対峙の先に

彩花の頭は、とろ火で煮込んでいるシチューの如く、ぐつぐつと煮えたぎってきた。

…その、先程からの顔の赤みに、更に別な赤が射す。


「なに…その言い方…、貴方にとっては、利用価値がない人は、単なる道具でしかないの!?」

「…勘違いするな」


煌牙は、吸い込んだ煙を、軽く斜め下へ流した。はっきりと、彩花の方を向く。


「道具の方がまだ使える。…奴らはただ、生きることと引き換えに、俺に体を差し出すだけだからな」


「!…」


「あいつらは、自らが生きたいという欲を、ただ曝け出しているに過ぎない。ここでは、力を持たない役立たずは消されるだけだ。

自らの命を握っているのが誰なのかということを、奴らはよく知っている。それ故に、どんな方法を取ろうとも、俺に見限られまいと必死だ…!」


「それで? …まさか、そんな訳の分からない理由で据え膳食ったってわけ?」


クールな口調とは裏腹に、彩花の怒りは、体中の血そのものが沸騰しそうなまでになっていた。

が、それを横目で見ながら、しれっとした顔で、煌牙がまた煙を吸い込む。


「そんなに怒るな。…単なる暇潰しだ」

「ひ…、暇潰し!?」


この時点で、彩花の心境は、既に活火山と化していたが、その煌牙の一言で、頭の中でシチューを通り越してマグマとなって蓄積されていた怒りが、勢い良く噴火し、大爆発した。


「それが本当なら、マジで最っ低もいいところじゃない! なんでそんなに鬼畜なの!?」

「…、ふん…、俺を目の前にして、随分な発言だな」

「鬼畜を鬼畜と言って、何が悪いのよ!」


強気な彩花が食ってかかる。端から見れば、痴話喧嘩ともただのケンカともとれるこのやり取りを、稔と紫苑は、さすがに口を挟めずに見ている。

そして、そんな二人の喧嘩は、まだまだ終わらない。


「大体、そんなことを平然と言うあたり、煌牙さんには、繊細な女性の気持ちなんて分からないんじゃない!?」

「…、全ての女が繊細とは限らないのではないか?」


とんでもない事をさらりと言ってのけ、その上で蒼の目を彩花に落とす。


「失礼ね! その反応… まるであたしが繊細じゃないと言わんばかりじゃない!」


彩花が、キリキリとこめかみを引きつらせる。

その時、不本意ながらも傍観していたはずの稔が、さすがに不機嫌そうに呟いた。


「奴の言っていることは、あながち間違いではないが…、彩花、下らない痴話喧嘩も大概にしろ」

「…っ!? ちょっと、稔さん!」


これには、さすがに彩花も聞き咎めた。


「誰が痴話喧嘩なんかしてるのよ!?」


半ばどころか、本当に噛みつきそうな勢いで稔を責める。が、稔は意外にも、至極あっさりとそれを受け流した。


「自覚がないだけだ。…どう聞いても痴話喧嘩だろう。その様子では、別段俺が気にかけることもなかったか」


彼らしくもなく、妙にきっぱりと答え、次には煌牙へと向き直る。


「彩花の記憶操作とやらは、まだしていないようだが…、それにしても、この状態で野放しのままとは、お前にしては随分と甘い対応だな…? 煌牙」

「何ら困ることはないからな。…だが、“この状態”で困るのは、むしろお前の方なのだろう? 稔」


せせら笑って、煌牙が煙草を潰す。この皮肉混じりの切り返しに、稔は瞬時に、自らの力で、煌牙が手にしていた煙草を焼き付かせる事で返答した。


「ほう…」


煌牙が感心するように声を漏らした。その表情には、どこか魔に近い、冷たい笑みが潜んでいる。


音も立てずに塵と化し、足元に落ちたそれを踏みにじり、煌牙は紫苑と彩花の方へ、その蒼の目を向けた。

続けて、先程から様子を窺い、周囲で息を殺している、Crownの部下たちへと目を走らせる。


ここまでを刹那のうちに行った後、


「紫苑!」


次には言葉も鋭く、子どもの名を呼ぶ。

その紫苑は、突然の父親の大声に、びくりと立ち竦んだ。


「!は…、はいっ、パパ!」

「こいつらの手を借り、彩花を部屋へ連れ戻せ」

「えっ…、パパは!?」


何かを察した紫苑が問う。煌牙はそれにすぐさま返答した。


「分かりきった事を聞くな。…こいつを殺すに決まっているだろう」

「!えっ…」


彩花の紫水晶のような瞳が、驚きで大きく見開かれる。


「そ…、そんな…!」


彩花は思わず後退り、口に手を当てた。…紫苑との戦いを何とか回避できたと思ったら、今度はよりにもよって、紫苑より力のある、煌牙が動くとは…!


