Ⅳ 「教皇」の講義(2)

「まず、あの〝赤ずきん〟の手や杖から出ていた炎だが、あれについてはなんのことはない。あの炎自体はタネも仕掛けもあるただの手品だ」


「えっ!? 手品?」


 その言葉に、零はさらに目を大きく見開く。


「そう。そっちの方のマジック・・・・だ。〝フィックルファイヤー〟という手品道具があってな。そいつを使うと手のひらの上で炎を燃やしたり、それを手の裏表・左右両手の間で自由に移動させたりすることができる。杖の方は発火性の強いセルロースでできた綿――〝フラッシュコットン〟を使って火の玉を飛ばす〝フラッシュガン〟という機構を内蔵した〝フラッシャー〟だな。それも、ご丁寧なことに四大元素の一つ〝風〟を現す魔術武器〝ワンド〟に見立てて作った自前の特注品だ。いや、火の玉飛ばすから、黄金の夜明け団ゴールデン・ドーン風に〝火〟のワンドか?」


「ええ~!? 後の方は何言ってるかよくわかんなかったけど、それじゃあ、あれはただの手品だったのぉ~!? なんだあ~驚いて損しちゃったぁ……」


「ま、炎を出した細工に関してはな。だが、おまえも見た通り、それだけではない。ここからが、俺達〝魔術師〟と手品師との違いだ」


 そのタネ明かしを聞いて、話半分くらいしか理解していないまでも、がっかりと肩を落とす零だったが、久郎は何かマニアックなことをブツブツ呟いた後、さらに何かあるようにその先を続ける。


「あ! そうだよ! あの炎のトカゲは何? あれも手品だっていうの!?」


「いや、手品とは少々違う。あの最初にヤツが爆発させた〝ペンタクル〟――五芒星の描かれた円盤のことは憶えているか?」


 ラスベガスのステージショーならばいざしらず、一地方都市の小さな神社で披露するにしてはどうにもスーパーイリュージョンすぎるそれのことを思い出して尋ねる零に、久郎はなぜか別のことを訊き返す。


「ああ、あの杖から出た火の玉が当って、煙りがボーンって出たやつ? なんか、頭クラクラするくらい変な臭いしたけど」


「あれはな、〝ペンタクル〟という四大しだいの〝地〟を現す魔術武器に見立てて、紙の皿の台に火薬と乾燥させた〝ヒヨス〟の粉を混ぜて載せた手製の発煙弾だ。つまり、〝ヒヨス〟の煙が出る煙幕ってことだな」


「ひよす?」


「デルフォイの神託をする巫女シビュッラも使っていた幻覚作用のあるナス科の毒性植物だ」


「ど、毒ぅ~っ! うぐっ……し、しかも、幻覚って、ま、まさか麻薬……」


 久郎の口から出た恐ろしい言葉に、零は思わず大声を上げると今さらながらに口と鼻を手で塞いで鼻声になる。


「あの程度の吸引ならたかが知れている。それに、いわゆる違法薬物や脱法ハーブの類のように、深刻な脳へのダメージもないだろうから安心しろ……とはいえ、暗示をかけやすい催眠状態に近づけるにはあの煙幕を食らわせるだけでも充分だ」


「さいみん?」


 久郎の説明を聞いても、まだ恐ろしい印象を拭いきれない零だったが、休む間もなく、またも気になる単語が出てきたので鸚鵡返しにそれを呟く。


「催眠術は無論知っているな?」


「う、うん。あの、あなたはだんだん眠くなる~…ってやつでしょ? あと、催眠術師に言われると鳥になっちゃったり、レモンが甘く感じたり、なぜか体が動かなくなっちゃったり……ちょっとインチキっぽくもあるけど……」


「催眠などという名前からして、いかにもそうした怪しげな妖術のように思われがちではあるな……ま、そもそもの始まりが架空の生命エネルギー〝動物磁気〟による作用だとする〝メスメリズム〟でもあるし……」


「め、めす……める?」


「発見者のフランツ・アントン・メスマーにちなんだ古い催眠術の名だ。だが、あれはけして超常現象などではなく、脳の生理作用を応用した、きわめて科学的な技術だ。故に〝術〟をとって〝催眠〟や〝催眠法〟と呼ぶ関係者もいる。ともかくも、催眠状態――またはトランス状態というのは起きている覚醒状態と眠っている睡眠状態のちょうど中間の状態ことで、その変性意識へ意図的に導き、暗示をかける技術が催眠術だ。〝だんだん眠くなる〟と催眠誘導で言うこともあるが、別に眠っているわけでも意識を失ってるわけでもない」


「あ、そうなんだ。てっきり眠ってるんだと思ってたよ……うーん…起きてるのと、眠っているのの間ねえ……」


 なんだか抱いていたイメージと違う実際の催眠術に少々驚きつつ、その中途半端な状態ってどんなもんなんだろうと、零は天井を見上げながら腕を組んで考え込む。


「例えば、電車に揺られながらコックリコックリしたことが一度や二度はあるだろ? それに、クソつまらん教師の授業中にぼーっとしてしまうようなことも。あんな起きてんだが、眠ってんだかわからんような感じだと思ってくれればいい」


