Ⅱ 「塔」でのお茶会

Ⅱ 「塔」でのお茶会(1)

 翌日、いよいよ二年の新学期も始まり、白のブラウスに紫のネクタイ、藤色のブレザーに灰色タータンチェックのスカートといった開慧高校の制服に身を包んだ零は、久々に自分の通う学校へと登校していた。


 本当に学校へ来るのは久しぶりだ。運動部なら部活動で春休み中も来ていたりするだろうが、あいにく文科系同好会(しかもかなりユルい…)所属の零としては、まったくそんな来る機会もなかったのである。


「おーす! 零!」


「ああ、おーす……」


「零 お久しぶり~!」


「ああ、そいえばそだねぇ……」


 だが、久方ぶりに会うクラスの友人達の挨拶にも彼女は上の空である……無論、昨日予期せず体験してしまった衝撃的な出来事のせいだ。


 あの後、家に帰る道中や家に帰ってからも、零はなんだか頭がぼんやりしていて、しばらく夢見心地な感じだったし、一晩明けてフィジカルな意味ではすっきりしたものの、あの信じ難い超常現象と赤・黒二人の自称〝魔術師〟のことがどうにも頭から離れず、気持ちの方はずっとモヤモヤしたままである。


 また、あまりの衝撃体験だったために、親友の珠子はおろか家族も含めて、まだ誰にもそのことを話してはいない。


「おっはよ~零! いやあ、勧誘活動も大変だよ。特にうちみたいな弱小同好会は大手に隅へ追いやられちゃってさあ。零が校門通ったのも気づかなかったよ」 


「んん? ……ああ、珠ちゃんか……うん。おはよ……」


 遅れて始業ギリギリにやって来た親友の珠子が声をかけても、やはり零は心ここにあらずといった様子で、窓際後から二番目という皆がうらやむ人気ポジションな自分の席に座り、ぼんやり頬杖を突いて宙を眺めている。


 ちなみに珠子同様、運動部や活発な文科系クラブは朝から校門付近で新一年生をターゲットとした新入部員の勧誘を行っていたりもするのだが、零のとこはやっぱりユルいので、そんな努力もしてはいない。


「……ん? どうした? まだ先輩のことでネガティぶってんの?」


「いやあ、そうじゃないんだけどねぇ……ま、あたしとしてもいろいろあるわけよぉ……あ! そうだ、珠ちゃん!」


「ん? なに? その今やっと、あたしに興味持った的な態度は……」


「……あ、いや、ごめん。なんでもない……」


 零はふと、昨日のことを珠子に打ち明けてみようかとも思ったが、やっぱり思い直してやめた。


 ゴシップ好きの珠子ならば、あの目を疑うような話も笑わずに信じてくれそうではあるが、真逆にむしろ暴走してしまいそうで、ある意味、大変危険だ。じつは一番、話してはいけない人物のような気もする……。


「? ……変な零。ま、いつもといえばいつもだけど……あ、先生来たね」


 首をふるふると左右に忙しなく振り、慌てて誤魔化し笑いを浮かべる零に、珠子は怪訝な顔で小首を傾げながら、担任が来たのに気づくと廊下側の自分の席へ戻って行く。


 そうして、モヤモヤした気分のまま、二年生最初のホームルームが始まったのであるが……。


「――みんな、久しぶりだな。元気だったか? 今年度も一年間よろしくたのむぞ」


 坊主頭にのっぺりとした顔の担任・平田寅吉(日本史担当。28歳独身)が、黒板を前にして月並な新学期第一声の挨拶をした。


 開慧高校では三年間クラス替えはなく、今年も同じクラス、同じ担任である。もちろん珠子ともまた一緒だ。


 ……だが、零達のクラスにとっては、一つだけ大きな変化があった。


「えー二年最初のホームルームの前に、転校生を紹介したいと思う。有栖くん、入りたまえ」


 なんと、予想外にも転校生がいたのだ。その言葉に教室内は一気に色めき立つ。


 そんな喧騒の中、ガララ…と教室前方の引き戸を開け、一人の男子生徒が静かな足取りで中へと入って来た。


 黒板の前で立ち止まり、こちらへ正面を向けると、やや前髪の長いアッシュっぽい髪色をした、痩身中背のそれなりのイケメン男子である。顔立ちは女の子にいてもいいくらいに端正で、目はそよ風のように涼やかだ。