紫苑の時には、母親という事もあってか、何とか訴えを聞き届けて貰えたようだが、相手が煌牙では、自分がどれだけ切に訴えようと、その願いは聞き届けられそうもない…


みるみるうちに、彩花の表情が青ざめ、目からは大粒の涙が溢れた。

その様子を目の当たりにした煌牙は、わずかに歯を軋ませた。



誰にも聞こえないような声で、低く呟く。



「お前がそんな顔を見せるのは…、いつでも、奴…、緋藤稔に対してだけだ…!」


一瞬だけ目を伏せた煌牙の表情が、次には、いつになく険しくなる。

獣のそれに酷似した、獲物を求めるような…強く、血に飢えた瞳が、狙ったように彩花を捉える。



その総ての感情が渦を巻き、嫉妬と独占欲に支配される…!



そして、その総ての矛先は、言わずと知れた稔へと向けられた。

すぐさま、先程の彩花に見せたはずの、人間らしい感情は全て潰えた。続けて、その心情そのものが、機械的に…無で占められる。



「…殺してやる…」



意図せず、殺気を帯びた声が、口をついて出る。

煌牙は、無意識のうちに、その右手に雷の剣を作り出した。

更に、それに力を注ぎ込む。


「…貴様など…」


「……」


稔の方は、警戒を固め、煌牙から目を離さずに、その左手に、静かに炎の剣を具現化させた。

すっ、と、それを引き、構える。攻撃を真正面から受けるためだ。


と同時に、煌牙が地を蹴った…その途端、雷と炎の刃が、物凄い音を立ててぶつかり合った。


煌牙の一撃めを、稔が刃を立てるようにして受けたのだ。

瞬時に、まるで導火線に火をつけたように鈍い音が辺りに響き渡る。同時に出た火花の勢いは、まるで分厚い金属を刃で切る時のそれに酷似していた。


続けて、煌牙は驚異的な早さで稔に切りかかった。

右かと思えば左から、上かと思えば下からと、まるで死角そのものから迫るような、その凄まじい速さの斬撃を、稔は炎の剣で全て受けながらも、それをそのまま流すようにいなし続ける。

それはまさに、『柔よく剛を制す』の言葉通りの行動に見えた。


だが、それに反して、稔のその黒銀の瞳には、警戒の色が露わに出ており、額には僅かにではあるが、汗が滲み出ていた。

そして稔は、その原因を自分で分かっていた。



…反撃が出来ないのだ。



確かに煌牙の攻撃を捉えることは出来る。そして堪え、受け流す事も出来る。…だが、そこまでなのだ。出来るのは防御止まりで、反撃が出来ない。つまり、こちらから攻撃に転じる隙が、全く見られないのだ。


このままでは防戦一方になり、互いの体力と精神力との勝負になる。

そして当然ながら、こうなると、攻めている方が明らかに有利だ。


(ここで、無理にでも流れを変えなければ…、このまま殺されるな)


そう察した稔は、煌牙の次の一撃を、今まで以上に集中して受けようとした。

が、そんな稔の予想に反して、煌牙がいきなり攻撃の手を止めた。


(!…どういう事だ?)


稔が眉を顰め、煌牙の出方を窺っていると、煌牙はいきなり苛立った声を上げた。


「紫苑、何をしている! 早く彩花を連れて行け!!」


父親の怒声に、今まで稔と父親の戦いを、茫然としたまま見ていた紫苑が、弾かれたように飛び上がった。


「!はっ…、はいっ、パパ!」


紫苑は言われた通り、彩花の手を引き、部屋の方へと連れ出そうとした。

が、彩花は口に手を当てたまま、涙を流してそれを頑なに拒む。


「…いや…!」

「!ママっ…、でも…ここにいたら…、こんな処にいたら…巻き添えを食って、怪我しちゃうよ!」


紫苑が必死に訴える。それでも、彩花は激しく首を振った。


「あたしは…嫌なの…!」

「ママっ…!?」

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