Ⅱ 「塔」でのお茶会(4)

 「調べもの? ……そ、それじゃあ、もしかして、昨日、大噛神社にいたのもその調べものと何か関係が……」


「ああ、大当たりだ。おそらく、おまえの考えている通り、あの神社にまつわる都市伝説や、あの犬の面の〝赤ずきん〟ともな」


 譫言のように呟いた零の言葉に、彼はまた意外や誤魔化そうとも包み隠そうともせず、妙に正直に首を縦に振る。


 ……なんだかよくわからないことだらけだが、これで、なんとなくすべてが繋がった……。


 昨日、彼があそこに現れたのは偶然なんかじゃない。この〝魔術師〟は、大噛神社のウワサとも無関係じゃなかったんだ! だから、この高校にもわざわざ転校してきて……てことは、あの願いがかなうっていうウワサはやっぱり本当ってこと? それじゃあ、彼に訊けば宍戸先輩との恋をかなえる方法も……そういえば、小難しくて半分も理解できなかったが、昨日も願いをかなえるためのお参りの仕方について教えてくれたし……。


 彼の主張する多重人格だという話とか、なぜこの八角塔に忍び込んだのか? とか、昨日見たあの〝魔法〟は現実のものだったのか? とか、まだまだ腑に落ちないことはいろいろあったが、そんなことよりも何よりも、零の興味は彼の知っているかもしれない〝恋をかなえるための方法〟へと完全に移ってしまっていた。


「だから言っただろう? 昨日見たことはすべて忘れろと。にもかかわらず、こんなとこまでついて来て……これ以上、この件に関わってもろくなことにはならん。もう会うこともあるまいと放置したが、こうなっては致し方ない。悪いが、昨日の夕方から今までの記憶、俺についてのことはすべて消させてもらうぞ?」


 零が一筋の光明をこの転校生に見出す一方、彼はおもむろに窓縁から腰を上げると、ゆっくりと零の方へ近づいてきて、右手を彼女の顔の前へと伸ばす。


「ねえ! 史郎くんでも久郎くんでもどっちでもかまわないから、クラスメイトのよしみで教えてよ! 大噛神社のウワサは本当なの!? どうすればウワサの通りに願いがかなえられるの!?」


 だが、零は彼の話も耳には入っていな様子で、キラキラと目を輝かせながらさらに詰め寄る。


「おい、人の話を聞いてなかったのか? これからおまえの記憶を消す。だから、そんなこと教えても…」


「もちろんタダでとは言わないよ? はい、これ」


 そんなどうにも嚙み合わない零に、眉根を少ししかめると改めてそう宣告をする転校生の〝魔術師〟であるが、やはり話聞いていない零は、なにやら緑色をした立方体をリュックからそそくさと取り出し、それを彼の眼前へと唐突に差し出す。よく見ると、それはどうも草色の風呂敷包みのようだ。


「お代官さま、これで一つ、どうぞよしなに……」


「……はっ! こ、これは……」


 そして、越後屋口調でその風呂敷を開き、小さな重箱風弁当箱の蓋を開けると、中に入っていたのはあんこの〝おはぎ〟だった。ほど良く小豆の形を残した、艶のある黒い粒餡のものである。


「お昼だし、お腹空いたし、口淋しいからね。話はお茶でも飲みながらにしよう♪ あ、お茶もあるよ? 飲み比べようかと、さくら緑茶とさくらウーロン茶二本買ってあったんだ。どっちがいい?」 


 これまでの表情に乏しい顔から一転、なぜか目を見開き、おはぎに釘づけになる転校生に対して、さらに零はペットボトルのお茶も差し出す。


「……これ、おまえが作ったのか?」


「うん。わたし、スィーツ同好会に入ってるんだけど、午後の部活でみんなに振る舞おうかと思って。でも、もとからお弁当代りにしてもいいと思ってたし、食べちゃってもいいよ。ささ、どうぞ遠慮なく召し上がれ」


 いったいどうしてしまったのか? なんだか様子のおかしい転校生に問われ、零は笑顔でそう答えると、コンビニ並のサービスで割り箸も付けてやる。


「ゴクン……ま、まあ、勧められて断るのも無礼だからな。ここは大人な礼儀として、遠慮なくいただくことにしよう…」


「あ、でも、大噛神社のウワサのこと、教えてくれなきゃ、これはおあずけだよ?」


 だが、彼が受け取った割り箸を手に取り、その先をおはぎに伸ばそうしたその瞬間、零は不意に重箱を引っ込め、そんな交換条件を突きつける。


「フン。そう来たか……食い物で釣ろうなどと、なんとも浅はかな作戦だな。これしきの誘惑で俺がペラペラと口を割るとでも思ってるのか? こんな、たたが美味そうな粒餡に包まれた黒い甘美な物体ごときで……」


 卑怯な手をとる零に対し、蔑むようにおはぎを見下ろしながら鼻で笑い、そう嘯く彼であったが――。




「――もごもご……この高校の生徒で、あの日、あの時間帯、あの場所にいたということは、おまえも大噛神社の都市伝説については当然知っているな?」


 わずかの後、おはぎを口いっぱいに頬張りながら、彼は零の質問にすんなり答えていた。


 意外にも、じつはかなりの甘党だったらしい……しかも、どちらかというとクリーム系の洋菓子よりもあんこ系の和菓子派のようだ。


「うん。イヌの日の夕方にお参りすると魔犬が現れて、そのわんこと仲良くなれば、なんでも願いをかなえてくれるってやつでしょ?」


 確認する転校生に、彼の斜めとなりの窓辺に腰を下ろした零は、興味津々に目を輝かせながらうんうんと頷く。


「ああそれだ。この開慧高校の生徒を中心に広まっているウワサのようだな。無論、作り話だが」


「作り話? ……ええっ! そうなの? じゃ、じゃあ、つまり嘘ってことお!? なんだあ、せっかく信じてお参りしたのにぃ……」


「それはそうだろう? 魔犬なんてものがそうホイホイと現れてたまるか……ゴクン……だが、作り話ではあっても、嘘というには少々語弊がある。その裏に潜んだ真実を寓意的に語ってもいるからな」


