依頼主──②

コミック1巻

_人人人人人人人_

> 本日 発売 <

 ̄YYYYYYY ̄


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 部屋に入って最初に感じたものは、異臭だった。

 臭いというわけではない。いろんなところから漂う、薬や金属の混じったような臭い。

 それから、何かを煮ているような音。

 滑車が回るような、軋むような、不安を掻き立てられるような音も聞こえる。

 カーテンは締め切っているのか薄暗い。

 少しずつ視界が暗さに慣れてくると……。



「う、わ……」



 見渡す限りの道具、道具、道具。

 乱雑に書き殴られたメモ用紙は壁だけじゃなく、床や天井にも張られている。

 棚には鉱石だけじゃなく、植物や魔物の標本が飾られていた。

 本は部屋の隅に山積みになっていて、埃を被っているものもある。

 ザ・研究者。そんな印象を持つ部屋だった。


 薬の研究をしているって聞いてたから、ある程度の予想はついてたけど……これは凄いな。

 でも、不思議と居心地は悪くなかった。



『うわ、きったな』

『ボク、ここのにおいきらぃ……』

『そうか? 俺は好きだぞ』



 みんなが思い思いの感想を口にする。

 確かに、俺もここの臭いはちょっと苦手かも……。

 少しだけ顔をしかめていると、スフィアが天井のメモを見上げているのが見えた。



「スフィア、どうしたの?」

『……ここにいるのは、本当に人間ですか?』

「……え?」



 ど、どういうこと……?

 スフィアは天井を指さし、宙をなぞるようにして指を滑らせる。



『まだ理論は不十分ですが……ここにあるものは、現人類より200年ほど先の技術が書いてあります』

「……はい?」



 200年、先……?

 改めて見上げ、メモを見る。

 ……俺に学がないのもあるけど、まったくわからない。何が書いてあるのかさっぱりだ。

 先を歩いてるトワさんに気付かれないように、スフィアに耳打ちする。



「本当に……?」

『はい。私を構成している技術の一端が書かれていますね。ここに書いてあることを理解できる現人類は、マチルという方を除いて誰一人いないでしょう。コハク様以外にこの言葉を使うのは癪ですが……天才ですよ、この方』



 お、おお……スフィアが手放しで賞賛するなんて。

 スフィアに認められるほどの天才……余計気になってきた。

 呆然と部屋の中を見渡していると、トワさんが振り返って首を傾げた。



「コハクさ〜ん? どうしました〜?」

「あ、いえ。ちょっとびっくりして……」

「ふふふ〜、ですよねぇ〜。私も最初に来た時は驚きました〜」



 まあ、部屋もそうだけど、マチルさんの頭の中の話で……いや、この話はよそう。

 トワさんに続いて、部屋の奥へ向かう。

 扉の先は小汚い廊下が続いていて、壁には何かの数式や図形が書かれている。

 俺たちはまったく理解できてないけど、スフィアだけがどことなく楽しそうにそれを見ていた。



『亜次元理論、異空歪曲論、アザエラ方程式、空虚図式……おお、異界アース論まで』



 ……まったくわからない。

 本人は楽しそうにほくほくしてるから、いいけど。



『スフィアって、たまにド変態になるわよね』

『むずかしー話、眠くなる……』

『理論で腹は膨れん』



 みんなはつまらなそうだ。

 わからない話って、想像以上につまらないもんね。わかるよ。

 とりあえず、なんか凄いっていうのはわかる。


 そのまま廊下を進むと、1番奥の扉の前で立ち止まった。



「マチルさん、入りますよ〜」



 今度はノックすらしなかった。

 扉を開けると、そこからは古本のいい匂いが漂ってきた。

 今までの異質な空気ではなく、ひんやりとした不思議な空気。

 部屋の中は薄暗いが、一点だけ暖色の読書灯がついている。

 その灯りだけで全体を見ることはできないけど……本だ。すべて、本で埋め尽くされている。


 そんな本だらけの部屋の中で──彼女だけが、異質だった。


 積み上がった本を椅子の代わりにし、片膝を立てている女性……いや、少女?

 水色のショートヘアー。

 髪色と同じ、水色のローブ。

 丸メガネの奥に見える鋭い眼光は、読んでいる本から目を離さない。


 彼女が依頼主……マチルさん……?



「マチルさん、こんにちは〜」

「…………」



 ……え、ガン無視?

 トワさんを見ると、困ったような笑みを浮かべていた。



「彼女、研究に没頭すると外部の刺激がすべて遮断されるみたいで〜。眠らず、飲まず食わずで餓死しかけたこともあるんですよ〜」

「それ大問題では?」

「それからは、5日に1回は休憩するようにしたみたいで〜」



 5日間は徹夜で飲まず食わずってこと? それもだいぶやべーんじゃ……?

 トワさんは慣れているのか、普通にマチルさんへ近付いていった。



「はい、クルシュちゃん。いつも通りお願いしますね〜」

「グルッ」



 いつも通り?

 トワさんがミニクルシュをマチルさんの耳元に近付ける。

 そして──



「ガルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」



 ッ、咆哮……!?

 いくら小さくなったクルシュとはいえ、耳元で咆哮って……!?


 思わず耳を両手で塞ぎ、距離をとる。

 たっぷり数秒の咆哮が止むと、辺りに静寂が訪れた。



「マチルさん、聞こえますか〜?」

「…………………………え? あ、トワ」

「こんにちは〜」

「こんにちは」



 マチルさんはようやく気付いたのか、本を閉じてトワさんと談笑する。

 えぇ……嘘だろ。鼓膜すら破れてないの……?



『変人ね』

『変人だな』

『変人ー』

『変人ですね』

「変な人、です……」



 みんな揃いも揃って失礼な。いや、変人だと思うけど。

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