見据えているもの
「…、仲間に引き込めなければ…、お前は父さんを殺すつもりなんだろう?」
ぽつりと、梁が呟いた。
確認するようにその顔を上げると、紫苑がいつにも増して妖艶な笑みを浮かべている。
それが意味する事実は知れている。
──他でもない、“肯定”だ。
梁は乾いた瞳で息をついた。
「…紫苑…、いや、“兄さん”…
頼む。父さんのことは見逃してくれ…」
「…、それが叶うと思うか?」
「分かっている。相応の見返りはあるから心配するな…」
梁は、それまでの彼からは到底信じられない程に、淡々とした言葉のみを口にする。
その表情は限りなく虚無に近く、瞳の奥底には底知れぬ絶望が垣間見えた。
「その代価は、俺自身で支払おう…
俺を、煮るなり焼くなり殺すなり…お前の好きなようにすればいい」
「…それもまた、稔の為…か。
分からんな…、何故あのような男に、そこまで強く執着する必要がある?」
紫苑は眉間に深く皺を刻む。
「面白くもない…
あの男に、お前が心と体を張る程の価値があるとでも言うのか?」
「…あの人の価値は、言葉なんかじゃ到底測れはしない…!」
梁は、稔に酷似した炎の瞳で紫苑を見据えた。
「例え直接血は繋がっていなくても、あの人は俺の父親…
いや、“緋藤稔”、あの人こそが唯一の、俺の父親なんだ!」
「…何を戯言を。お前の父親は間違いなく煌牙だろう。
そして、俺こそが他ならぬ緋藤稔の──」
「違う!」
梁は、はっきりと声を荒げた。
「紫苑…、例え血統がどうあろうと、今のお前は完全に煌牙の息子だ!
そして俺の名前は…“緋藤梁”。氷藤梁牙なんかじゃない!」
「──ふん…、遺伝子レベルでのお前は、紛れもなく95%が煌牙の息子であるというのに…」
「!…っ、紫苑、まだ分からないのか!?
遺伝子なんか…レベルなんか関係ない!
本当に大事なのは…、そんな、データで測れるような簡単なことじゃないんだ!」
梁が業を煮やし、思わずそう強く吐き捨てると、紫苑は不意に、右の拳を固めた。
「…だから、俺から離れると?」
「えっ?」
質問の意味合い的に不意を突かれて、梁が怪訝そうに問い返す。
「お前は、俺より稔を選ぶのか…?」
紫苑の瞳が狂気に細められる。
そんな己の兄・紫苑の持つ特有の拘りに、梁は背筋に、ぞっとするものを抱えずにはいられなかった。
「…え、選ぶとか選ばないとか…
そういう問題じゃ…ないだろう…!?」
梁は、背筋が凍るような恐ろしさに、どもりながらも必死に言葉を伝えようとする。
緊張で、声すらも…
否、自我すらも失いそうになる自身を、ようやく奮い起たせながら。
「紫苑、どうして分かってくれない!?
俺は決して、お前が嫌いな訳じゃない…
だから今は、邪魔をしないで欲しいんだ!
今の俺は…お前ではなく、かつてのお前と共に居るはずの、母さんを追わなければならないんだから…!」
「その全ては、自らを消滅させる為に…
引いては煌牙の野心を、突き崩す為にか?
