Ⅰ 「魔術師」に遇った日(3)

「足の速い〝メリクリウス〟を宿し、煙幕で目くらましをして逃げたか……神社であのお面なら、犬じゃなく天狗とかにしてほしいところだな……」


 次第に視界が鮮明になる中、魔術師は社殿の縁から飛び降りると、立ち尽くす零の方へ歩み寄って来る。


「ペンタクルを模して作った催眠誘導用の発煙弾か……まったく、よく考えたものだな。カテゴリ〝魔術師マジシャン〟に〝女教皇ハイプリーテスト〟の魔術……やはり本物と見たのは間違いなかったようだ……」


 だが、黒い魔術師は零に目をくれることもなく、しゃがんで最初に爆発した方の円盤の欠片を手に取ると、またなんだかよくわからない独り言をぶつぶつ口にしている。


「絶好の機会を逸した……ハァ…仕方ない。明日から地道に調べるとするか……」


 そして、立ち上がると零一人を置き去りに、溜息を吐きながらとっととその場を立ち去ろうとする。


「……あああっ! ちょ、ちょっと待って!」


 突然、現実とは思えない超常的な魔法合戦が目の前で始まり、また唐突にお開きになるというあまりにもあまりな急展開に、ただただ呆然と去り行く魔術師を見送ろうとする零だったが、わずかの時間差を置いて我に返ると、慌てて彼の背を追いかけてそのロングパーカーの裾を無意識にひっ掴む。


「うぐっ…!」


 すると、完全に油断していたのか? 不意にパーカーを引っ張られる形となった魔術師は後方へと仰け反り、その弾みでかぶっていたフードが偶然にも頭から外れた。


 ………………!


 その下から現れたのは、やはり零と同い歳くらいの少年の顔だった。といっても、中学生に見える童顔な零の外見的な年齢ではなく、高校二年生という実年齢の方である。


 沈む直前に輝きを増す夕日の陽光を真正面から浴びて、前髪のやや長く伸びたショートカットの髪は淡い金色に輝いている。


 その柔らかな髪を振り上げ、予期せぬ衝撃にこちらを振り返ると、わりと端正で中性的な、どちらかといえば美形の部類に入る顔立ちだ。前髪のかかる両の瞳は凍てつく氷のように冷たく鋭い眼差しをしている反面、どこか遠くを見るようにぼんやりともしていて、見る者になんだか不思議な印象を与えることとなるであろう。


「…………何か用か?」


 その奇妙な色彩の瞳で数秒、零のことを見下ろした後、黒い魔術師の少年は怪訝そうな顔でそう尋ねた。


 あんな常識外れなとんでもないものを見せておいて、何か用か? もないと思うのだが……。


「な、何かじゃなくて、い、今のは何!? なんか知らないけど、トカゲの形した炎がぼわっと杖の先から出たり、あなたの口からぷしゅ~って龍が出てきたり……ってていうか、あの赤い頭巾かぶった犬のお面の人は何者!? …ううん! あなたもいったいなんなの!?」


 色々訊きたいことは山ほどあるのだが、頭が混乱していて考えがまとまらず、とりあえず浮かんでくる質問をとりとめもなく、零は興奮した面持ちで矢継ぎ早に魔術師の少年へぶつける。


「ああ、おまえにも見えていたか。あの煙をいくらか吸い込んだな? ……なに、気にするな。俺もあの赤ずきんもただの怪異だ。逢魔ヶ時おうまがどきには怪異に逢うものだからな」


 その問いに、少年は零と対照的にえらく落ち着いた声色で、だが、よくわからない言葉を並べて答えた。


「かいい?」


「そう。端的に行ってしまえば、まあ妖怪みたいなもんだな。道で会っても相手の顔が判別しにくい、こうした黄昏時にはよくそうしたモノに出くわすと昔から言われてる……ということで、もうじき日も暮れる。これ以上怖い目に遭いたくなかったら、今見たことはすべて忘れてとっとと家に帰れ。それじゃあな」


 そして、小首を傾げる零にそう補足説明と忠告を与え、再び背を向けると今度こそ立ち去ろうと石鳥居の方へ向う。


「妖怪…………」


 その恐ろしいイメージを与える単語を聞いて、零の顔からみるみる血の気が失せてゆく。


 ……確かにあんな超常現象を起せるのは狐狸妖怪の類だけであって、人間には到底無理な芸当なのかもしれない……だが、今、話をしているこの黒い魔術師の少年は、どう目を凝らして見ても普通に生きている人間のように見える…いや、普通じゃないかもしれないが、少なくとも人間ではあるだろう。やはり、そんな嘘臭い一言で片付けられても納得はいかない。それに、零にはそれよりも、もっと気になることがある。


「…………ああっ! 待ってったらっ!」


「うごっ…!」


 零は再び黒いパーカーの裾を強く掴み、またしても少年は後方に仰け反った。


「何をする!? だから言っただろ? ここであったことはきれいさっぱり忘れて、早く家に帰れと…」


「ねえ、さっき言ってた願えば願うほどダメってどういうこと? だって、願いをかなえるたえめに願うもんでしょう? それじゃあ、お願いすること自体できなくなっちゃうっていうか、ということは、願いがかなえられなくなっちゃうっていうか……なら、どうやって神さまにお願いすればいいっていうの!?」 


