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 少し遡る。 菫が仕事の打診をして来た日の夜、無事に定時上がりをしたアイゼンが待ち合わせの店に赴いた。落ち着いた雰囲気の店だった。

 入店し、店内を見回す。菫はまだ居ない。案内をしてくれるスタッフにもう1人来る事を告げ、先に席へと案内して貰った。本来は菫を待ってからオーダーしたい所だったが仕方がない。アイゼンはまずモスコミュールをオーダーした。 程なく菫が入店して来た。案内されてアイゼンの隣に着くとアプリコットクーラーをオーダー。


「スミさん。で、仕事って何をする?」


 菫のドリンクが提供されてから、アイゼンは静かに切り出した。落ち着いて静かな店内とは言えピアノの曲が流れているし、他の客とも少し離れた席故に小声で話す分にはまず問題ないと思われた。菫からは1冊の薄いファイルが渡させる。ぺらり…と表紙を捲れば数枚の調査報告書が綴られていた。


「同伴に関してはあくまで彼等は目眩まし。彼等程見た目が派手であれば、私達は然程目立たない。本当の目的はこちら」


 指でとん…と示されたのは女性の写真。


「詳細は書類で確認してくれる?」


 内容はそう多くはない。書類に目を通すと数分で粗方の概要を理解した。菫が自身の唇をそっとアイゼンの耳元へ寄せる。


「取引に見せ掛けた…抹消任務。これが今回の仕事」


 誰にも聞かれない様に核心を伝えると、実年齢よりも幼く見える笑顔がアイゼンに向けられる。あぁ、この女はこうやってたくさんの人を騙してきたに違いない。


「今回の仕事は間違いなく『あれ』だろ?黒曜は?」

「今回、黒曜は入れない。だからリア君とアオ君を入れるの。彼等には私達を隠す壁になって貰いましょう」

「…壁…。スミさん、もしかして…」

「何かしら?」


 アイゼンにとって思う事はある。それは自由に対する代償。それを返す頃合いが近付いた、と。


「で、どう始末する?」

「近距離狙撃。アイ君なら出来るでしょう?だってアイ君の近距離射撃の腕は誰よりも素晴らしいもの。アイ君がどう思っているのかは知らないけれど、シュタールはアイ君を買っているわ。あー腹立つ。結局シュタールはアイ君の事が気になって仕方ないのだもの」


 菫の口から出た『シュタール』と言う名に、アイゼンは完全に気が付いた。もう断ることすら出来ない、と。もうなる様にしかならないんだ、と。


「そんなアイ君にお手紙です」


 1通の封書がアイゼンに渡される。中を改めて全てを覚る。もう逃げられない。何年も好きにさせて貰ったのだ。もう我儘は言えないのだろう。

 それぞれもう1杯ずつドリンクをオーダーし、それを美味しく頂いた。


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 酔うに酔えない状況でアイゼンは帰宅する。リビングのテレビ前に置かれたローテーブルの上に置かれたリモコンスタンドの中の煙草を手に取った。賞味期限は少し過ぎていたが、問題はないだろう。 パッケージを開けてビニールは捨てる。

 アッシュトレーがやはり見付からないので、アルミホイルでアッシュトレーを形成し代用する事にした。普段であればそうまでして吸いたいとは思わない。だが今日は無理だった。吸いたかった。

 1本だけ煙草を出し、ジッポも見当たらないのでガスコンロで煙草に火を灯す。そのままアルミのアッシュトレーを手にベランダへと出た。 ゆらゆらと立ち上る煙。それは少しの風で散り散りとなる。口に煙草を咥え、ゆっくりと吸い込む。そしてゆっくりと吐き出した。この煙の行く末など到底わからない。それは自分も同じ。自分の行く末もわからない。


 ただアイゼンがわかる事は、それまでの『当たり前』が崩壊すると言う事だけだ。


 まだ煙草は残っている。だがもうどうでも良くなった。アルミのアッシュトレーで始末すると、何回も大きく呼吸をして肺の中の空気を入れ換える。出来ればあまり部屋の中に、煙草の匂いを残したくなかった。 部屋に入るとまず煙草の始末を完全にした。それから冷蔵庫と冷凍庫の食品を整理する。もう買い足しをする必要もない。あと数日で空にして、電源を落とさなくてはならない。


 菫がアイゼンに渡した手紙は、彼にとって『離別を告げる者』だった。


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