不死身ちゃんのエンディングノート
ひとはし
第1話さしずめの人生
哲学はポテトチップスを二度揚げするようなものだ、という言葉があるが、それならばハードボイルドが固茹で卵という意味だという事とほぼ意味合いとして被っている。そうして同質性を見出すことに人生の本質はあるのだろう。自分で書いていて本当にクドいと思う。
俺は時岡カケル。14歳である。訳あって時間遡行の魔術、タイムリープをして14歳を繰り返している中身がオッサンの中学生だ。魔術の行使にあたって記憶、知識、経験、知力などはオッサンだった時のものを引き継いでいる。そういう訳でロースペックともハイスペックとも言えないような微妙な感じだが、知力に関していえば人間のIQは18歳でピークであると言われるので、伸び代は全くない。魔術の行使が多少できるだけで、周りに対してすごい無双ができるとかいうこともない。たまたま魔術を使えない人たちの世界に紛れ込んでいる異邦人である。魔術を使えるというだけでチートかもしれないけれど、元の世界基準でいえば平凡だ。それだけは断っておく。
俺は今、この世界において、魔術の行使が他の人間にとっても可能なものになるかどうか、弟子をとって試している最中だ。さて魔術の原理はといえば、簡単にいえば言葉を綺麗に扱う、これだけである。しかし、この言葉を綺麗に扱う、というのはなかなか生半可ではない。マクロの世界の実態としての体系と、意味と概念だけであるミクロの言霊の体系の並びを同じように整頓し、言霊と照応される現実の事象、双方の結びつきを強める為に、語ったこと、刻んだことを実行するという地味に厳しい修行が必要だったりする。これは移ろいやすい“言葉”の表面的な定義の厳密さよりは、意味合いの込め方が重要になる。文脈だけではなく語らない行間にすら嘘は許されないということである。その辺りさえ守っていれば、カッコいい適当な呪文にアテ字で意味を込めてもよい。ともかく修行を重ねて特定の言葉に対する自身の信用を溜めた時、それを現実に働きかける力に反転して放出する事が出来るようになる。これが魔術である。
さて枝葉末節に話が逸れたついでに、此処で早々にもう一つのヒミツをいうと、俺は死にそうになったら未来視が発動する。つまり必然なる事実として原則的には不死身である。既に語ったように、タイムリープが出来るので、未来視の魔術が発動し、その先に自分に不都合な死が見えたらやり直すことが可能だ。つまりこの死に方は嫌だなぁ、と思ったらタイムリープをすればいいのである。だからよほどの不注意がなければ生き放題だ。そしてここからが本題であるが、俺がわざわざこの世界に来たのも、元の世界では未来視の魔術自体、愉快な他の魔術師に邪魔されたりして、理想の死に方に持っていこうとしても、ぜんぜんうまく死ねないからである。正直、未来視自体が当たっていたのか外れていたのかさえまるでわからない。こうなると狂人の世迷言と変わらないしふざけているのかと思われるかもしれないが、俺はべつにこの世界に遊びでやってきたのではない。自分にしかわからない危機感をもってやってきたのだ。他人はそれを理解してはくれない。弟子をとっている理由も、自分を超える魔術師を育て、師である自分を超えた証として弟子に打ち倒される、という元の世界での“わりと伝統のある筋書き”を達成したいからである。元の世界で弟子をとったことがないではないが、すでに俺よりも魔術が上手い奴、或いはすでに他の魔術師に教え込まれたような奴ばかりで、“俺だけが純然に育てあげた上で俺を越えさせた”と言えるような人材が枯渇していた。教えるのが下手なのか、弟子が初めからクセを持っているとどうしても上手くいかないのもある。なまじやり直しが出来るだけに俺は拗らせてしまったのだろう。だいたい、最近の魔術師の奴らはというと、拘りもなくお互いにけしかけあってダーウィン賞(おもしろ死に方選手権である。知らなければGoogleで調べてくれ)に載るような死に方をホイホイしやがって、まったくけしからん、邪悪極まりない奴らばかりである。少なからず俺も奴らからしたら前時代的なカビの生えた魔術師なのかもしれないし、この世界で喩えるなら、新卒を取りたい大企業の人事か、オタクが付き合う女を選り好みして処女厨になっているようなものである。しかしだからとて周りの奴らの魔術に巻き込まれてよくわからない死に方をするのは嫌すぎた。付け加えて元の世界に於いては、相反する理念を持った人間はいるだけで魔術の効力は半減する。よって修行を終えた魔術師たちは、ほうぼうの世界に散って、好きにやっていくのが寧ろ通例であり、“伝統”なのである。であるからして、元の世界に居残った連中は本当にロクな奴らであるとはいえなかった。まったく愚痴になってしまったが。
しかしもちろん、俺だってこの世界に少なからず死ぬことを目的にやってきた上に弟子をとるなどといいながら他人の命運を弄んでいる分、この世界の基準でいえば、元の世界のわけわからん死に方をしたりさせたりしている連中と同程度には意味不明の、混乱を招く者である。自分の超自我の為に他者にパターナリズムを押し付けようとしている者だ。明確なエゴの意志が介在している分には邪悪だと言えてしまうのかもしれない。けれどそれがなんだと言うのだろうか?他者に対して自分自身に寄り添って欲しいというのは根源的な愛の欲求ではないのか?俺が俺のエゴで意志として通さなければならない責任といえば、自分の筋書きを完成させることである。それはこの世界、或いはその外の世界の社会通念としての正義とはまるで関係がない。弟子の事情にも関係がない。それ自体が大きな魔術の修行である。そこはちゃんと自覚をしているつもりだ。感情論的にいって、俺のエゴイズムの綺麗に死にたいというのは、単純にいえば納得がいかないから生きたいなのである。社会道徳に従って生きたいという以上に、自分の美学に照らし合わせて汚く死ぬのはいやなのだ。そういった意識を持つことは、それを手放すことよりは、人生を健全化するとは言えないだろうか?これはこの世界の14歳としても等身大の、実に普遍的な悩みだといえるだろう。中身はオッサンだけど。
だいたい、生命なんてエゴの邪悪さ以外のなんであろうかという話である。であるならばこそ必要な美学がある。俺の死は必ずや愛をもって完成させる。問題は、形だけの愛を求めてもそれはきちんと愛になるのか?
愛にせんとする執着はおぞましいものに変わり果てはしないか?
それがこの物語のテーゼだ。
つまり魔術があろうがなかろうが、それは補助的な要素であって、異世界であろうと、どの世界であろうと、話の次元としては何処でも変わらない話である。
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