第36話 ヒロインは委員長

 千代のその震える声が耳に届いた。


 見ると彼女は俯き、力いっぱい拳を握っている。




「一緒に過ごした時間なんてたかが知れているのに、私のことを知った気になって話をしないで」




 強い語気の千代。




「私は、陰で見当違いなことを言われてるのなんて慣れているし、助けてもらう必要なんてない! 私は一人で頑張って来たし、これからも一人で頑張れる……だから!」




 だけどそれが、本当は弱い自分を隠すためのものだと、俺には分かった。




「あなたのその、『伊院のことなら理解している』って態度が気に入らないの!」




 千代は俺を睨みつけて言った。


 彼女のその瞳には、今にも溢れて零れそうなほど、涙が溜まっている。




 普段の彼女であれば、こういった形で声を荒げることはなかったはずだ。


 しかし、亜希の言葉や今日の千代の様子から、つい先日も先ほどと同じように、自分の陰口を聞いてしまったのだろう。


 だから、彼女は傷つき、普段のような冷静な対応が出来ないのだ。


 俺は、千代の視線をまっすぐに受け止めてから、口を開く。




「確かに、俺たちがまともにかかわり合ったのには、つい最近のことだ。だけど俺は――ずっと、伊院のことを見ていた」




 この繰り返される時間の中で、俺はヒロイン達をいつも見続けていた。


 俺の言葉に、嘘はない。




「嘘よ!」




「本当だ」




 俺の言葉を否定する千代は、




「本当ならなんで……なんで、今まで助けてくれなかったのよ」




 弱々しい声で、縋るようにそう呟く。




「正しいことをしているはずなのに。誰にも理解されなくて、手を差し伸べてもらえなくて、辛い時は沢山あった。だから、誰にも助けてくれなくても、私は強くて正しいから一人でも大丈夫だって、自分に言い聞かせて、なんとか頑張ってきたのに。今頃、そんな風に理解されたら、優しくされたら……」




 千代は、続く言葉を口にしなかった。


 何を考えているのかは、なんとなく想像がつく。


 理解してくれる人がいるならば、一人でも大丈夫だと頑張り続けたこれまでの自分を否定することになりそうで、どうしても認められないのだろう。




 だからといって、これから先も一人きりで頑張り続けることを彼女が選んでしまったら……その先にあるのは、最悪のデッドエンドだ。




「そのことを言い訳するつもりはない。伊院が辛い時も、俺なんかの助けは必要ないだろうって、見殺しにしてしまった」




 ループの中、俺はいつも千代を助けられなかった。


 友人キャラの俺では力が及ばないからと言い訳をしていた。


 せめて少しでも力になればと、公人に千代のサポートを頼んでも、それで彼女が救われることはなかった。




「俺は、間違えた。もっと早く行動しないといけなかった」




 同じ時間を何度も繰り返していたのに、俺は正しい選択が出来なかった。




「だから、今度は間違えない」




 俺はそう言ってから、俯く千代に歩み寄る。


 距離が近づくたび、彼女は僅かに後ずさる。


 だが、確実に俺と千代の距離は縮まり、彼女を壁際に追い詰める。


 顔を逸らし、避けようとする千代を、俺は壁に手をつくことで逃げ場をなくす。




「何か話して……黙ったままだと、怖いわ」




 俺を見上げる千代。


 だが、先ほどのような苦しそうな表情ではなかった。


 不安と……そして、期待が入り混じった表情で、俺を見つめていた。




「もう、一人で頑張らなくても、強がらなくても良い。……これからは、俺がいるから」




 俺の言葉に、何かを言おうとして――唇を強く噛んだ伊院。


 彼女に、俺は続けて言う。




「伊院が不器用で、誤解されてばかりで、他の人から理解が得られなくて、一人で傷つくのは今日までだ。これからは俺が傍で支える。伊院のことを誰にも傷つけさせはしない」




 俺の言葉に、千代は呟く。




「信じて……良いの?」




「ああ、信じてくれ」




 俺は彼女の問いに即答した。


 その答えを聞いた千代は、俺の制服の裾を強く握りしめ、問いかける。




「どうして、私を助けてくれるのか教えて欲しい……」




 俯き、俺の胸に額を押しあてる千代。




「言葉にしないと、分からない?」




 俺の言葉に、千代は顔を上げる。


 紅潮した頬、潤んだ瞳。


 彼女は期待したように、俺を見つめている。




「……真面目で、いつだって一生懸命で。強がってるくせに実は人一倍繊細な伊院を、俺は傍で支えたいって思ってる」




「それは、つまり……?」




 きっと彼女も、これから俺が何を言うのかは分かっているはずだ。


 しかし、俺の口からその言葉を言わせたいのだろう。


 弱々しくも、どこか悪戯っぽく問いかける千代に向かって俺は答えようとして――。




「つまり、俺は伊院のことが――」




 好きだ、と告白をする前に、俺の唇は――。






 千代の、甘くやわらかな唇によって、塞がれた。


 続く言葉を紡げなかったことよりも、不意を突かれたことに俺は動揺をする。




 唇から、千代の温もりが離れた。


 俺は今、顔が真っ赤になっているだろう。


 ――目の前の、千代と同じように。






「好きよ」






 千代は俺を見上げ、小さな声で、それでもはっきりと、そう言った。




「俺が言おうとしたのに、酷くない?」




 俺が軽口を言うと、千代は顔を真っ赤にしたまま、口元に笑みを湛える。




「……不純異性交遊は駄目なんじゃなかったか?」




 気恥ずかしさを誤魔化すように俺が言うと、千代は可憐な華が咲いたと見紛うほどの笑みを浮かべた。




「不純異性交遊は校則違反だけど。あなたを想う私の気持ちは、絶対に不純なんかじゃないわ」




 そう言って千代は瞳を閉じ。


 ――もう一度、お互いの唇を重ねた。


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