Ⅱ 「塔」でのお茶会(3)

「――ふぅーっ…終わったあ~……ねえ、お昼どうする? あんたんとこも午後部活あるんでしょ? たまにはうちの部室で食べてく?」


 帰りのホームルームが終わると、 大きく伸びをしながら珠子が近づいてきて零に尋ねた。


 一学期初日は、午前中に式典を行うだけで午後の授業はなく、後は各々に帰るなり、部活動のあるところはしてくなりするだけだ。


 普段なら、何か用事でもない限り、こうした珠子の誘いにものる零であったが、今日の彼女は違っていた。


「ご、ごめん! 急用思い出しちゃって。じゃ、そゆことで、珠ちゃんまたね!」


 モコモコのヒツジを模したファンシーなリュックサックを急いで背負うと、帰り支度を済ませた零はそう答えて教室を駆け出して行く。


「……え? あ、ちょっと零!?」


 キョトンとした顔で呼び止める珠子の声にも振り返ることなく、廊下に出た零はひしめく生徒達を掻き分けながら、人影に見え隠れするその目標ターゲットを懸命に追跡する。


 彼女の目標……それは言うまでもなく、あの〝黒い魔術師〟かもしれない転校生――有栖史郎である。


 ホームルーム終了後、改めて彼を問い質そうと思っていた零であるが、一足先にさっさと彼は教室を後にしてしまい、慌てて彼女も追い駆けたという次第である。


 彼が昨日の〝魔術師〟と同一人物なのか否か? それをはっきりさせないままの状態で、明日から同級生として…しかも、すぐ後の席という近距離で高校生活を送るなんて、精神衛生上よろしくないのにもほどがある。


 また今夜も悶々として過ごすのは嫌だし、今日、この最後の機会を逃さずに確かめなくては! という考えが、零の身体を無意識の内に動かしたのだった。


 ……あれ、どこ行った? ……え? 上?


 彼の消えた廊下の突き当りまで零もたどり着き、首を左右に振ってその姿を探すと、彼と思しきその背中はそこにある踊り場から下へ降りるのではなく、上階へと続く階段を登ってゆく。


 今、零がいるのは二年生の教室がある二階で、帰宅するならば一階へ降りるはずだ。それが、三年生の教室のある三階になぜ? 今日転校して来たばかりの彼に、三年生の教室になど用はないと思うのだが……。


 そんな疑問を抱きながら零も階段を登ると、踊り場から廊下へと出て再び彼の後姿を探す……すると、彼は三年生で賑わう教室棟の方ではなく、そこから直角に曲がって伸びる管理棟の方へと足を向けていた。


 この開慧高校の校舎は体育館やクラブ棟などを除き、管理棟と教室棟という二つの建物が「L」字にくっ付いた形になっている。ともに三階建てで長い縦軸の教室棟には一年~三年の各教室が、それよりやや短い管理棟の方には職員室や校長室、生徒会室などに加え、理科室や音楽室なんかの特別教室が配置されている格好だ。


 ついでに言っておくと、この校舎は普通よく見る月並みな鉄筋コンクリート造りではなく、木と石と漆喰でできた珍しい代物であり、無論、幾度となく改修は施されているものの、もとは明治の初め頃、地元の大工の棟梁が見よう見まねで洋館っぽく建ててみたという風変わりな代物らしい……。


 なので、白亜の洋風な外観なのに管理棟の屋根には瓦が葺かれていたり、天使の彫刻があるすぐとなりになぜか中華風の龍がいたりと、和なのか洋なのかよくわからない、摩可不思議な風貌となっている。でもって、こうした建物を業界では〝擬洋建築〟というそうなのだが、けっこう貴重なので何気に重要文化財に指定されていたりなんかもする。


 ……三年生に用があるんじゃなかったんだ……じゃあ、どこ行くつもりだろう? 職員室は一階だしな。三階にあるのは音楽室と美術室に視聴覚室、あとは放送室ぐらいだけど……もしかして、ブラバンか合唱部にでも入るつもりとか? いや、はたまた放送部ということも……あ、でも、まだお昼だし、行っても誰もいないよね?


 廊下の角から顔を半分だけ出して管理棟側を眺め、数メートル先を行く彼の姿に零は考えを巡らす。


 管理棟は教室棟側と違って、彼以外には人っ子一人、他の生徒達の姿はまるで見えない……なんだか背後に広がる喧騒が嘘のようだ。


 これなら見失う心配もいらないが、反面、人影に隠れることもできないので、見つからないよう距離をとって尾行しなければ……。


 最初は追い駆けて声をかけるつもりでいた零であるが、何やら怪しげな行動をとる彼の様子に、いったいどこへ行くつもりなのか? こっそり後をつけて確かめてみることに方針転換している。


あ! あそこは…!?


