名の謂れ

「…済まない…」


「!な…、に…を、貴様…!」


稔の謝罪に、紫苑の瞳に初めて迷いが生じた。

…その執拗なまでに稔に向けられていた、執着にも近い怒りが、若干、緩和される。


しかし紫苑はすぐに表情を戻した。


「…謝罪など受ける謂われはない…!

何故俺が、お前などから謝罪を受けねばならない!?

──ふざけるな、緋藤稔!」


自らに向けられ、受ける感情が、哀れみと惨めさを伴ったそれであると知り、紫苑は激昂する。

それに稔は、ただ静かに目を伏せた。



…その場に足を止めながら。



紫苑の存在と構成に関わっているのは、間違いなく自分。

それが造り上げられた存在だと知っていても…

自分の遺伝子さえ使われていなければ、今、眼前にいる紫苑も、こうはならなかったかも知れない。


自分の遺伝子さえ使われていなければ──

紫苑は生まれこそ特殊であれ、今よりは遥かに、普通に生きられたかも知れないのに。



…贖罪の対象は、紫苑という名の超能力者などではない。

その個体を占める者。

ひとりの人間として生を受けた、魂──



稔はそれに関わった者として、

あくまでそれのみを深く意識して…

複雑な表情も露わに、謝罪していた。


刹那の間すら置かずに、息が掛かりそうな程に距離を詰めた紫苑の、攻撃を加える為に勢い良く振り上げられた、その手を…

稔は、その痩躯からは想像も出来ない程に、力強く掴んだ。


一方、稔のその手の感触を肌が気付く前に、紫苑は、父親である稔に良く似た瞳に殺気を灯らせる。


「…何の真似だ? 貴様…」

「それはこちらの台詞だ…」


稔は紫苑に向けて呟きながらも、その心情をその力に反映させる。

すると紫苑は、今だ掴まれたままの腕に、さも忌々しげな目を向けた。


しかしそれにはまるで構わず、稔は紫苑を見据え捉えたまま、その存在の責任そのものを追求するかのように、低く呟く。


「…紫苑、お前は自らの感情の一部と引き換えに、今の力を得たのか?」

「……」


紫苑は口を開かない。

それを肯定と見なし、稔は続けた。


「俺のことはいい。だが、お前のしていることが、結果、彩花と梁を…

自分の母と弟を苦しめているのだと、何故理解出来ない…

そう…お前はどうして、そんな簡単なことにも気付かない…?」


自らが気付いているかいないかは不明だが、稔の声は、その真実の重さに比例して、徐々に迫力と威圧感を増してゆく。


「…答えろ、紫苑──」


「“紫苑”…か。ふん…滑稽だな」


何を思ったか、紫苑は唐突に、冷たい笑みを落とした。

それに稔が目を向けると、紫苑は緩やかにその笑みを乾いたものへと変える。


「…お前は知らぬだろうが、それは我らが母・彩花の、名の下の偏に似せて宛てられた、虚偽の名だ」

「“虚偽”…だと?」


稔はその心境を、紫苑を掴んだままの手を緩めないことで反映させる。

…その言葉が指す意味は、文字通り。



“虚ろ”、そして“偽り”。

その身を示す名前が、

その身を構成する、魂の名称が──

“揺蕩(タユト)う、幻”。



「…“プロトタイプ・SH10シリーズの、Nナンバー”。

それが、俺の真の名。そして同時に、紫苑という仮初めの名の由来でもある、呼び名だ──…」



「…試作品(プロトタイプ)・SH10シリーズ…の、Nナンバー…

! SH10…N、成る程、“SHION(シオン)”か!」


紫苑が造られた存在であることを知る稔は、常人よりは遥かに早く、その名称が指し示す意味に気付いた。


それは凡そ、紫苑というひとりの人間の…

いち個人の名の付け方ではないと、胸がむかつくような不快感と嫌悪感を、同時に覚えながらも。


「…梁牙とて同じことだ。

梁牙…、否、“梁(ハリ)”。そこまで言えば理解できるだろう、稔よ」

「…梁…、“HARシリーズの1ナンバー”…か?」

「ご明察だ」


それ自体、まるで悪びれることもなく、紫苑はその雰囲気を、ほんのわずかばかり柔らかいものへと変える。


「梁牙は確かに自然児ではあるが…

研究対象とされている点は、俺と変わらないのでな」

「成る程な。だから型(タイプ)ごとに分けられているという訳か…

ならば、藍花というあの娘はどうなんだ?

