7/9


──右手が痛い。


 ちりちりと痛む右手を見る。呪符の火花を浴び続けた右手が赤くなり、もう痛くて堪らない。左手も右手程ではないがほんのりと赤くなっていた。アオイ自身、こんなにも短時間でたくさんの呪符の処理をしたのは初めてだった。呪符破壊も呪符の無効化も思っているよりも疲れる事を初めて知った。今までだって必要に迫られて何回か呪符の無効化をしてきたが、それこそたかだか1~2枚程度。単に疲れに気が付けなかっただけ。


──でも、僕がやらなきゃ。


 最年少である彼の意見を聞いてくれた小隊長の期待に応えたい、アオイはそれだけで今、動いている。


──あと少し…。


 残りは書斎の隣の部屋と、その間の廊下の呪符の確認と処理のみ。もう少しで彼にしかこなせない仕事が終わる。アオイは呪符無効者故、普段の戦闘や演習において一切呪符を使えない。呪符に関しては全く役立たずだと思っていたし、無論それを選んだのはアオイ自身だったから自分を責めるしかなかった。だが今回は他の誰もが呪符に手出しを出来ない状況に陥っている。解放宣言も要らない、誰かが触れただけで発動する呪符に唯一対抗出来る。

 書斎の隣の部屋の呪符は破壊すべき呪符だった。バチっ…と、小さな痛みは既に感じなくなった右手で呪符を握り締める。そして両手で破り棄てた。火花が散り、燃え尽きる呪符。残すは今居る部屋と書斎の間の廊下に呪符があるかどうか。アオイはふらふらしながらも廊下に出る。書斎の向こう側に、リアンとアイゼンの姿を確認して少し安心した。最後、廊下の呪符を確認する。ここには設置されていない。

 アオイは呪符ケースを掲げて笑顔を見せた。やりきった事をアオイなりに伝えた。


 あとは書斎の中のみ。アオイもそっと中の様子を窺った。


「貴方には人なんか救えない!貴方のお父様が求めている物なんか作らないくせに!貴方のスキルは確かに素晴らしい。でも傲慢で自分のスキルを違う方面で誇示してばかり。それは求められていないってどうしてわからないの?」

「…ってめ…」


──何で…?何でここに?


 心臓がどくん…と弾ける様な感覚。


──『何が怖い?』と問われれば、命のやり取りと答えたい。


 目の前で行われているのはまさに『命のやりとり』。軍属のアオイにとって、命のやりとりなんて良くある事の筈なのに、目の前でロゼが呪符士に突き飛ばされ、足元から拾い上げたハンドガンを突き付けられているその光景。それを見た瞬間、数年前の事が甦り怖くなった。あの時に傷付けられたのはルヴィだったが、今度はロゼが傷付けられる。多少形は違えど、あの時を繰り返すのか、と怖くなった。


 最初に動いたのはリアンだった。この状況では穏便になどもう無理。自らのハンドガンを構え、呪符士が持っているハンドガンを近距離から撃ち飛ばす。

 アオイが飛び出した。過去と同じ事が繰り返されるかもしれない。でももしかしたら繰り返されないかもしれない。

 ロゼを突き飛ばした呪符士を、今度はアオイが突き飛ばした。呪符士の左手から呪符が零れ落ちた。ひらひらと舞うそれは、ロゼを目掛けてゆっくりと落ちて行く。

 自分の得物を全て手から失い、突き飛ばされた呪符士はアオイの次に踏み込んだアイゼンによって確保された。



──『何が怖い?』と問われれば、あの時のルヴィの表情と答えたい。


 目の前に居るロゼに重なって見えた気がした。確かに似ているとアオイは感じている。似ているどころか…とさえ思う。

 過去のルヴィは客人を厳しく睨み付けていた。そんな表情をさせたサフィールは自分自身を責めた。自分の不甲斐なさをサフィールは責めたし、そう思わせてしまった事をルヴィは責めた。


──『何が怖い?』と問われれば、呪符だと答えたい。


 自分達が『呪符増幅者』と知らなかったサフィールは、自ら呪符に触れ暴発させた。あれ以降、サフィールは呪符が怖かった。だけど今は?今はもう怖くない。


 2人の呪符増幅者は、片や『呪符増幅者』を受け入れそれと上手く付き合って来た。片や『呪符増幅者』である事を苦痛に思い、それを棄てて『呪符無効者』となり真逆の道を選んだ。


 だから大丈夫。


──『何が怖い?』と問われれば、炎だと答えたい。


 アオイは必死に手を伸ばす。ひらひらとロゼに舞い落ちる呪符に向かい、必死に手を伸ばす。アオイの指先が呪符に触れるか触れないか、その瞬間。


「サフィール、駄目っ!」


 ロゼが叫んだ。刹那、アオイの手の内に呪符が納まった。

 バチっ…と呪符から魔術的火花が散る。ロゼの脳裏には、呪符から吹き出す炎しか思い描けなかった。


「…あ…」


 自分に残された道は、至近距離からの炎に巻かれ、焼き尽くされる道のみ。それしか未来は浮かばない。


「大丈夫だよ、ルヴィ。炎なんかもう出ない」


 ロゼの目の前には笑顔のアオイが居た。


─────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る