「おお! なるほど。そう言われるとしっくりくるよ」


「人間の脳……特に大脳新皮質ってやつは単調な刺激に弱くてな。また、何か一つのことに集中すると他の部分の活動が停止するという特性をもっている。故に電車のカタンコトンいう揺れや単なる音の繰り返しにしか聞こえんつまらん話、催眠誘導で用いる振り子やペンライトをじっと見つめさせるような凝視によって脳の意識レベルは低下し、それと入れ代るようにして今度はその下にある潜在意識――即ち無意識が浮上して来る」


 ポンと手を叩いて納得する零に、久郎はいっそう小難しい用語を交えながら話を続ける。


「そして、この無意識が表に現れた状態ってのは、おもしろいほど暗示にかかりやすい。理性を司る意識の邪魔がなくなり、ダイレクトに感情や本能、自律神経なんかを支配する部分とコンタクトできるんだからな。しかも、意識を通さず直に無意識と交渉するので、先日話したような〝無意識の反作用〟も食らわなくてすむ」


「ああ! この前言ってたやつ! 願えば願うほどかなわなくなるっていう、あれだ」


 零は全部しっかりとじゃないがなんとなく憶えている、大噛神社で聞いた彼の話を思い起した。


「そう。だから神仏に祈るというカテゴリ〝太陽サン〟の魔術や自己暗示系の魔術でもその仕組みを用いたりするわけなのだが……今はあの〝赤ずきん〟についてだ。話を戻すと、催眠時における暗示はきわめて強力な上、かけられた相手にその自覚はなく、あくまで自分の意思でそうしているように感じる」


「自分の意思で?」


「そう。術者に命令されてしている感覚がないんだ。そして、催眠の深度によっては、筋肉を意のままに操る運動支配、五感や感情を変化させる知覚支配、記憶を操作したり、人格転換を起させたりする記憶支配までできてしまう。さっきおまえが言ってた体が動かなくなるとうのは運動支配、レモンの味が変るのが知覚支配、鳥になるというのは記憶支配だな。他にも催眠状態から解けた後でも暗示が継続している〝後催眠〟なんてのもあるぞ?」


「な、なんか、ちょっと怖いね……じゃ、じゃあ、もし死ねって暗示されたら、自殺とかしちゃうってこと?」


「いや、それはないから安心しろ。自殺や殺人なんかの倫理観や本能的な嫌悪感に関わる暗示については基本的に不可能だ。ま、そうした倫理観の欠如したやつとなれば話は別だがな」


 ふと怖い想像が頭を過り、蒼褪めた顔で尋ねる零だったが、幸いなことにも久郎はそれをあっさりと否定してくれる。


「なんだあ……ホッ…よかったあ……そんなことできたら大変だもんね」


「だが、今言った通り、運動や知覚、記憶なんかは操作できるし、後催眠という手もある。暗示をかけられたことにも気づかず、偽りの記憶を植えつけられて生活してる人間がいてもおかしくないってことだ」


「うっ……そ、それも怖い……」


 しかし、安堵の溜息を吐いたのも束の間、久郎はすかさず逆フォローを入れて再び彼女を恐怖させる。


「で、〝赤ずきん〟だ。ヤツはそのトランス状態をヒヨスの煙で作り出し、俺に暗示をかけようとした。フィックルファイヤーを使って〝自分は火を自在に操れる魔術師だ〟とな。といっても、そもそも俺は魔術を使えるよう、すでに自己暗示でトランス状態だったし、むしろ、巻き込まれて煙を吸いこんだおまえの方に効果覿面だったというわけだ」


「なるほどぉ。そこで赤ずきんちゃんと繋がってくるのか……ようするに、そのトラなんとかにしてから手品見せて、火が自由に扱えるって思い込ませたんだね……あ、でも、あの炎のトカゲはどうやったの? いくらそう信じ込ませたって、それだけじゃあんなのまでは出せないような……」


 そこまでの仕組みはなんとなくわかったものの、それでもまだ肝心のその謎が解けずに零は改めて疑問を呈する。


「だから言っただろう? 知覚支配までいけば、相手の五感も思いのままに操れる。幻覚だって見せ放題だ。フィックルファイヤーでの暗示はいわば下拵え。そうしておいてから、ヤツは〝この巨大な炎のトカゲに焼かれて…〟云々と再び言葉で暗示をかけ、杖型フラッシャーでフラッシュコットンの火の玉を放った。これでトランス状態の者の目には、杖の先から〝炎のトカゲ――火蜥蜴サラマンドラ〟が飛び出したように映るというわけだ」


