Ⅵ 暴走する「力」(2)

「――きょっおのおーやつはなっにかな~? ……ん?」


それは、零がまだ中学一年の頃。掃除の時間、今以上に童顔で、どう見ても小学校低学年にしか見えないセーラー服を着た零がゴミ箱を携え、鼻歌交じりに校舎裏の集積場へ行った時のことだった。


「や、やめてくれよ! あうっ! ……うぐっ! ……ケホ、ケホ…」


「やめてほしかったら、ちゃんと金持って来いよ。今月の〝友達してやってる代〟払わないおまえがいけないんだろ?」


 ちょうど今と同じように、零はいじめの現場に遭遇したのだった。数名の男子生徒がいかにもひ弱そうな一人の生徒を取り囲み、ありえない因縁をふっかけて金をせびっている。


「あわわわわわ……ど、どうしょう……」


 やはりこの時も怖さが先に立ち、零はどうすることもできずにその場で固まってしまった。


「おい! 何やってんだ! おまえら、弱い者いじめはやめろっ!」


 そこへ、スーパーヒーローのようにどこからともなく颯爽と現れ、いじめっ子達を注意したのが宍戸だった。


「なんだ、おまえ? おまえも痛い目に遭いたいのか?」


 ガタイのイイいじめっ子の一人が宍戸に近づき、拳の関節をボキボキ鳴らしながら凄む。


「殴りたいなら殴ればいい! でも、僕もこの世界も決して暴力になんか屈しないぞ! どんなに強くたって、正義の前に力は無力だ!」


 だが、学ラン姿の今より少し背の低い宍戸は澄んだ瞳を相手から逸らすことなく、力強く見返して言い放つ。


「くっ……おい、行こうぜ」


 そのあまりにも正論でちょっと寒くすら感じる台詞を恥ずかしげもなく口にする彼の姿に、興が醒めたのか、いじめっ子達はつまらなそうにその場を後にして行ってしまう。


「君、大丈夫? いつもこんなことされてるの? 僕でよかったら相談に乗るよ?」


「う、うん……ありがとう……」


 そんないじめっ子達を力強い眼差しで見送ると、宍戸はすぐさま倒れている生徒に駆け寄り、優しく彼に手を差し伸べた。


「か、カッコイイ……」


 物影に隠れ、こっそり様子を見守っていた零は、すっかり宍戸の虜になってしまった。


 近頃流行らない、いかにも優等生なちょっと空々しいキャラではあるが、むしろ、その滅多にいない純粋な魂を持っているところに零は惹かれたのかもしれない。小学校、中学と同じ学区だった零は、当時から生徒会の委員をやっていた宍戸の顔を見知ってはいたが、恋心を抱くまでに意識し始めたのはこの時からである。


 そして、彼を追うように同じ高校へ進むもオクテな零は、なかなか距離を縮められずに今に到る――。




「――こんなことじゃ、先輩に好きになんてなってもらえない……よし!」


 自分の恋のきっかけを思い出した零は勇気を奮い起し、意を決するとドアを出て覆い屋の影に身を潜める。


「先輩見たいにはできないけど……すーっ…せんせーいっ! ケンカでーす! 屋上で誰かケンカしてまーす!」


 そして、口の両端に手を当てると思いっ切り息を吸い込み、あらん限りの大声で不良達に聞こえるよう、そう叫んだ。


「!? ……チッ…今日のところはこれぐらいで勘弁してやる。もうふざけた真似すんじゃねえぞ!?」


 零の声に一瞬、動きを止め、驚いた表情を見せた有荷と仲間達は、史郎をその場に打ち捨てると月並みな捨て台詞を吐きかけ、そそくさと階段の方へ向けて歩き出す。


例え今の声を聞いて教師が駆けつけて来なくとも、心に後ろめたいことがある者ならば、大概それで逃げ出すはずだ……今、なんの力もない零にできる唯一の方法であったが、どうやらそれが功を奏したようである。