 そうして「L」字に曲がる廊下の角に身を隠し、某家政婦・・・・の如く零がこっそり覗っていると、彼は廊下のちょうど真ん中辺り、第二音楽室と視聴覚室に挟まれる形でなぜだか一枚だけぽつんと存在する、それだけ瀟洒な装飾の施された不自然で奇妙な木製のドアの方へと近付いて行った。


 部外者は「なぜこんな所にドアがあるのか?」と不思議に思うところだろうが、ここの学校の生徒ならば、それがいかなるものであるのか知らない者はいない……それは〝八角塔〟へ昇るための階段を隠す扉だ。


 八角塔とは、管理棟の屋根の上に立つ風見鶏付きの鐘楼である。


 教会の塔をイメージしてか? そんなものもあったりするのだが、洋風を真似た割にはなぜか八角形をしていて、むしろ中華風に見えたりもする。無論、鐘楼というからにはそこに予鈴の鐘が吊るされており、創建当時は実際にそれを打っていたらしいのだが、現在はスピーカーで機械的な音を流しているので実用品というよりは装飾的役割の方が強い。


 そんな塔へと続くドアに向かった彼は、視線を左右に振って辺りに人のいないのを確認する。


 やばっ…!


 零は慌てて顔を引っ込め、数秒の後、再びおそるおそる顔半分を壁の角から出して見る……すると、彼はヘアピンか何かをどこからか取り出し、ドアの鍵穴にそれを突っ込んで何やらカチャカチャとやっていた。


 授業をサボったり、たばこ吸ったり、はたまた若い男女が不純異性行為するには持ってこいの場所のため、普段は生徒が入らないよう鍵がかけれているのだが、どうやらそれを非合法に開けるつもりらしい。


 わぁ~転校初日早々いきなり大胆……こんなことするなんて、やっぱりただの転校生なんじゃない! となれば、思った通り彼はあの魔術師……でも、なんで八角塔になんか……。


 さらに疑惑を深めながら密かに零が見守る内にも、彼は慣れた手つきで鍵を外すと、素早くドアをわずかに開けて、その向こう側へと姿を消す。


 バレたら大変だけど……ここまで来たら最後まで見届けないと気が済まないし、それに、あたしも一度、塔へは昇ってみたかったしね……。


 一瞬、躊躇する零だったが、やはりここで引き返すような気にはなれない。彼女もすぐに後を追って、誰か来る前に自分もその中へと滑り込んだ。


 ドアを潜っても、そこにはドアと同じ幅の広さしかない……一応、明り取りの窓があるため真っ暗闇ではないが、その狭い幅で息苦しく壁に挟まれたまま、薄暗く、埃っぽい空気の中を木製の螺旋階段が頭上へと伸びている。


 彼の足音は聞こえてこないが、すでに上まで登り切ったのだろうか? 零は静かにドアを閉め、なるべく足音を立てないよう、そろりそろりと忍び足でギシギシ軋む階段を登って行った。


「わぁ……」


 だが、螺旋階段を一回り半ほどし、視界が不意に開けると、零は思わず感嘆の声を上げてしまう。


 そこには、八方に設けられた扉のない窓から、辰本市を一望に見渡せる絶景が広がっていた。


 北アルプスの蒼い山並みを背に、薄らと霞む春の空の下、目の前に見える町並の向こうにはこの街のシンボル――辰本城の漆黒の天守閣が勇壮にそびえ立っている。桃山期に建てられた豊臣方の平城で、その黒さと町の名から通称〝烏龍ウーロン城〟と呼ばれている国宝級の城だ。


 その城下町として発展したこの街には、幾度かの大火でほとんど消失はしたものの、まだそこここに蔵造りの町並みなど往時を忍ばせる風情が残り、また、この開慧高校同様、近代になって建てられた煉瓦造りの近代建築や昭和初期のモダンなコンクリート建造物、逆に近年建てられた前衛アート的な建物などもモザイクのように点在して、新旧入り乱れてのごちゃ混ぜなおもしろ空間を形作っている。それでいて混沌カオスではなく、それらが自然に融合して見えるのがなんとも不思議な光景だ。


「尾行してるつもりか知らんがバレバレだ。いったいなんの用だ?」


「……っ!?」


 突然の声に零が背後を振り向けば、そんな目の覚めるような景色をバックに、八つある内の一つの窓辺に腰を下ろし、欄干に肘を持たせて彼がこちらを覗っていた。


 そのまるで愛想のない表情に、ぼんやりと遠くを見つめるような不思議な色の浮かんだ眼差し……冷たく他人を突き放すような言葉遣いに、全身から滲み出る威圧感に満ちたこのオーラ……間違いない。昨日の夕刻、大噛神社で出逢ったあの黒尽くめの〝魔術師〟である!


