紫苑と稔

「ねえ、煌牙さん! 貴方はどうしてそんなにあたしに拘るの!? …稔さんだって、どうして…煌牙さんと戦わなくちゃいけないの…!?」

「……」


煌牙は、無言のまま彩花を見下ろした。

その視線が何よりも痛くて…彩花の目からは、また涙が溢れた。


「あたし…が、いる…から…、いけない?

あたしが存在しているから…!?」

「…、お前がいなければ、こいつらは存在出来ない。それは良く知っているだろう?」


落ち着いた口調で、煌牙が告げる。


「お前は存在していなければならない。…絶対に」

「嫌ぁっ!」


彩花が頭を抱え込む。…頭が、こめかみが…キリキリと痛い。


「!これは…」


稔が、何かに気付いたように反応する。

…すると。


「忘れたいか…?」


煌牙が低く呟いた。


「…お前は、それらを忘れることが望みなのか…?」

「!…っ」


追い詰められた彩花は…、ついに屈服した。



…悪魔の囁きに、耳を貸してしまった。



苦しみから逃れたくて。

誰にも…傷ついて欲しくなくて。


…ただ、その一心で…!


「…忘れたい…!」


彩花の消え入りそうな声に、煌牙は目を閉じ、頷いた。


「そうか…」


その目を見開いた時、煌牙の左手には、凄まじい雷のエネルギーが収束されていた。


「ならば、お前の望みを叶えよう…」


煌牙は彩花に近づくと、その力を彩花の頭へと翳した。


「!煌牙っ…!」


稔が何かを察し、それを阻止しようとする。

しかし、その前に、強力な雷の能力を保持した、紫苑が立ちはだかった。


紫苑の両手には、いつのまにか刀に似た、細く、長い刃が作り出されている。

彼は、その二刀の鋭い刃先を、迷いもなく稔へと向けると、はっきりとした口調で告げた。


「動かないで! …貴方はパパの敵…、でも、僕はママと約束したんだ。貴方を殺さないって…! 僕は、ママとの約束を破りたくない! だから、お願い…、もう、そこから動かないで!」

「!紫苑…」


実の息子に敵意を向けられ、稔は一瞬だけ躊躇いを見せた。

その刹那、彩花の絶望的な…絹を裂くような悲鳴が響き渡った。


「!っ…、いやぁあああああっ!!」

「!彩花っ…」

「ママっ!?」


稔と紫苑が、一瞬にして顔色を変えた。それほど、彩花のあげた声は…悲痛なものだったのだ。

さすがにここで足止めを食っていられないと判断した稔は、即座に紫苑の動きを止めに出た。


「紫苑!」


鋭く声をあげる。その声の持つ意味、そしてその呼びかけは、父親である煌牙の持つそれと酷似していた。

そのため、紫苑が明らかな動揺を見せる。


「…えっ…」


その僅かな隙をついて、稔は彩花が言えなかったはずの、辛辣な事実を突きつけた。


「紫苑…、よく聞け。お前は俺の息子だ…

俺の子どもなんだ! お前の父親は、煌牙じゃない!!」

「…え…っ!?」


紫苑が大きく目を見開き、その全ての動きを止める。

無理もない。母親に止められたとはいえ、かつては彼を…、目の前の人物を、自らの手で殺そうとしていたのだ。


更に、幼い頃から、父親であったはずの煌牙に、敵だと吹き込まれていた『緋藤』…

その後継の、緋藤稔その人が『実の父親』だと言うのだから…!


「あ…、あ…なたが…、ぼくの…、…パパ…?」


「ああ。すぐには信じられないかも知れないが…、嘘だと思うなら、今までの雷の力ではなく、新たに炎の力を使ってみるといい…! 俺の血を引いている、お前になら出来るはずだ」

「!…」


紫苑は無意識のうちに、実の父親である、稔の持つ雰囲気に引き込まれた。そのまま彼に従い、すぐさま二つの雷の刃を消し、両腕に力を込める。


「…?」


すると、力を集中させている紫苑の中で、『何か』が蠢いた。

次には、ざわり、と、全身の毛が逆立つような感覚を受ける。


「!うあ…っ!」


瞬間、何かが爆発するような音と共に、その手に膨大なエネルギーの『炎の力』が具現化し、その幼い手全てを覆い尽くした。

まるで手そのものが燃えるような、灼けつくようなその熱さに、その痛みに…、紫苑は耐えきれずに、稔に縋り、悲鳴じみた泣き声をあげた。


「!…て、手が…、手が…熱いっ…!