 振り向いた少年は先程よりも語気を強め、迷惑そうに改めて忠告しようとしたが、それを言い終るよりも早く、零は意外な質問を口にしたのだった。


 それは先程、少年が現れた際に、お参りしていた零に向かって何気なく言った一言である。今しがた目撃した超常現象についても、もちろん説明していただきたいところではあるが、それよりも零にとっては〝願えば願うほど、願いがかなわなくなる〟というそのことの方が、はるかに重要な死活問題なのだ。そもそも零がこの神社に来た目的は、その〝願い〟をかなえることにあるのだから。


「ん? ……ああ、そのことか……」


 想定していたものとは違う零の質問に、一瞬、きょとんとする黒い魔術師の少年であるが、すぐにそれと理解すると、こちらの質問には妙にすんなりと答えてくれる。


「今、おまえも言った通り、人は願いをかなえるために願うという精神行為を行うが、それはむしろ逆効果だ。反対に〝かなえたい願い〟の実現からは遠のく。意識的に願えば、その分、無意識の反作用をくらうからな」


「無意識の反作用?」


「物理現象における作用・反作用の法則は知っているな? ある方向へ力を加えれば、それを加えた者もその逆方向にそれと同じ大きさの力を受ける。それの精神的作用版だと思ってもらえばいい。こちらも同様に意識的に願えば願うほど、無意識の反発は強くなる。まさに反作用だ。かの偉大な伝説的錬金術師パラケルススは、これを〝厄介なアデク〟と呼んでいるな」


「厄介な……あでく?」


 答えてくれたはいいが、なんのことやら聞いてもさっぱりわからない。零は目が点になった顔で、再び少年の言葉を鸚鵡返しに繰り返した。


「無意識はまさに厄介な代物だからな。人が自分のすべてだと思い込んでいる〝意識〟というやつは、心全体の内の表に現れた氷山の一角に過ぎない。その下には〝無意識〟という名の意識できない広大な領域が広がっている。故に〝潜在意識〟ともいうな。意識というその名の通り、それを自覚することすらできないが、意識では気づかないだけで意識以上に膨大な情報を知覚していたり、人の行動に多大な影響を与えていたりもする……外世界とのインターフェイスである意識よりも、むしろ無意識の方が心の本体だといっても過言じゃない」


「意識に……無意識……」


 小首を傾げ、頭にいくつも「?」マークを浮かべる零を前に、黒衣の少年はやはり難解な言葉で説明を続ける。


「だから、そうした無意識に意識が逆らうのは非常に困難なわけなんだが、さらに厄介なことには、大概にして意識が願うことと真逆なことを無意識は願ったりもする。しかも、その願いが強ければ強いほど、その強さに反比例した強さでな」


「ああ! それで、意識的に願えば願うほど、願いがかなわなくなるって……」


 途中の小難しい説明にはぜんぜんついていけてなかったりするのだが、その結論だけはわかったので零は声を上げた。


「そうだ。その原因はよくわからんが……意識が理性を司るのに対して、無意識が感情や本能、理性が抑圧している情動なんかを司っているためなのかもしれないし、もしも願いがかなわなかったらという不安が、無意識の中では願いと勘違いされるためなのかもしれん。願いも不安も〝想像〟するという点においては同様だからな」


 ……だが、やはりその理論は難しすぎて零には理解できない。


「これまでの人生をよく思い出してみろ? 何かこうなりたいと願っている時ほど、その願いとは逆の結果に終わったという経験はないか? その逆に、何も願っていなかった時に意外な幸運に見舞われたということも。願うといっても神に願うだけじゃないぞ? ただ心の中で願うのも含めてだ」


 そんな零の心中を知ってか知らずか? わかったような顔をしている彼女に対して、少年は不意に質問をぶつけた。


「ああ、そう言われてみれば……」


 思い当たる節はある……例えば、「絶対、当りますように!」と願って応募した懸賞が当らなかったのに、「ま、別にいらないけど、一応……」と応募したものがよりにもよって当ったり、寝坊して遅刻しそうになってる時に限って赤信号に引っかかるのに、余裕で家を出て、今朝はゆっくり行こうと思ってる日には無駄にタイミングよく青信号だったり……。


 それに、何よりも宍戸先輩関係においては、ありがたくもないことによりいっそうその法則通りだ。「先輩と仲良くお話ししたい!」と思ってる時には逢うことすらできなかったりするのに、まったく意識していなかった日にばったり出くわして、その上、思いがけず、うれしすぎることにもなぜか会話が弾んでしまったりと……。