「……え? …あっ! あ、あの、その、これは……」


 一瞬、景色に見惚れて油断しまくっていた零は、見つかってしまったことにあたふたと慌てまくる。いや、そもそも尾行していたことからしてバレていたようだ。


「……っていうか、そんなことよりやっぱりあなた、昨日神社にいたあの魔術師だよね!? なにが今日初めて会っただよ! あんなすっと惚けたふりしちゃって、名演技なんで騙されるとこだったよ!」


 だが、よくよく考えてみると、突然、彼が転校生として現れたことに比べれば、自分が尾行していたことなど実に瑣末な問題である。そんな責められるような義理はない。


 そう思い直した零はなんだか急に腹立たしくなり、興奮に紅潮させた顔で逆に彼を非難する。


「俺は別にすっと惚けても演技もしてはいない。それに、史郎・・にしてみれば、今日、初めておまえに逢ったというのは紛れもない真実だ」


 だが、彼は微塵も悪びれることなく、不愛想な表情を向けたまま、なんだかわけのわからないことを口にしてみせる。


「はあ!? なに言ってるの? あなたがその〝史郎〟でしょう!? 有栖史郎くん! それがあなたの名前じゃないの!?」


「いや、俺は史郎じゃない。俺は有栖久郎くろう。〝久しい〟に太郎の〝郎〟と書く。この肉体は共有しているが、史郎とは別人格・・・だ。まあ、ややこしいんで別人と思ってもらってかまわない」


 その返答に零は声を荒げてさらに問い詰めるが、彼はやはり表情を変えぬまま、抑揚のない声でさらに理解しがたいことをさらっと言って退ける。


「……別人格? ……て、つまり多重人格ってこと? フン! 下手な言い訳ね。そんなの信じるわけないでしょう? そんなこと言いながらもあなた、その別人格だっていう〝史郎〟くんとわたしが会ったことはちゃんと知ってるじゃない! 多重人格っていうなら、そのこと知らないはずでしょう!?」


 無論、俄かには信じられないそんな話、その矛盾点を鋭く突いて反論する零だったが……。


「正確には〝解離性同一性障害〟と呼ばれるものだな。ま、そんな病気扱いされても困るんだが……なに、俺の方が高位人格・・・・なんでな。史郎の記憶は俺も共有している。だが、史郎の方に俺の記憶はない。だから、史郎がおまえと今日初めて逢ったというのは事実だ。いや、俺もまさかあのクラスにおまえがいるとは思わなかった。この高校の生徒だとしても今年入学する新一年生か、むしろまだ中学の可能性の方が高いと思っていた」


 彼はその矛盾も一蹴すると、なんだか要らぬ失礼なことまで付け加えてくれる。


「うるさいなあ。どうせわたしは童顔でつるぺたのちびっ子ですよぉーだ。これでも気にしてるんだから、あえて言わなくてもいいでしょう……て、そんなことより! そんなの信じられないよ! まあ、確かにそれなら辻褄は合うかもしれないけど……でも、久郎くんだっけ? あなたの方が上だっていうなら、その久郎くんでいればいいでしょう? なのに、なんでさっきまで史郎くんだったの? やっぱり変でしょう!?」


 普段から気にしていることを無遠慮に言われ、思わず反応してしまう零だったが、一人ボケツッコミのようになりながらも、なお彼の話を信じることなく、新たな矛盾点を攻めようとする。


「それこそ演技するのが面倒なんでな。普段の行動は史郎に任せてある。おまえには偶然にも知られてしまったが、俺の存在をあまり他人には認知されたくないし、素の俺ではなにかと差し障りがある。特に煩わしい人付き合いの避けられない学校生活においてはな」


 だが、彼の方も彼の方で、零の突きつける疑問に対して、一応、筋の通る理屈で端から潰してゆく。


「知られたくないって……じゃあ、なんで今は史郎くんじゃなくてあなたなの? そんなに煩わしくて嫌なら、ずっと入れ替わらないでいればいいいじゃん!」


「そうしたいのは山々だが、少々調べもの・・・・があるんでな。それについての記憶を史郎は持っていないし、さすがに任せるわけにもいくまい。ここへ転校してきたのもそもそもそれが目的だ。煩わしさのために本題をおろそかにしては本末転倒というものだろう」


 ところが、さらに問い詰める零に対して、彼は予想外なほどあっさりと、疑問の核心に触れるそのことを答える流れでさらっと口から零した。


この挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668260630589

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