「アリスちゃんっ! 大丈夫!?」


 有賀達がドアの中へ姿を消すと、零は様子を見て覆い屋の裏からおそるおそる飛び出し、ボロボロになって倒れた史郎の傍へと駆け寄る。


「……う、うう……あ、風生さん……き、君が助けてくれたんだね……あ、ありがとう……」


 声の主が零であるとわかり、乱れた制服に靴跡をいっぱいにつけた史郎は起き上がることもままならない様子で、腫れあがった痣だらけの顔を向けて弱々しく彼女に礼を述べる。


「え? 白アリスちゃんの方なの!? そっか、だからあんなやられっぱなしに……で、でも、黒アリスちゃんに入れ替われば……え? も、もしかして、黒アリスちゃんどうかしちゃったとか?」


 その口調に彼が〝久郎〟ではなく〝史郎〟であったことに気づき、驚きの表情を浮かべる零であったが。


「…プッ! フゥ……またずいぶんとやってくれたものだな……」


 この前と同様、一瞬、カクン…と気絶するように俯いた後、今になってようやく〝久郎〟に入れ替わった彼は切れた唇の端を手の甲で拭い、口内に溜まった血を吐き出すと溜息混じりにその上半身を起こす。


「あ! 黒アリスちゃん! なんだ。出て来れるんじゃん……ねえ、大丈夫? どっか怪我してない?」


「ああ。入れ替わらずとも、潜在意識下からカテゴリ〝パワー〟の魔術で筋肉を強化していたからな。あんな素人の打撃、案ずるには及ばん……っ…多少、痛みは残っているがな……」


 〝久郎〟の健在に安堵するも、なお心配そうな面持ちで尋ねる零に、久郎は淡々とした口調でそう答えると、パンパンと体を叩きながらよろよろと立ち上がる。さすがにダメージはあるようだが、どうやら大事にはいたってなさそうだ。


「ハァ~…とりあえず、だいじょぶそうでよかったよお~」


「まったく、また余計な真似を……なぜ、邪魔をした?」


 だが、緊張が解けてその場にへたり込み、大きく溜息を吐く零に対して、久郎はとても迷惑そうに眉をひそめ、〝史郎〟とは対照的にそんな予想外の言葉を口にする。自分だって怖いのを我慢して勇気を振り絞り、助けてあげた者に対してなんたる恩知らずな言い様であろうか?


「な、なにその言い方? ひどいよ、アリスちゃん! 人がせっかく頑張って助けてあげたってのにい~!」


「誰も助けろなどとは言っていない。おまえがお節介にも勝手にやったことだ。俺はそんなもの必要としていなかったし、むしろ、そのせいでヤツらをこっぴどく懲らしめてやる予定が台無しだ」


 無論、そのあまりにもあまりな態度にプンスカ怒る零であるが、久郎はやはり感謝の言葉一つ口にはせず、見栄を張っているのかなんなのか? またも負け惜しみのようなことを不機嫌そうに言い返す。


「懲らしめるもなにも、自分がコテンパンにやられてたでしょうに……あ? そいえば、なんで白アリスちゃんと入れ替わらなかったの? 黒アリスちゃんなら、あんなやつらにも簡単に魔術使ってやり返せたんじゃないの?」


 そんな久郎に零も負けじと反論するが、そこでふと、先程も抱いたその疑問が再び蘇ってくる。


 あの〝赤ずきん〟とやりあった時のことを考えれば、いくら多勢に無勢とはいえ、魔術師でもない・・・・・・・不良相手にされるがままにならずともすんだはずである。いや、それどころか彼の魔術を以てすれば、そもそも暴力を振るわれる前になんとかできたのではないだろうか?