 当然のことながら反応の鈍い男子に対し、女子の間からは黄色い歓声が賑やかに沸き起こる。


 その声に少々面食らってる様子の転校生のとなりでは、平田が黒板に軽快なリズムを刻みながら〝有栖史郎〟という彼の名前を大きな字で記している。


「……ゆうにし……いや、ありにし?」


 他の者達とは違い、まったく別のことを考えながらもそちらにぼんやりと目を向けていた零は、その読み方のよくわからない名前を何気なく呟いた。


「えー…東京の学校から転向して来た有栖史郎ありすしろうくんだ。お父さんの転勤で、この春から家族で辰本に引っ越して来たそうだ」


 だが、平田の口から出た彼の名前は、零の思った読み方とはぜんぜん違っていた。


 ああ、〝ありす〟って読むんだあ……人の名前って難しい……てか、完全に『不思議の国のアリス』を連想してしまう……。


「有栖史郎です。今日からこのクラスで一緒に勉強させてもらいます。よろしくお願いします」


 零が人名漢字の多様さに感心している間にも、その有栖という転校生は朗らかな笑顔を浮かべつつ、典型的なあたりさわりのない挨拶をして、転校生が行うべき最初の儀式を早々に済ませている。


「…………あれ?」


 ところが、そこで彼女は奇妙な既視感デジャヴュを覚えた。それよりも、もっと他に気にかかること・・・・・・・があったため、珍しい…しかもイケてる男子転校生にもまるで他人事のように興味を示さなかった零であるが、ふと、なんだか彼の声に聞き憶えがあるような気がしてきたのだ。しかも、ごく最近、この声を聞いたような……。


「ああぁぁぁーっ!」


 そう思いながら、改めて彼の顔をよくよく眺めてみた零は、ようやくその原因にたどり着き、思わず椅子から跳び上がって大声を上げた。


 その中性的な顔立ちに涼やかな瞳……その顔は昨日、大噛神社で出会ったあの〝黒尽くめの魔術師〟のものだったのである。


 髪の色もちょっと少違うが、それはおそらく夕陽を浴びて金色に染められていたからであろう。黒尽く零ではなく、藤色のブレザーにタータンチェックのパンツを穿いてはいるものの、明らかにあの魔術師の少年だ。


 ただ、わずかながらに相違点といえば、今日は微笑みを湛えているので少々印象が異なるのと、その瞳に昨日のぼんやりと遠くを見るような、不思議な色が浮かんでいないということくらいだろうか?


「風生? どうかしたか?」


 突然立ち上がって頓狂な声を上げる零に、平田が眉間に皺を寄せて訝しげに尋ねる。気がつけば、同じく怪訝な顔をしたクラスメイト全員の視線も、痛いくらい零一人に向けて注がれている。


「なんだ? もしかして、今朝来る途中に道の曲がり角でトースト咥えながらぶつかったのが、じつはこの有栖だったっていうベタな少女漫画的パターンか?」


 ハトが豆鉄砲食らったようになってる零に平田が冗談を言うと、ドっと教室内には笑い声が湧き起こる。


「え? え? ……あ…い、いえ……な、なんでもありません……」


 事実は、平田の言ったラブコメ路線よりもさらに奇なり・・・だ。


 昨日、彼と遭遇することになったあの超常的な出来事をみんなに話すわけにもいくまい……言っても誰も信じてはくれないだろうし、いや、むしろ自分の頭がどうかしてると思われてしまうのがオチだ。


 皆の嘲笑を受けながら、やむなく零は赤らめた顔で慌てて席に着くと、この場はとりあえず黙っておくことにした。


「それじゃ、その運命的な出逢いを先生も後押ししてやろう。有栖の席は窓際の一番後、風生の後の席だ」


「ええっ…!?」


 だが、次に平田の口にした言葉に、零はまたしても間抜けな声を上げてしまう。


 突然、あの黒尽くめの魔術師が転校生として現れたばかりでなく、よりにもよって自分の後の席だというのだ! いったい何がどうなっているのかさっぱりわからない。これを驚かずにいろという方がどうにかしている。


 一方、他の者達からは「ヒュ~! ヒュ~!」という冷やかしの口笛に混じって、「いいな~」とか「ズりぃ~」とかいう、一番人気の席を手に入れた彼に対しての羨望の声も上がっている。


 そう言われてみれば、教師の目が届かない率ナンバー1であるが故にそこだけずっとポッカリ空けられていた自分の後に、今朝来てみたら机が一つ新たに追加されていて、「なんでだろう?」と零も疑問には思ったのだ。


 ま、それどころではなかったので気にも留めていなかったが、「もしかして転校生がいるのでは?」とみんながウワサしていたような気もする……じつは、今、初めて知ったような顔で驚いているのは零一人だけであって、他のみんなはもっと前より薄々感付いていた、当然といえば当然の成り行きなのかもしれない。


もっとも、他の者達同様、そのことを事前に予期していたのだとしても、転校生がだというだけで零にとっては充分すぎるほどの驚きではあったのだろうが……。


「………………」


 喧騒の中、ゆっくりと歩いて来る彼の顔を零はおそるおそる見つめる。


「どうも、よろしくね」


 ……だが、彼は朗らかな笑みを湛えたまま、まるで零のことを憶えていないようなごくごく自然体な態度で、そう軽く会釈をして後の席に腰を下ろした。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668211681586


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