「幻覚? ……じゃ、じゃあ、あれは幻覚だったっていうの!? あんなはっきり見えたのに?」


「幻覚とはそういったものだ。幻なのに見えるからこそ、覚なんだからな。それに、ただ見えるだけじゃない。もしあれに触れていたら、火傷どころではすまなんだだろう。下手すれば焼死だ」


 現実の出来事と思っていたものがすべて幻覚だったと聞かされ、またもや目を大きく見開いてしまう零だったが、さらに驚くべきことを久郎は言い出す。


「え? 幻覚なのに? 幻覚ってことはつまり偽物ってことで、本物じゃないんでしょう? だったら、そんな焼け死ぬなんてこと……ま、そのコットンの火の玉はほんとだから、ちょっと熱いかもしんないけど……」


「フッ…そこが、手品ではなく〝魔術〟である相違点だ……〝プラシーボ効果〟というものを聞いたことはあるか?」


 その矛盾する言葉にわけがわからず、驚き、混乱した表情で聞き返す零に、久郎は不敵な笑みを口元に浮かべると、今度も聞き慣れない横文字の単語をその口にした。


「ブラシ棒?」


 零は小首を傾げ、デッキブラシか歯ブラシのようなものを思い浮かべる。


「プラシーボ効果――儀薬効果ともいうが、実際にはなんら効果のないものを薬だと偽って飲ませても、それを薬だと信じて飲んだ者に一定の効果が現れるという嘘みたいな現象のことだ」


「あ、ブラシじゃないんだ……でも、そんなことって……」


「また、これと似たような話で、目隠しした被験者に熱したアイロンだと嘘を吐いて、別に熱くもなんともないアイロンを当てたところ、なぜか火傷を負ってしまったという実験結果も確認されている。今の催眠の理論に照らしていえば、知覚支配の段階での暗示に同じ……即ち、暗示をかけられた心が心理現象のみならず、肉体に物理的現象をも引き起こしたということだな。あの時、トランス状態の俺に〝赤ずきん〟の放った幻の・・火蜥蜴サラマンドラも然りだ」


「そんな……まさか、そんなこと本当に……」


 予防歯科か、お掃除テクかなんかの話だと思い込んでいた零は、ぜんぜん違ったその科学的現象に信じられないという顔をして譫言のように呟く。


 ……だが、よくよく考えてみれば、あれが理論もへったくれもない不可思議な魔法だと言われるよりも、遥かに説得力のある論理的な説明ではある。


「何者にも真の意味で・・・・・外の世界を知ることはできない……なぜなら、誰もがこの世界の姿だと信じて疑わないものは、目・耳・鼻・口・皮膚の五感から入ってくる外界の刺激を一旦、電気信号に変え、それを脳の中で再構築した仮想現実バーチャル・リアリティでしかないからだ。もし、そこで脳になんらかの誤認や構築ミスが生じていたとしても、それが正しいのか誤ってるのかすら、その者に判断することはできない。そんな認識によって一変してしまう世界の中で、嘘もまこともじつはあまり変わりないということだ」


 半信半疑ながらも引き込まれてゆく零に向かい、久郎はさらに語る。


「それ故に、俺は一発目の火蜥蜴サラマンドラを避け、二発目は自身に〝ヴァルナ龍王〟を宿した上で口から噴いた霧で龍を創り出してやった。あの霧の龍も火蜥蜴サラマンドラと同じ理屈だ」


「ばるな? ……その口から出た龍は今の話でなんとなくわかっかけど、その宿したとかなんとかいうのは何? もしかして、よく超常現象のスペシャル番組とかで、霊に取り憑かれて変になっちゃう人みたいな感じ? あ、そうそう! 恐山のイタコとか、エクソシストの悪魔憑きとかも!」


「ま、当らずとも遠からずだな。専門には〝ポセッション――憑依〟という。催眠で説明すると、記憶支配の人格転換のようなものだ。俺もトランスしていたから、いくら幻覚の炎でも暗示によって触れれば大火傷だ。それを防ぐには、その暗示を打ち消すためのさらなる暗示が必要だ。だから、俺は自己暗示で自分がヒンドゥーの〝ヴァルナ龍王〟――仏教でいうところの〝水天〟だと無意識のレベルから思い込んだ。龍は水神。どんな大火でも消せるからな。即ち〝神人合一〟。カテゴリ〝隠者ハーミット〟の魔術だ。で、一応、実際のフラッシュガンの火の玉にも用心して、ダメ押しに霧の龍も加えてやったと」


「なるほどお……よくわかんない部分もあるけど、つまり霊に憑かれた人みたく、本当にその龍だか、神さまだかが体に宿ったわけじゃないんだね?」


「神か……神とは、いったいどのようなものだとおまえは思っている?」


 やはり専門用語満載で、久郎の説明は半分ほどしか理解できなかったが、それでもフル回転させた頭で要約して聞き返す零に、彼は何か思案するように遠い目をして、またも彼女に質問で答えた。

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