うっ…、…く…、…あぁ…あぁっ!」

「紫苑…、落ち着け。そのまま、じっとしていろ」


稔が呟き、静かに手を翳したその瞬間、まるで何事もなかったかのように、紫苑の全ての炎エネルギーが消失する。


「!…」


その、炎に包まれていた自らの手が、元に戻ったのを目の当たりにした紫苑は、潤んだ瞳で稔を見つめた。



…暴走した自分の力を抑えてくれたのは、稔だった。

そして、自分には、彼の言う通り、炎の能力があった。しかもそれは、雷の力が既に使えるはずの自分ですらも持て余すような、膨大なエネルギーだった。


その事実が告げる。

彼の言っている事は本当なのだと。


とすれば、彼が自分の父親だというのも…



「…貴方は…、本当に…、僕のパパ…なの?」

「そうだ…」


稔が、その美しい黒銀の瞳を紫苑に落とす。

その視線に、紫苑はひどく戸惑った。


「…ご…、ごめんなさい…」


身を縮めるようにして謝る息子に、稔は視線を僅かに逸らし、呟いた。


「気にするな。…お前が謝るような事じゃない」

「!で…、でも…」


紫苑は、稔に縋りついていたその手に、更に力を込めた。


「ママが…貴方を殺さないでって言ったのは…」

「言うな、紫苑…」


稔が言葉を遮り、その呟きを、低く…切ないものへと変えた。


「その先は、もう…」


──どんなに悔やんだところで、時は戻せない。

二度と、戻すことは出来ない…



自らの子どもが存在していることを知っていても、構ってやることすら出来なかった。

今の今まで…関わることすら出来なかった。

声をかけることも、抱くことも、姿を見ることすら叶わなかった…


そんな自分は、我が子に責められても…、殺されても当然かも知れない。

何も知らなかったでは済まされない…!

例えそれが第三者の意志で、そうなった事だとしても…、既に『存在』している、ひとりの子どもの親として…!



「…本当に…ごめんなさい…、“パパ”」


紫苑が、稔を見上げて、躊躇うことなく、はっきりとそう言った。


「…紫苑…!」


稔は、意外そうに紫苑を見る。


「僕には分かったんだ。…あのすごい炎の力は、パパのものに違いないって…!」

「炎…か」

「うん。炎の力は…初めて使ったのに、今まで使っていたはずの雷の力よりも、もっと…ずっと凄いエネルギーだった。

…ということは、僕には炎の力を操れる血の方が、濃く流れてるっていうことだよね…?」

「…ああ」


半ば諦めたように、稔が頷いた。

その様子を見て、紫苑がぼろぼろっと涙を零す。


「なのに…、いくら知らなかった事とはいえ…、僕は、本当のパパを…、この手で…殺そうと…」


最後の方は、言葉に詰まって声にならない。

それを見かねて、稔が膝を落とした。

つまり、紫苑の高さに自らを合わせたのだ。それによって、紫苑と、より視線が近くなる。


その黒銀の瞳を、まっすぐに紫苑に向け、彼は言い聞かせるように言葉を口にした。


「…気にするなと言ったはずだ…」

「!でも、パパ!」

「紫苑…、お前が最後まで俺の前に立ちふさがるなら…、俺の方こそ、お前を殺す事を考えただろう」

「…パパ…」

「業は同じだ…、お前も俺もな。だから、それについてはこれ以上、気に病むことはない。それよりも…」


稔は立ち上がる体勢を取るため、膝に右手をかけた。

膝を伸ばしながら、煌牙と彩花の方を見る。


「あの二人だ…!」

「…煌牙さんと…、ママ?」


紫苑が二人に、稔によく似た目を向ける。

しかし、稔は、紫苑が煌牙を『さん付け』で呼んだことが気にかかった。

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