紫藤麗河
★☆★☆★
…その頃、組織・Crownの元から退いた稔は、自らの家…
緋藤邸にある、広大な自分の部屋で、二台の最新型パソコンと向き合っていた。
稔の両眼に移されるのは、次々に切り替わる、膨大な数のデータ。
それを稔は両手を使うことで、常人ではおよそ考えられない程の速度でチェックし、処理しを繰り返していた。
…その指がまるでピアニストのそれに近い、いやそれ以上の早さで動くのを、それまで稔の傍らで黙ったまま見ていた少年が、さすがに心底感心したのか、稔に向かって感嘆めいた口を挟んだ。
「…さすがだな、稔」
「そう思うなら手伝うか? 麗河(レイカ)」
稔は全く動じることもなく、画面から目を離さずに告げる。
それに、麗河と呼ばれた青年は、ひくりと口元を引きつらせた。
「…いや、やめておこう。俺では、お前の足を引っ張るのが関の山だからな」
「19歳で、飛び級で大学院にまで行っている奴が、よく言う…」
稔は珍しく笑みを見せると、つと、その手を止めた。
「あまり根を詰めても効率は悪いからな。
この辺りで一休みしようと思うが…麗河、飲み物は何がいい?」
「ん? ああ…じゃあアイスコーヒーで」
「分かった」
稔は返答すると、早速、近くにいたメイドに、アイスコーヒーを二つ、自室まで持って来るように告げる。
そのメイドがアイスコーヒーを持参して退室した後、稔と麗河は、それが置かれたテーブルを向かい合わせに挟んで、腰を落ち着けた。
「飲んだらどうだ?」
よほど気心が知れているのか、稔は、屈託のない笑顔で麗河に飲み物を勧める。
それに麗河は頷き、付いてきたガムシロップの蓋を開けようとして、つと、その手を止めた。
「…待て。そんな笑顔に誤魔化される訳にはいかないな」
「……」
稔の表情がみるみるうちに普通に戻る。
それを見た麗河は、勝算我にありの確信を強めた。
「お前がそういう対応をする時は、必ず腹に一物ある時だからな。
白状しろ。…どうせ彩花に関することなんだろう?」
「そこまで分かっているなら話は早い」
稔はしれっとしてアイスコーヒーを口にする。
だが、この稔の性格をこうも見抜いている麗河が、ここで追随の手を緩めるはずもない。
「やっぱりか… で? あいつ、お前の所で預かっているはずだろう。
お前のあの電話以降、うちの母親、浮かれっ放しだからな…よほど緋藤の名が効いているんだろうが」
「ああ、その件だが…」
稔は、この麗河の性格を既に充分過ぎるほど理解しているだけに、それまでの慎重な彼には不似合いなほど、至極あっさりと口を割る。
勿論、稔の方も、そんじょそこらの人間に、こんな現実離れした事実を話す気などは更々ない。
…これまでのやり取りで分かるだろうが、この麗河こと紫藤麗河(シドウ・レイカ)は、言うまでもなく彩花の実の兄。
それ故に当事者でもあり、また、彩花と同じように、時に関する超能力を、直接でも潜在的にでも、持っている可能性が極めて高い人物なのだ。
…その当の麗河は、ひと通りを稔の口から聞いた後、さすがにしばらくは茫然としていた。
「17年後の未来から来た…彩花の息子?
遺伝子操作…それに超能力集団って、稔、お前一体…何と…
どれだけの…規模の組織と戦って…」
「…、梁にとっては、麗河…お前は伯父に当たる。
この一件…お前に協力する気はあるか?」
「!…っ、“手を貸せ”とは言わない所が、いかにもお前らしいが…
相変わらず確信犯だな。それを聞いてしまったら、俺も協力しない訳にはいかないだろう…」
「…その、物分かりの早い所も助かる。
決まりだな」
してやったりといった、不敵な笑みを浮かべる稔に、麗河はもはや勝ち目はないと判断したのか、苦虫を噛み潰したような表情を貼り付けたまま、アイスコーヒーを口にする。
そこでふと気付いたように、麗河は開封途中だったガムシロップを溶かし込んだ。
…底に沈んだままの甘いガムシロップを、氷と共に付いてきたストローでかき回した麗河の表情は、徐々にではあるが真剣なものへと変化していった。
「…稔」
麗河はアイスコーヒーをテーブルの上に置くと、真っすぐに稔の目を見つめる。
それに稔は、真剣な眼差しを見せながら問い返した。
「…何だ」
麗河の訊いてくる内容には予測がついていた稔は、それでもあえて言葉を返す。
「聞くところによると、梁という名の方の彩花の息子は…
稔、お前の息子ではないんだろう?」
「……」
稔は答えない。
それに若干の苛立ちを見せた麗河は、自らも知らぬ間に声を上げていた。
「違うんだろう!? お前が実の子の方の、紫苑と藍花に対して動くのなら、まだ話は解る…
だが、梁は… 梁の方は、幾らお前が気にかけていても…
幾らお前の遺伝子が使われていても…
その血統上じゃ、絶対的にお前の息子ではないんだぞ!」
「…麗河」
「…なのに、何故お前が…そうまで自分を犠牲にしてまで、動く必要がある…!
…何故、煌牙や彩花に対して、この段階で手を引く必要がある…!?
答えろ、稔! 返答次第によっては──」
「聞け、麗河!!」
稔が珍しく、言葉を遮る大声をあげた。
それに麗河は勢いを削がれ、目をぱちくりさせたまま、唖然となる。
「…稔…」
「…、済まない。彩花の兄である…麗河、お前の気持ちは、嫌というほどよく分かる…
だが、俺は…それでも、梁を存在させる方を取った。
そう──例え煌牙の手に、彩花を堕とし、渡すことになろうとも…な」
「……」
その独白で稔の心境を察した麗河は、さすがに複雑な表情で黙り込む。
それに対して、稔はいたたまれなさそうに目を伏せると、やや声のトーンを落として呟いた。
「お前に罵倒されるのも、殴られるのも、とうに覚悟の上だ。
これが俺の最大の我が儘で、エゴであることも、充分に承知している…
だが、それでも──」
「…稔」
不意に麗河が口を開いた。
それに稔は、緩やかに視線をそちらへと向ける。
「お前の気持ちはよく分かった。
そう気にしなくても、俺はお前を罵倒も、殴りもしやしない…!」
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