「この前も言った通り、の存在はあまり他の者に知られたくないんでな。それに俺があえて無抵抗にやられるよりも、抵抗する術のない〝史郎〟が圧倒的有利な者達に暴力を振るわれた方が効果は大きくなる。一見、ただやられているだけに見えたかもしれんが、これはそうしたある種の魔術・・・・・・なのだ」


 思わず怒りも忘れ、怪訝な顔で尋ねる零に、久郎はどこか愉しげに口元を歪めながらそう答える。


「ある種の魔術?」


「そう。この世の理を使った魔術…というより、本来あるべき自然の成り行きだな。すべての事象には原因があり、その原因に即した結果がもたらされる……即ち〝因果応報〟。自分の行ったことに対して、それ相応の報いを受けるということだ。簡単に言ってしまえば、良いことをすれば良い報いが、悪いことをすれば悪い報いがあるというわけだな」


「うーんと……つまり、天の神さまが悪い人間には罰を与える…みたいな感じかな?」


 いつもながらちょっと小難しい久郎の説明に、零は顎に人差し指を当てると小首を傾げながら再度尋ねる。


「そうであるとも言えるが、おそらくおまえの言っている意味とは少々ニュアンスが違う。前にも言ったが、神とは世界の法則性や概念であり、人間のような人格を持ってはいない。だから、人間が良い行いをしようが悪事を働こうが知ったこっちゃない。というより、人間のことなんか考えちゃいないんだ」


「ええっ! そうなの!?」


 そう言われてみれば、そんなことを聞いた気もするが、またも聞かされる世間一般的な常識を覆すその真実に、零は思わず驚きの声を上げてしまう。


「それはそうだろう? この世界は人間だけのものじゃないんだからな。それに善悪の基準なんて人間が勝手に決めたものだ。自然の理からすれば、人間のいうところの善も悪もない。ただ、原因とその結果があるだけだ……が、この原因とその結果というのは絶対だ」


 しかし、いつものことながら零の反応をそれほど気にかけることもなく、久郎はさも当たり前というように、さらに哲学的な小難しい説明を続ける。


「そして、自分が他者にある行為を行ったとすれば、自分もそれを行われて当然の世界を選択したことになる……例えば、殺人を犯したとすれば、自分も殺されても文句は言えんというようにな。自分はいいが他の者はダメだなどということはけして許されない」


「今日の話もわかったような、わからないような……でも、つまるところ、やっぱり悪いことすると罰が当たるってことだね? うん」


 相変わらず半分ぐらいしか理解できないながらも大まかには飲み込めたので、零はそう自分なりにまとめて一人で勝手に納得した。


「ま、そう言った方がわかりやすいし、そう解釈しておいてくれてもいい……ともかくも、そんなわけであの不良どもは因果応報の報いを受ける。特に俺の関わる・・・・・場合はより顕著にな。要らぬ世話にもおまえが邪魔さえしなければ、もっとおもしろい果報を与えてやれたものを……」


「ご、ごめんなさい。わたしが余計なことしたばかりに……って、助けたわたしがなんで謝んなくちゃいけないのお! やっぱ納得いかないよお!」


 肩を竦め、ひどく残念そうに嘆く久郎に思わず謝る零だったが、よくよく考えてみれば、やはりそんなのは腑に落ちない。


「さて、さらに厄介なことには、おまえのお節介のせいで教師もここへ来るかもしれん。鉢合わせすると面倒だ。俺達も早々に退散するぞ」


「……あ、うん。そだね。さっき大声で呼んじゃったから、ほんとに来ちゃうかも……って、あれ? なんか、またあたしが悪いみたいになってない?」


 なおも迷惑そうに文句を言って歩き出す久郎にまたも反射的に乗ってしまい、零は一人ボケツッコミするように呟いて小首を傾げる。


「ほら、早くしろ。置いて行くぞ?」


「……あ、ちょっと待って! …って、やっぱ、立場がおかしいような気がするんだけど……」


 魔術師の言葉には言霊ことだまの魔力でもあるのか? なんだか狐に抓まれたような顔で首を捻りながら、零は久郎の後を追って夕暮れ迫るオレンジ色の屋上を後にした――。

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