第5話 負けヒロインは幼馴染③

「亜希」 




 俺は滑り台の上で静かに泣いている彼女に声を掛けた。


 亜希はゆっくりと顔を上げる。


 チラリと見えたその表情には、期待が込められているように見えた。




 声を掛けたのが、公人であってほしいと――そんな期待をしてしまったのだろう。


 残念ながら公人ではなく、俺なのだが。


 コチラを一瞥した亜希は、すぐに失望した表情を浮かべ、そしてまた、すぐに俯いた。




「なんであんたがいるのよ。本当にストーカー? キモイから、さっさと帰ってよ」




 実際、亜希の後を追い続けているため、ストーカーと言われても反論できない。


 様子を見るだけなら、こうして声を掛ける必要はなかっただろう。そうしなかったのは……。




「放っておけなかったんだよ」




 俺の言葉に、「はぁ?」と苛立ったように呟いてから、




「なにが?」




 と問いかけてくる。




「公人のこと、好きだったんだろ?」




 俺が言うと、亜希はバッと顔を上げ、こちらを見た。


 涙が滲んだ目尻、図星を刺されて恥ずかしかったのか、頬は紅潮している。




「は、はぁ!? 違うから、幼馴染だから一緒にいることが多かっただけだから……勘違い、しないでよねっ!?」




 テンプレートなセリフで、亜希は否定した。




「そんな言葉信じるのは、公人本人くらいだからな。他の皆は、亜希が公人に好意をもっていること、知ってると思うけどな」




 俺はそう言ってから、ハンカチを取り出して亜希に渡した。


 彼女は恐る恐る受け取ってから、それで目元を拭った。




「なんでこうなったんだろ……」




 亜希はもう、俺の言葉を否定もせず、ただ力なく呟くのだった。




「……何でだろうな」




 俺も、亜希と同じように呟いた。


 これまで、こんなルートは無かった。


 ポッと出の脇役女子に公人が攻略されたのはどうしてだろうか? 本当に理由が知りたい。




「全部、あんたのせいよ……っ!」




 俺の言葉を聞いた亜希が、暗くい声音で言った。




「俺の、せい?」




 突然の言葉に、心当たりがなかった俺は戸惑ってしまう。




「そうよ、あんたが変な入れ知恵したから、公人が他の女に興味を持っちゃったのよ!」




「変な入れ知恵なんてしてないって!」




「あんたのあの趣味の悪い、コンプライアンスという概念をガン無視して作ったノートを公人に見せたせいって言ってんのよ!」




 亜希の言葉に、「あー」と俺は呻く。


 亜希の言うノートとは、異常なほどのモチベーションで高校一年時の俺が作成した「㊙美少女ノート」のことだろう。


 あれには、学園の女子全員のデータが記載されている。


 俺の記憶には残っていないが、脇谷のデータももちろん記載しているはずだ。




 ――しかし、今回脇谷ルートで進行しているのは、あのノートのせいではないだろう。


 どのルートでも、あのノートは存在しているため、今回に限って影響があったとは、考えにくい。




「……ごめんなさい」




 しかし、俺は亜希に対して謝罪をした。


 女子から見れば、あんなノートで勝手に容姿の評点を付けられるのだから、溜まったもんじゃないだろう。


 俺が学園の女子たちから嫌われるのも、納得だった。




「謝ってもどうにもならないわよ。……ホントに責任感じてるなら、責任とってあの二人を別れさせるくらいしなさいよ……」






 亜希は暗い表情でそう言った。


 俺はその言葉を聞き、真直ぐに亜希を見た。彼女は慌てた様子で、すぐに言葉を続ける。




「……ごめん、今の嘘だから、全然本気じゃないから。……忘れて」




 一層落ち込んだ様子で、亜希は呟く。




「私ってホント……嫌な奴」




 彼女の言葉を、俺は否定したいと思った。


 他の女子は関わるのも嫌がるような俺と、何だかんだで一緒にいてくれるし、少しガサツではあるが明るく快活で裏表のない性格は多くの人から好意的に思っているし、そんな彼女に救われている人も多いはずだ。