そんな勝手が許されるか…!」
不意に低く呟いた紫苑は、握り締めていた右拳に、強大な雷の力を収束させた。
「! 紫苑っ!?」
梁がそれに敏感に、そして的確に気付くと同時、紫苑は件の右手で、梁の左腕を無造作に、それでいて強く鷲掴んだ。
…そこから梁の体に向かって、それだけで殺めることが可能な程の、強力な電流を一気に流し込む。
まさしく予想外とも言える、紫苑の突然の強力な攻撃に、瞬間、梁の体は、弓のようにしなり、反り返った。
「!うっ…あぁあああぁっ!」
…煌牙の血を色濃く引くが故、雷に対する耐性がそこそこ強いはずの梁が、周囲に構う余裕すらもなく、喉が破れんばかりの悲痛な絶叫をあげた。
その雷は、食い込むように梁の血管に侵入し、その各所を確実に破壊し、侵蝕していく。
所々裂けたらしい、梁の両腕の血管から、夥しい血が流れ、その手を伝うのを…
紫苑はただ、冷めた瞳で見下ろしていた。
梁は術もなく、両腕を己の前で交差する形で、それぞれの腕を抱え込むように強く押さえ、たまらずにがっくりと膝をつく。
「!くっ…」
歯をくいしばって激痛に耐える、防戦一方の梁に、紫苑はいよいよ狂気に満ちた瞳を尖らせ、その口元を緩やかに持ち上げた。
梁の腕から滴り落ちる血が、その地面を、どす黒い斑に染めてゆく。
──それでも、梁はただの一度たりとも、紫苑に攻撃を仕掛けようとはしなかった。
「どうした…何故反撃しない?」
狂気混じりの張り付いた笑みが、まるで、場の空気そのものを我がものとするかのように、その場をじわじわと支配する。
一方、そんな紫苑に対して、梁は無言のまま、地面にその彩花譲りの目を向けた。
流れた血が、大小様々な大きさの斑点となって、それで当然の如く、両親の存在する地を染めてゆく。
──自分は更にそれを埋め尽くそうとしている。
他ならぬ…“自分自身の血で”。
「…反撃など、それ自体が既に無意味であるというのに、するものか…!
今、俺が戦わなければならないのは、“今の”お前などではなく、“かつてのお前”ただひとりなんだ…!」
「…成程。あくまで俺自身と…
俺“そのもの”と、渡り合おうと言うのだな…?」
紫苑の雰囲気が、死神の持つそれに限りなく近くなる。
しかし梁は、今度はそれには怯まずに、押さえていた手を離し、再び血が流れ出ることも構わずに、激しく声を荒げた。
「ああ! 俺を…自分自身を葬る為なら、俺は何だってしてやる!
──煌牙と母さんは…、あの二人だけは、絶対に結ばれてはならないんだ!」
「…それと全く真逆な言葉を、俺はお前に返そう」
紫苑は剣呑な声で、自らの心を吐き綴る。
それに梁は、愕然と紫苑を見た。
「…な…!?」
真逆…ということは、言うまでもなく紫苑は二人が結ばれるのを願っているということだ。
それも、自らの実の父親である、緋藤稔を差し置いても。
「…紫苑、お前は…!」
「──梁牙、お前はあの二人の子だ。
…お前は、あの二人が結ばれない限りは、到底その存在が叶わない人間…
ならば、俺は煌牙側につく。弟であるお前を存在させる為にもな」
「!…っ、じょ…冗談じゃない!」
梁の、血に染まった両腕がわなわなと震える。
その表情が怒りの中にもどこか青いのは、決して流血のせいだけではない。
「そんなのはただのお前のエゴだ!
俺が…俺が存在するから、母さんは煌牙に囚われる…
俺の存在そのものが、母さんを…ひいては父さんまでをも苦しませてしまうんだ!
だから俺は…!」
「…例えお前がここで俺を出し抜き、自身を殺めた所で、第二・第三のお前は確実に現れる。
お前のしようとしていること、それ自体が無意味なのだと、何故気付かない?」
「!…」
梁の心境は、もはや声としては表れなかった。
“自身を殺めた所で、第二・第三のお前は確実に現れる”──
この一言に囚われていた。
…分かっている。
紫苑の言っていることは正しい。
例え自分を殺しても、その誕生を阻止したのだとしても…
煌牙が、母・彩花を、己が手中にしようとしている以上、同じことだ。
断つならば、むしろそちらを。
自らを殺めるのではなく、二人の繋がり…
それそのものを…“断絶しなければ”。
…いつかまた、第二・第三の自分が現れる前に。
「!く…っ」
両膝を落としたままだった梁は、その片膝を曲げると、そこを支点として手をつき、傷付いた体に鞭打って、無理やり立ち上がった。
…両腕から流れる血は、徐々にその流れを弱いものとしていく。
体の主である梁の決意に反応してか、流血が治まりかけているのだ。
「…紫苑」
梁は真っ直ぐに、己の兄である紫苑を見つめた。
対して紫苑は、その瞳の中にひと欠片の氷を宿す。
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