お前が以前に口にした通り、あの娘は…

その遺伝子に組み込まれたプログラムから、お前には絶対服従するのだろう?」


稔が自らの疑問をぶつけると、紫苑は今度は不敵に笑んだ。


「だから名前に含まれているだろう。

“AIKA”… artificial intelligence。

AI(エーアイ)…つまり、“人工知能”とな」

「…、では、“藍”で留まらず、“花”の字を加えたのは…」

「──ああ…、与えられた名称が、あまりにも皮肉過ぎたのでな。

せめて母の…彩花の名から、一字くれてやっただけのことだ」


紫苑はここまで話すと、次いで稔に厳しい瞳を向けた。


「その件はもういいだろう。…それよりも稔…」


紫苑は今だ自分の腕を掴んだままの、稔の手に目をやった。


「先程、お前は問うたな…

“自らの感情の一部と引き換えに、今の力を得たのか”と」

「違うか…?」


紫苑の中で揺らめく感情を感じ取り、稔がその黒銀の瞳を、警戒に鋭くする。

それに紫苑は稔に良く似た、意思の強いその眼力を露わにした。


「…わずかな相対からそこまで読むとは、煌牙が危険視する理由も解ろうというものだな…

稔、お前の読み通りだ。俺が自ら望んで削った感情は、もはやお前には言うべくもないはず──」

「紫苑…!」


珍しくも稔の表情が、苛立ちと忌々しさから強張る。

その瞬間、紫苑は稔の手を振り解こうと、強力な雷の能力をその腕に宿らせた。


しかし稔はその動きを読んでいたらしく、同じように、紫苑の腕を掴んでいたその手に、その当の紫苑の能力と同威力の、炎の能力を解き放った。


──それらは瞬時に相殺され、赤と黄の眩い光が、当然のように二人の目を刺す。


それを目眩ましとして、稔は紫苑の腕を離し、再び強く地を蹴った。

瞬間的に後ろへ退がると、今度は上に向かって跳ね上がる。


そこにはひとつの天窓があった。


そこから硝子と桟を背で破る形を取り、逃げ道を確保した稔は…

足をその場にかけ、まだ強い熱を帯びる太陽を背にしたまま、空下の紫苑に向けて言葉を紡いだ。


「──お前が自ら消失させた感情こそを、梁は望んでいるのかも知れない」

「!な…んだと…!?」


稔の予想外の言葉に、紫苑が驚愕する。

その様子には、先程の刺々しさや冷酷さは、まるで見られない。


…稔の表情は太陽を背にしているので判らない。

だが、その声質のみで判断するのであれば…


それは──



「紫苑、お前は救われたいように見える…

お前という個人の魂は、故意に歪められて、明らかに悲しみに叫び、軋みをあげている──」

「!…」

「お前が自らの狂信的な考えに基づいて動くのなら、俺は何度でもそれを止めよう…

紫苑、覚えておけ。…俺はお前の“父親”だ」



そこまで話すと、稔は外の庭園の方に向かって、軽く背中から身を躍らせた。


その様を、身じろぎもせずに見つめていた紫苑は、我知らず、自らの体が小刻みに震えているのを感じていた。



…恐怖を覚えるなど、初めてのことだ。

“全てを”この能力で手に入れてきたというのに、稔にはその“全てを”否定されたのだから。


「この俺が…震えているだと…?」


紫苑は自らの右手で、抑えるように左肘を掴む。


…分かっている。覚えたのは“恐怖”──

だが、それは厳密には文字通り、稔を恐れ怖がった訳ではない。



あれは…

あの感情の名は…




“絶望”──




「…稔…」


紫苑は自らも知らぬ間に、父親の名を呼んでいた。

…体の震えはいつの間にか止まっていた。


言葉を紡いでいるのが意図的にとは思えない、その低くも静かな呟きは、周囲の空気に溶け込むように滲んでゆく。



「稔、お前は肝心な答えを言っていない…

救われたい者が“造られた者”である場合…

どこに救いを乞えばいい?

何に…許しを求めればいい…!」



紫苑は瞬間、仰ぐように天窓を見上げた。

そこには当然ながら、稔の姿はもう、無い。


天から降り注ぐ光。

まるで神の啓示のそれであるかのような──



「……」



紫苑は無言のままに、その光に背を向けた。


…その瞳には、先程見せた動揺などはまるでなく、

ただ、それ自体が、純粋な超能力者のものに立ち戻っていた。




→Bluemoon第5部・完

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