間違いの始まり
…それでも軋みゆく心とは裏腹に、
梁は嘘をつき続けた。
「俺はね、今まで緋藤稔の息子だとばかり思っていたんだ。でも現実は違っていた…
だから俺は、ここに残る。…もう、父さんとは帰らない」
「その下らない茶番に俺を付き合わせるつもりか?」
稔は間髪入れずに指摘する。
それに梁は不覚にも、刹那ながら動揺した。
それを見た稔は確信を得たことで、更に容赦なく先を続ける。
「それはお前の本心ではないだろう。
推測するに、大方、俺か彩花を殺すとでも脅されたんだろうが…
そうと知れていて乗るほど、俺は愚かでも馬鹿でもない」
「!…」
「お前は俺を見くびり過ぎているが、同時に奴らをも随分と侮っているようだな…
お前が他愛ない口約束で、そちらに傾いた所で、紫苑や煌牙がその約束とやらを、必ず守るという保証が何処にある?」
「!」
自分でも気付かなかった事の裏の盲点を指摘されて、梁の体は驚愕に凍りついた。
…そうだ。
何を甘く考えていたのだろう。
煌牙と紫苑の目的は、彩花と自分を手元に置くこと。
そして、稔を殺すことだ。
手元に置かねばならない者を返すはずもなく、
はなから殺す予定の者を救うはずもない。
ただ、そのように匂わせておけば、ひとりの超能力者…
緋藤梁という人物の扱いは、従順になる分、極めて扱いやすくなる。
だが、煌牙と紫苑、二人のその本来の目的に沿うとするならば…
父親は殺され、母親は捕らわれたまま。
そして、自分は…!
「…っ」
梁は我知らず声を洩らしていた。
まんまと二人の目論見に乗ってしまった、まさしく不甲斐ない自分にも腹が立つが…
それより更に苛立ちを覚え、怒りを感じるのは、力によって人の気持ちをも操作する、紫苑と煌牙…すなわち、自分の実兄と実父に対してだった。
…巧く踊らされたとはいえ、稔の目の前で、一番言いたくなかった言葉をぶつけてしまった。
自分が煌牙の息子であることを──
自分の口から公言してしまった。
稔は、自分を真に息子であると認めてくれたのに。
なのにどうして、自分はそれを裏切るような発言をしてしまったのだろう…
「…“父さん”… ごめん」
謝って済む問題ではないのは分かっている。
父親に危害が及ばないならと、決意してその言葉を言い放ったはずなのに。
上辺だけではない、その言葉の裏に潜む意味や意図が、こんなにも父親との距離を隔ててしまうと知っていたら…
言わなかった。
言うはずがなかった。
そんなことは、口が裂けても──
言いたく…なかった。
「…梁牙」
それまで傍観していた紫苑が口を開く。
それに、梁はぎくりと身を震わせた。
梁が恐る恐る、紫苑のいる後ろを振り返ると、紫苑は孤高の月のように鋭くも冷たい瞳を、梁に落としている。
…その双眸には、時折ながらも梁と彩花にだけは垣間見せる、善の感情はまるで見られない。
「…紫…苑…」
梁の体が恐怖に竦む。
紫苑はそれに、狂愛の色をプラスした、狂気の瞳を向けた。
「こちらは相応にお前の言い分を聞いてやっているというのに…
こうも早く、お前の側から裏切るとはな」
「!」
これに梁のこめかみは、聞き捨てならないと、ぴくりと反応する。
「結果的にはしてやられた形になったが、それ自体、そう仕向けた奴の言う科白じゃないだろう!
お前と煌牙の目的は、初めから決まっていた…そしてそれを違えたり、歪めたりする気は端からなかったんだろう!?
お前は俺にこうまでさせて、そんなに楽しいのか!?」
「…ああ」
気まぐれに、紫苑が素直に白状する。
それに僅かながら毒気を抜かれた梁は、それでも次の瞬間には立ち直っていた。
「紫苑、お前、何をふざけたことを…!」
「…お前が忘れているだけだ、梁牙」
紫苑はいつになく、あっさりと計略を暴露する。
それに稔は引っかかったものを覚えていたが、次いで煌牙がようやくその唇を紐解いた。
「…紫苑の目的は、初めから梁牙。そして俺の目的は彩花だ。
梁牙、お前は、何故紫苑がここまでお前に固執するのか… 考えたことはあるか?」
「…、いや」
梁は、実父である煌牙から、梁牙と呼ばれても、話しかけられても、気付かぬうちに普通に応対していた。
そこには今まで、梁牙と呼ばれて怒り、反発していた彼の姿はどこにもない。
…それがまた違和感を煽り、稔は更に油断なく梁の様子を窺っていた。
「…紫苑、教えてやるがいい…
己の実の父親と、弟の前でな」
「…、いいだろう」
さも愉しげに怜悧な笑みを浮かべる煌牙に対して、紫苑は針のような一言を落とす。
紫苑はそのまま、実の父親である稔を正面から見据えると、つと、その手に梁を引き寄せた。
その時の梁は、振り返っていたとはいえ、いきなり体勢を崩されたことから、自らの身を受け止めた紫苑を、下から見上げる形で悪態をつく。
「!…っ、いきなり何するんだ、紫苑!」
…そう、まるで子供が喧嘩をしている時のようなやんちゃな口調で喚いた梁の口を、紫苑は己の唇で、いきなり塞いだ。
「…!?」
これに然したる驚きを見せず、なお一層の警戒を見せた稔の瞳が、訝しげに細められる。
対して梁は、一時は驚愕に大きく目を見開き、凍りついた…
が、すぐにその怒りが復活したのか、感情に任せて紫苑の胸板を突く形で、当の紫苑からわずかながら、距離をとる。
「!い…きなりこんなこと…
何をするんだ!?」
梁は己の手の甲で口を拭う。
実の兄弟で、というのも確かにあったが、その怒りの発端は、その行動自体を、紫苑が実の父親に…
稔に見せつけている所にあった。
梁の苛立ちに、紫苑は何ら悪びれることなく、変わらずも冷たく笑う。
「…男同士、兄弟同士…
そんな下らぬ見かけに拘るのは、理解のない人間共だけだ。
お前は知らないだろう、梁牙。お前の持つその全てが、俺にとってどんな意味を為すのかを──」
「…“意味”…だって?」
梁は自らの発言通り、紫苑の示唆する所が分からず、眉を顰める。
それに紫苑は、先程、梁に口づけたことで得た、口内に残る梁の唾液を、軽い喉の動きと共に飲み込んだ。
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