 嘘と知り、零は一転、眉を「ハ」の字にして肩を落とすが、彼はまるで気にかけることもなく、選んで手に取った〝さくらウーロン茶〟を一口飲んで喉を潤すと、また奇妙なことを口にし始める。


「裏? どゆこと?」


「あの都市伝説はな、〝勝ち犬倶楽部〟へ入るための通過儀礼イニシエーション――つまり、そのメンバーとなる有資格者を見極める入団試験になってるんだ」


「かちいぬくらぶ?」


 そういえば昨日、あの〝赤ずきん〟ともそんな話をしていたような……と零は思い出す。


「昨日も言ってたけど、なんなのそれ? 犬好きの集まりか何か?」


「いや、この学校内で密かに活動している秘密のサークルらしい。秘密結社みたいなものだな。〝勝ち犬〟とは〝負け犬〟の反対……つまり、人生の落後者の逆で社会的に成功を収めた勝者・・という意味だ。そのサークルへ入るとあらゆる方面で能力に恵まれ、何においても負け組となることがなくなる……魔術の力を借りて・・・・・・・・理不尽なくらいにな」


 その名前から、なにやら微笑ましげな動物愛護団体かと誤解する零に、思いもよらぬその正体を彼は淡々と語って聞かせる。


「え、ってことは、そのクラブに入りさえすれば、なんでも願い事がかなえられるってこと!? そ、それに入れる資格って何? どうすればその試験に合格できるの!?」


 恋をかなえる奥の手を失い、大いに落胆する零だったが、予想外に得たその耳寄りな情報に新たな希望を見出し、再び目を輝かせると異様な食いつきを見せる。


「なに、ルールは簡単。まずはウワサを信じて規定通りの日時にあの神社へ行くことが第一条件だ。それは即ち〝神に願う〟という、ある種魔術的な方法の効果を認め、なおかつ魔犬に食い殺されるかもしれないという恐怖に打ちかつ勇気と信念を持っていることの証になるからな。その点では、おまえももう合格ということだ」


「えっ! わたし、いつの間にか合格? やったーっ! 合格だーっ!」


 その言葉に、まだ話の途中ではあるが零は頬を紅潮させ、興奮気味に大きく万歳をして素直に喜ぶ。


「ああ。それには俺も少々感心している。まるでそうは見えないが、逢魔ヶ時・・・・に一人であの場所へ行くとはなかなか肝が据わっているようだな。まあ、本気で信じてはいなかったのかもしれないが、魔犬を恐ろしいと思わなかったのか?」


「……え? ああ、別に怖くなかったよ。わたし、わんこ大好きだし、家でも一匹飼ってるから。それに……ほら、魔犬さんと仲良くなるためのこんな秘密兵器も用意してたし……」


 表情には現さずとも、どうやら褒めてはくれているらしい彼に、歓喜の雄叫びを上げていた零は振り返ると、床に置いたヒツジ型モコモコリュックの中から何やら白い棒のようなものを取り出して見せる。


「骨? ……その太さからすると大腿骨か? まさか、おまえ、自前の魔術武器を……」


 それは、よく見ると人間の大腿骨ほどもある太い一本の骨である。女子高生が携帯しているにはあまりにも不似合いなその物体に、魔術師ながらの穿った推理を巡らす転校生だったが。


「もちろん本物の骨じゃないよ? 犬のおやつ用の骨型ガムだよ。神社へ行く途中、ペットショップへ寄って買ったんだあ。けるべ郎・・・・…ああ、うちの犬なんだけど、けるべ郎も大好きだし、これなら魔犬さんもなつくかなあと思って」


 零は満面の笑顔で、その骨の形をした牛脂ガムをくるくるとバトンのように指先で回して見せる。


「なっ……おまえ、それで本当に魔犬を手なづけられると思ったのか?」


「うん。もちろん♪ 動物も人間も食べ物の誘惑には勝てないからね」


「うっ……ま、まあ、それも一つの真実ではあるが……ハァ…まったく。おまえはなんというか……そう。まさに〝愚者ぐしゃ〟だな」


 自信満々に答える零に、彼は箸で挟まれた食べかけのおはぎを見つめ、自分と餌付けされる犬を心の中で重ね合わせつつ、溜息混じりにまた聞き慣れない単語を呟く。


「ぐしゃ?」


「〝愚か者〟と書いて〝ぐしゃ〟と読む」


「ああ、なるほど、愚か者か……って、それ、どういう意味~っ!?」


「どうも何も、そのまんまの意味だ」


「ええーっ!? 愚か者だなんてひどいよーっ! わたしのどこが愚か者なわけ~っ!?」


「どこがって……全体的に? うん。まさに〝愚者〟だ。我ながらいい例えをした」


 その単語の訓読みを聞き、若干の時間差で頬を膨らますとプンスカ怒る零だったが、転校生はなんだかその例えが気に入ったらしく、一人満足げに頷いている。


「もお~っ! 女の子に向かってひどいよ! ひどいよ~! ……ん? でも、どうして今日転校して来たあなたが、この学校の秘密クラブについて詳しく知ってるの? あたしだってそんなの知らないのに……」


 さらに両腕を振り回して漫画のように怒りを表現していた零であるが、そんな疑問がふと頭を過り、振り上げた手を宙に止めたまま彼に尋ねた。


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