 だから、亜希は嫌な奴なんかじゃないと、慰めの言葉を掛けたかった。


 だけど。


 亜希は俺から慰めてもらいたいとは思っていないだろう。


 その慰めの言葉は、公人が言わなくちゃ意味がないことだ。




「……もう帰る」




 俺が何も答えないのを見て、居心地が悪くなったのか。


 亜希は滑り台を押してから立ち上がり、公園出口に向かって歩き始めた。


 俺は彼女の背中を追い、後を歩く。




「ストーカー、キモイ」




「うるせー、同じ寮に住んでんだから、同じ方向に帰るのは仕方ないだろ?」




 俺たちが通っている学園の生徒は、基本的に寮で生活をしている。


 俺と公人、亜希も寮で生活をしている。




「……じゃあ、先に帰ってて」




 亜希が立ち止まり、うっとうしそうに言った。




「……一応、心配だから」




 俺が一言告げると、




「うざ」




 と言いつつも、それ以上悪態をつくことは無かった。


 再び歩き始めた亜希の後を俺も歩き、公園を出た。


 亜希は一度、チラリと振り返って俺を見てから、




「あっ……」




 と、呻くように言い、立ち止まった。


 彼女の視線の先にいるのは、俺よりさらに後ろのようだ。


 俺も振り返り、亜希の視線の先を見ると……公人と脇谷が公園に入ったところだった。


 二人はブランコに乗り、何やら話をしているようだ。


 周辺は暗くなり始めており、ここからでは詳しくは見えないが……楽しそうな雰囲気だ。


 二人はお互いのことしか見えていないのか、俺たちには全く気付いていないようだ。




 もう一度亜希を見ると、やめれば良いのに、彼女は辛そうな表情でハンカチを噛みながら、二人を眺めていた。……良く見ればそのハンカチは、さっき俺が渡したハンカチだった。




 俺はもう一度、二人へ視線を向ける。


 ――俺の見間違いでなければ、二人はキスをしていた。




 確かに周囲に人気は無いし、周辺も暗くなって大胆になっているのかもしれないが、学校近くの公園でこれは不用意だろう。


 万一教師に見つかれば、謹慎くらいは喰らうだろう。




「……もうやだ」




 俺が二人のキスシーンに動揺していると、さっきまで隣にいた亜希が小さな声で呟いてから、駆け出した。


 彼女も、俺と同じ光景を見たのだろう。そして、ショックのあまり走り出してしまった。


 亜希は一刻も早くここから立ち去りたかったのだろう。


 彼女は脇目も降らず、目の前の横断歩道へ飛び出した。




 俺もすぐに追いかける。


 そして目の前の状況を見て――マズい、と思った。




 横断歩道の信号は、赤色。


 そして、亜希が飛び出した横断歩道を、今まさにトラックが通過するところなのだが、前を見ていない亜希に、気づく気配はない。




 目前で亜希がトラックに引かれそうになり――。


 俺は一歩踏み出し、腕を伸ばして彼女の身体を背後から抱き寄せ、後ろ向きに倒れる。


 背中からコンクリートの道路に激突し、肺の空気が全て漏れ出た。


 だが……痛みはそれだけ。


 腕の中の亜希を見ても、擦り傷くらいはあるかもしれないが、大きなけがは見受けられなかった。




 危機一髪だったが、俺は無事、彼女を助けることに成功した。


 そのことに、ホッと一息を吐いていると、




「いきなり飛び出してくるんじゃねーぞ、クソガキども! 大丈夫かコノヤロー!」




 停止したトラックから降りた運転手が怒りながら声を掛けてきた。


 俺は背後から亜希を抱きかかえて地面に座り込んだまま、でコクコクと頷く。




「おうクソガキども、危ねーから痴話喧嘩はよそでしとけ!」




 と、トラック運転手は車に戻り、発車させた。


 トラックが見えなくなってから、ようやく緊張感から解放された。




「あぁ~……死ぬかと思ったぁ」




 全身から力が抜けると同時に、俺は力なく呟いた。


 ほんの一瞬でも俺の判断が遅ければ――間違いなく亜希はトラックに引かれ、死んでいた。




 ……残念だが、これで確定だ。


 この世界でも、公人と恋人になれなかったヒロインは、死んでしまう。




 今回は回避できたのだが、死亡フラグが折れたわけではない。あくまでも先延ばしになったにすぎない。


 これまでの経験上、これから亜希には、死亡に直結するイベントが毎日のように降りかかるはずだ。


 完全にフラグを折るには、公人とヒロインが恋人になるしかないのだ……。




「……なんで助けたのよ」




「……は?」




 考え込んでいた俺に、亜希が静かに、だが明確に責めるような口調で言った。




「あたしなんて、死んじゃえばよかったのよ」




 力なく、ゆっくりと立ち上がった亜希は、暗い眼差しを俺に向けてそう言った。




「どういうことだよ……?」




 俺の言葉に、自暴自棄になった亜希が言う。




「だって、公人にはもう恋人がいて。あたしにはもう、入り込む余地がなくなっているから。……見てるだけでこんなに辛いのに。これから先もずっと諦められないんだったら……いっそ、死んじゃえばよかったのよ」




 亜希の言葉に、俺は絶句する。


 その表情には生気がない。


 本当に死んだって構わないと思っているのだろう。


 俺はそんな彼女を見て――心底ムカつき。




「ふざけんなよ?」




 拳を握りしめながら、そう言った。

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