってしまった。


「痛たたたた……」


「っつぅ……もう! 急にベクトル変えたら危ないでしょ?」


 拍子にお互い尻餅を搗き、女生徒の持っていた紙の束がはたりと地面に落ちる。


「ご、ごめんなさい! ちょっとドケチな魔術師にムカムカプンだったもんで……あ、当麻さん……」


 セミロングの黒髪を赤いカチューシャで留めた、切れ長の目にインテリジェンスな赤フレームメガネの才色兼備な美少女……絶対領域・・・・も眩しく床にぺたんと座りこんだ相手を見ると、それはとなりの壱組の生徒だった。名前を当麻亜乃とうまあのといい、常に学年トップクラスの成績を誇る秀才として二年の間ではよく知られた人物だ。


「あなたは確か、弐組の……ほんと、もうちょっと周囲に注意を払った方がいいわよ?」


 向こうもなんとなくは零の顔を憶えていたらしく、そう苦言を呈しながら膝をパンパンと叩いて、優等生らしくそつない仕草で立ち上がる。


「う、うん。今度からもっと気をつけるよ……あ、これ! ……ん? 恋愛に効果のある香り?」


 頭を掻き掻き苦笑いを浮かべ、亜乃の落した何かの紙の束をクリップで留めたものを拾おうと手を伸ばした零は、その表紙に書かれていた題名に思わず興味を惹かれた。


 そこには「恋愛に効果のある香りについての一考察」と題名が書かれている。


「ああ、今、部活の時間にわたしが研究しているテーマなの。ま、ようするにアロマテラピーみたいなものね。香りって案外バカにできないのよ? 脳の嗅覚を司る部分は本能的な旧皮質にあるんだけど、嗅覚刺激は情動を引き起こし、身体機能の調整を行う視床下部に影響を与えるんだから」


 手渡そうとしたレポートを握ったまま、その上に視線を落としている零を見ると、難しい専門用語をすらすらと並べ立てながら亜乃が説明してくれる。


「そっか。そういえば、当麻さんって科学部だったもんね……え、じゃあ、よくわかんないけど、そんな恋愛に効く香りってのもあるの?」


「ええ、恋愛感情を抱かせる効果がそれなりに認められると考えられるものはね。古くから惚れ薬として知られてるハーブなんかがそうなんだけど、それを証明するための研究なの」


「惚れ薬~っ! すごい! そんなのほんとにあるんだあ! なんか、惚れ薬って魔女がぐつぐつと鍋でトカゲとか煮て作ってるイメージあったけど、そんな魔法の薬も科学部の研究対象になるんだねえ!」


 亜乃の答えに、零は瞳をキラキラと輝かせんがら感嘆の声を上げる。


「魔法の薬? ……フン。言っとくけど、これはあくまで科学よ? そういうおとぎ話に出て来るような、非科学的で根拠のない空想上の魔法なんかと一緒にしないでくれる? あたしは原因と結果の因果関係がはっきりしているものしか信じないわ」


 一方、亜乃はツンと澄ました顔で見下ろしながら、そうした零の発言を不機嫌そうに批判する。


「もう、この際、魔法でも科学でもどっちでもいいよ! その惚れ薬、当麻さんも作れるの? だったらあたしにもちょっとわけてくれないかなあ!?」


 だが、最早、零は話を聞いちゃあいない。つい今しがた逃した久郎の魔術的サポートの代りを偶然にも見つけ、跳ねるように立ち上がると、いっそう顔色を明るくして亜乃に詰め寄る。魔法だろうが科学だろうが節操なしである。


「え? ……ま、まあ、作れるっていうか、実験材料にその香りの原料や香油とかならあるけど……でも勘違いしないでね。惚れ薬といってもフィクションで出てくるもののように、相手の心を意のままにするほどの強力な効果はないわよ? あくまで催淫作用があるだけの…」


「ってことは、惚れ薬持ってるんだね!? お願い! あたしにもそれちょうだい! もちろんタダでとは言わないよ? そうだ! 当麻さん、どんなお菓子が好き? あたし、スイーツ同好会に入ってるんだあ。今度、好きなもの作ってくるよ!」


「……そうね。ま、そんなに欲しいんなら分けてあげる。こちらとしても実験になるし。ただし、その効果を定期的に報告すること。それが交換条件。あと、お菓子はマカロンをお願いしようかしら」


 やはり話を聞いていない零に圧倒されつつも、少し考えてからそう判断すると、亜乃は悪戯っぽい微笑みを浮かべて色良い返事を口にしてくれる。


「うん! うん!」


「じゃ、ついて来て。今日は部活休みだけど、これから理科室へ行って自主研究するところだったの。いつも持ち歩けるようにアロマペンダントを作ってあげる。他の部員達もいないし、邪魔が入らず、ちょうどいいわ」


「うん! うん!」


 さらに喜ばしいことを言いながら、そう促して歩き出す亜乃に、零は尻尾を振る子犬の如く、うれしそうに彼女について理科室へと向かった――。

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