 難しい話はよくわからないが、その具体的な経験については零にも感覚的に頷けるものがあった。


「それが、無意識の反作用による結果だ。〝人間、欲をかいてはいけない〟という教訓の隠れた一因もここにある。だから、願いをかなえたいなら逆に願わない方がいい」


「……で、でも! やっぱり願ってることを願わないなんてできないよ! 願ってるから願うわけだし……それに、よく思いの力が強ければ願いはかなうとかいうし……」


 しかし、経験則上、感覚的に賛同はできても、よくよく考えてみるとやはり納得いかない話である。


「そう。だからこそ、多くの者の願いはかなわない」


 だが、零の反論にわずかもひるむことなく、むしろそれを根拠として、少年は自らの説を補強する。


「自らの欲するところを願わないのは難しいからな。それに、思いの力云々というのは素人考えの嘘…というか、それこそ願望だ。まあ、そうであってくれた方が単純でわかりやすいからな。もっとも、その思いの強さによって努力をし、願いをかなえる者も中にはいるが、それは反作用を超えるほどの膨大なエネルギーを費やして強引に運命を切り開いたからであって、あまり効率の良い方法とはいえない。それに意識的にしろ無意識にしろ、その者達が成功したその時には願うこと・・・・を忘れていたはずだ」


「……じゃ、じゃあ、神さまにお願いするのも逆にいけないっていうの? あなたの話が本当なら、そういうことになっちゃうよね? なのに、なんでみんな、昔から神さまや仏さまにお祈りしてきたの? そんなのおかしいよ! だったら、神さまにお参りすることも…こんな神社だって意味ないじゃん!」


 なんとなく少年の言っていることももっともらしく感じるが、それでも感情的に納得がいかない……否。そうであっては困るので、納得したくないのかもしれない。自分から訊いておきながら、いつの間にか声を荒らげて零はなおも食い下がろうとする。


「いいや。そうは言っていない。神や仏を祀り、祈ること自体は願いをかなえるのに極めて有効な手段だ。ただし、意識的に願うな・・・・・・・と俺は言っている」


 すると、彼はそれまでの発言をすべて覆すような、またよくわからないことをさらりと口にしてくれた。


「はあ!? どういうこと? ちょっと、さっきと言ってること矛盾してない? だって願っちゃいけないんでしょう? 意識的に願わずにどう願えっていうの!?」


「だから、無意識に祈ればいいのさ」


「えっ? ……む、無意識に?」


 その単純明快な答えに、それまで目を吊り上げていた零は不意にポカン顔になって呟く。


「……で、でも、そんなのどうやって?」


「神や仏に祈る時、ただ、その神仏のことを思い、それと自分が一つになるイメージを無理せず想い浮かべればいい」


「一つになる……イメージ?」


「そうだ。そうすれば、意識的な願いに対する無意識の反作用は起こらず、人間が神と呼ぶ存在・・・・・・と通じ合えたり、その力を取り込んだり、無意識の願いを届けたりすることができる。無意識も意識していないだけで、己の本当に欲するところを願っているものだからな。逆に言えば、意識という反作用の障壁を生み出す元凶を取り除き、無意識でのみ神にアクセスすることが重要ってわけだな」


「……なんだか、わかったようなわからないような……でも、そのやり方でお参りすれば、願いはかなうってことなんだよね!?」


 やはり少年の話は小難しく、完全に納得できたわけではなかったが、それでも願いをかなえられる可能性を知ると、とりあえず零は論争をやめ、その彼女にとって一番重要視すべき点をもう一度確認する。


「まあ、それにもテクニックや修練が必要だし、程度の差はあるがな。それでも、反作用は起きないから少なくともマイナスになることはない。そうだ。なんなら、さっそくここで実践してみるがいい」


 それまでとは一転、パっと顔色を明るくして尋ねる零に、少年はそう答えると、背後の神社を目で示して改めて参拝するよう促した。


「あ! そうだね! うん! そうするよ!」


 その言葉に、零は素直に従うと振り返って社殿の方へ小走りで向かい、初回の分に加えてもう五円お賽銭を投げ入れ、正面に下がっている鈴の綱に急いで手をかけた。


「………………」

 そして、再度、ガランガランと鈴の音を響かせて二礼二拍手一礼すると、無心に手を合わせて教わった通りに、社殿の奥に眠るこの神社の神さまと心が一つになるようイメージする。


 それでちゃんと神さまに願いが届いているかどうかはわからないが、必死でお願い事をしていた先程に比べ、なんだかとても清々しい気分になることができた。


「……ふぅ。こんな感じかな?」


 一応、お参りを終えた零は、晴々とした顔で背後を振り向き、少年に尋ねる。


「……あれ? いない」


 だが、そこには夕闇迫る薄暗い境内が広がっているだけで、彼の黒い姿はどこにも見つけることができなかった。いくら黒尽くめとはいえ、まだ闇に溶け込むほどの暗さではない。


「ああっ! やられた~! あたしを煙に巻いて逃げるためにあんな話を……」


 ここに到り、ようやく少年の作戦に気づき、零は眉を「ハ」の字にして悔しがる。


「あ、で、でも、もしかして、ほんとに妖怪だった……とか? ……あわわわわわっ…!」


 現れた時同様、突然、姿を眩ました黒尽くめの少年に、零は急に背筋が寒くなってくると、慌てて心寂うらさびしい山中の神社から一目散に逃げ出した。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668110793544

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