Ⅳ 「教皇」の講義

Ⅳ 「教皇」の講義(1)

「――それじゃあ、風生君。気をつけて帰れよ?」


 放課後、管理棟正面の昇降口前で、他の三年生委員とともに宍戸が零に帰りの挨拶を告げる。今しがた今年度の風紀委員達の顔見せ的な会議が終わり、ちょうど校舎を出て来たところである。


「は、はい! お疲れさまでした! ……あ、あのお…」


「どうする? 宍戸。小腹空いたし、帰りになんか食ってくか?」


「ああ、そうだな。じゃ、駅のモスマン・バーガーにでも寄ってくか」


 勇気を振り絞り、「あ、じゃあ、途中まで一緒に帰りましょう!」などと大胆にも声をかけてみようかなあ…とか思ったりもみたりした零であるが、一瞬早く同年生が誘いの言葉をかけたため、宍戸は零に気をかけることなく、背を向けてとっとと行ってしまう。


「…………ハァ…」


 橙色の夕陽に染められ、去り行くその背中をしばし呆然と見送った後、零は大きく溜息を吐く。


「……あたしも帰るかな」


 仕方なく、そう思い自身も歩き出した零であったが、ふと、気になって頭上の八角塔を見上げてみる……もしかしたら、また久郎が登っていたりしているのではないかと考えたのである。


 ま、さすがにそう都合よくはいないとは思うけど……。


「…………いた」


 すると、予想に反して、ほんとに八角塔の窓には黒い人影が見えた。


 顔までは判別できないものの、その背格好や雰囲気からして、おそらく彼に間違いない。そもそも鍵をこじ開けてまで入るような生徒は他にいないだろう。


「ほんとにあの場所好きだなあ……そいえば、なんであそこに登ろうと思ったんだろ? 高いとこ好きなのかな

?」


 そんな疑問に捉われた彼女は、気がつけば自然とそちらへ足を向けていた。


 ま、宍戸も帰ってしまったことだし、今日は部活もないのでいい暇つぶしだ。


 放課後ということもあり、管理棟の中は非常に静かである。


 遠く校庭から聞こえて来る微かな運動部のかけ声や、三階に響くくぐもった金管楽器の音色を聞きながら、窓から挿し込む夕陽の光と影に彩られた木造の廊下を零は進む……そして、先日のように鍵の開けられたドアの中へとこっそり滑り込み、忍び足でギシギシ言う螺旋階段を登って行くと、案の定、そこにいたのは有栖久郎だった。


 その表情や全体的に感じる雰囲気からして、まったく同じ顔をしていても、それが〝史郎〟と〝久郎〟のどちらなのか? なんとなく零にはわかるようになってきている。


「また、おまえか……」


 ひょっこりと顔を出した零を見て、〝久郎〟に入れ替わっている有栖はうんざりといった様な表情でそう呟く。


「わあ、夕方の景色も綺麗だねえ!」


 だが、零はいつぞやと同じように、彼よりも塔からの眺望に気を取られてしまっている。


 北アルプスの山並みも城下町辰本の町並も、そして、シンボルの烏龍城も夕暮れの陽光に照らし出され、眩い黄金色に染め上げられている……昨日見た昼間の景色とはまた違った趣の絶景だ。


「もしかして、これを見るためにここへ登ったの? まあ、確かにこの絶景なら、鍵をこじ開けてまで入ったのもわかる気がするよ」


「絶景? ……ああ、確かにいい眺めだな。だが、俺は別に景色を楽しむためにここにいるんじゃない」


 当然、そう思って尋ねる零だったが、久郎は一瞬、怪訝な表情を浮かべた後に、ようやく彼女の言わんとしてることを理解して、その推測を否定する。


「え? 違うの? じゃ、なんで八角塔に登ったの?」


「無論、勝ち犬倶楽部の手掛かりを掴むためだ。ここはおまえの言う通り眺めがいいからな。ここからなら学校の敷地内をすべて見渡せる。不審な動きをする者がいたら見つけやすいと思ってな。ついでに人も来ないんで昼飯を食う時なども煩わしくなくていい……はずだったんだが……ま、いずれにしろ都合がよさそうだったんで、来た時から目をつけていたんだ」


 意外な返答に目をパチクリさせながら聞き返す零に、久郎は窓越しに教室棟の屋上や、校門と昇降口の間にある庭などを見渡してから、再び彼女の方へ迷惑そうな顔を向けて答えた。


 まあ、そんなこと言ってる自分の方が、むしろ立ち入り禁止の場所へ勝手に上がり込んでいる不審者だったりするのではあるが……。


「ああ、確かにここなら校舎裏とか屋上とか、隠れて何かしようとしてる人もばっちりまる見えだね! ってか、誰も見てないと思って、こっそり呼び出して告白してる人とかも見れちゃうかもお~。うんん! もっと進んで……き、キスとかしてるとことかも覗けちゃったり……キャーっ! こっちまで恥ずかしくなっちゃうよぉ~! もぉう、アリスちゃんったら魔術師のくせに好き者なんだからあ~……ん? あれ?」


 本当の理由を聞いて恋バナ大好物な女子特有に目を輝かせてはしゃぐ零だったが、それまで気にも留めていなかった根本的な疑問がふと頭に浮かぶ。


「でも、黒アリスちゃんって魔術師なんだよね? あんなスゴイ魔法使えるんなら、そんな地味なことしなくたって、魔法でパーっと人探しでもなんでもできるんじゃないの? 別に珠ちゃんに頼んで情報集める必要もないような……」


 そうなのだ。本物の魔術師ならば、すべて魔法で簡単に解決できるのではないのだろうか?


「あのなあ、いくら魔術師だからって、なんでもチチンプイプイと魔法でできるわけじゃない。おまえは一つ大きな勘違いをしている。俺達本物・・の使う魔術はおまえが思っているような空想上の魔法とはまったくの別物だ。映画や漫画の中のようにそう簡単にはいかん……そして、その〝アリスちゃん〟と呼ぶのはやめろ」


 だが、零のその疑問に、久郎は普段通りの渋い顔で考える間もなくさらっとそう答えた。


「え!? そうなの? だって一昨日、あの神社で口から龍みたいの出してたのは? あの赤ずきんちゃんも手の上で火燃やしたり、杖から炎のトカゲ出してたし……ほんとに『ハリポタ』とか、ファンタジー映画やゲームの魔法使いみたいだったけど……」


 最早、定着したといえるその呼び名に文句をつける久郎を無視し、零は驚いた様子で再び彼に尋ねる。


「ああ、あれか……ハァ…仕方ない。俺達の・・・魔術について少し説明してやる……」


 そんな零に、久郎はひどく面倒臭そうに溜息を吐くと、彼女のためにまた魔術の講義を始めた。

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