父親ふたり、母子ひとり
「彩花様って…もしかしてあたしのこと?
それなら別に何も、あたし如き、様付けじゃなくたって…」
構わない、と言いかけた彩花を、少女のうちのひとりが遮った。
「!いえ、そういう訳には参りません」
「…変な所で律儀だね」
珍しく卑屈になってみたらしい彩花は、さすがに呆れたが、今はそんな他愛ない会話よりも、彼らが何をするのか、どう出るかに興味があった。
「申し訳ありません! 我らの不手際で、何者かが侵入を果たしてしまったようですが… 皆様、ご無事でしょうか!?」
彩花の、好奇心丸出しの視線を感じながらも、少年たちは息も荒く、三人に話しかける。
紫苑は大きく頷いた。
「ああ…、うん、大丈夫だよ。ここにはパパもいるし」
「…、今回の侵入者は、お前たちでは手に負えない」
何事か考えていたらしい煌牙が、不意にはっきりとそう告げた。それに、少年たちは明らかな動揺を見せる。
「えっ…」
「何故です!?」
そのどよめきが広がり、気持ちの上での戦力が半減する前に、煌牙は再び口を開いた。
その厳しい視線は、既に少年たちを通り越して、その背後にいる『誰か』に向けられている。
煌牙の瞳に含まれた鋭い蒼の光が、いよいよ鋭くなった。
「…侵入者が、とうに後ろにいることにも気付かないようでは、貴様らに勝ち目はない」
「えっ…!?」
不思議さと疑問符を露にし、煌牙の視線を辿って、自らの後ろを振り返った少年たちは、驚きのあまり、そのまま腰を抜かしかけた。
何と、そこに居たのは、強力な力を持つが故に、Crownの中でも特に要注意人物とされ、更に超能力者の中だけをとっても、周りから一目も二目も置かれている、緋藤稔その人だったのだ。
データでは知っているものの、実物を目の当たりにしたのは初めてな少年たちは、主人以外の力ある者を前にして、さすがに狼狽えた。
「!ひ…、緋藤稔!?」
「!まさか…本物なのか!?」
少年少女がそれぞれに驚愕の声をあげる。それを冷たく一瞥した稔は、続いて彩花に目をやった。
その目があった彩花は、意外な驚きと嬉しさのあまり、ぱあっと顔を輝かせた。
「稔さん…!」
「彩花…、どうやら無事なようだな」
その黒銀の瞳にひそんだ冷たさは一瞬にして潰え、どこか柔らかいものが浮かぶ。
その様子を見ていた紫苑は、子どもの勘からか、彩花の手を離すまいと、強く握りしめた。
それを怪訝そうに見た彩花に、紫苑は真っ直ぐに稔を見据え、怒りを伴った声で告げる。
「…ママ、あの人、“緋藤”…、火の超能力者だよね? 僕たちの敵なんでしょ?」
「えっ…!?」
彩花がぎょっとして紫苑を見ると、紫苑は一転して冷酷な表情になり、今まで見せた事もない、風刺するような目で稔を見た。
それはどこか子どもらしくなく、やはり組織の上位にいるというイメージを、無意識のうちに周囲に与え、認識させていた。
「僕には分かる。…あの人は、ママを取り返しに来たんだ」
「稔さんが…あたしを?」
紫苑の豹変を気にかけながらも、嬉しくて、彩花の口元は自然に弛んでしまう。
しかし、それが紫苑の癇に触ったらしく、次には、紫苑は先程から彩花の手を握っている自らの左手に、より一層の力を込めた。
「!…紫苑?」
「喜んだりしないで。ママは、絶対にあの人には渡さない」
「え…!?」
彩花の表情が強張った。紫苑はまだ幼いが、彩花を押さえる力は、なかなかどうして強い。
「何言ってるの、紫苑!? 自分が何を言ってるのか…分かってる!?」
「…ああ、分かってるよ」
「!だったら…」
彩花の言葉を遮り、制止するように、紫苑が、残った右手に雷の剣を作り出した。
「だけど、あの人は僕からママを奪う。…そしてもう、返してはくれない。だから…今、ここで殺す」
「!…ぁ…」
辛辣かつ冷徹な言葉に、彩花は、言葉にならない声を洩らした。あえてそれに感情を当てはめるとすれば、それは間違いなく悲痛と絶望だっただろう。
自分のような、超能力に対しての素人でも分かる。…やろうと思えば、そうできるだけの力が、この幼い紫苑にはある。
つまり、殺す気になれば…、紫苑が本気でかかれば、ひょっとしたら、稔すらも殺せるかも知れないのだ。
そこまで考えた彩花は、自らの心が訴えるまま、次にはその感情の全てをぶちまけた。
恥も外聞もない。そうなってしまえば、自分自身が嫌なのであり、何よりも、紫苑に父親殺しの業を背負ってほしくなかった。
…そう、紫苑の父親は、雷の力を持つ煌牙ではなく、炎の力を持った…
他ならぬ、稔本人なのだから。
いくら今は事情を知らないとはいえ、その『父親を殺す』…その罪。その業。それは決して許されるものではない。
…結果、行き着くところは、激しい後悔と贖罪…それのみなのだから。
「やめて、お願い! やめて紫苑!
あたしはここにいる…、ここに居るから!
もう絶対に、紫苑の傍から離れないから!
…ねぇ…、お願いだから…、稔さんには…手を出さないで…!」
最後の頃は、がっくりと膝をつき、ぽろぽろと涙を流しながらの懇願になる。
…母親にこうまでされて、縋られて…
紫苑は驚愕と困惑の入り混じった表情で、彩花を見下ろした。
「…ママ…!?」
紫苑の手にしていた剣が、空気に溶け込むように消える。
「…ママが、そんなふうにお願いするなんて…」
予想外の彩花の涙に、紫苑は強いショックを受けたらしく、しばらく対応に困っていたが、やがて、ぽつりと呟いた。
「…そんなに、この人が大事なんだ…
ママは、この人を殺されたくないんだね…」
紫苑は、その驚愕を、天使が慈愛を見せる時さながらに変化させ、そのまま彩花を抱きしめた。
「…分かった…、分かったよ、ママ。
僕はママが居てくれれば、それでいい。
ママの言う通り、この人は…殺さないよ。だから、もう泣かないで…!」
「!ホントに…?」
涙で潤んだ瞳で、彩花が尋ねる。紫苑は安心させるために頷いてみせた。
だが。
「勝手に話を決めるな。…彩花をここに置いておく訳にはいかない」
稔が素っ気なく言い放った。それに、紫苑は再び先程の、鋭利な目を向ける。
このままでは、また先程のようになるかと思われたが、今度はそれに煌牙が割って入った。
「待て。…こちらとしては、お前に彩花を奪われる訳にはいかない。…彩花は俺の伴侶となるべき娘だからな」
「!な…」
彩花が稔の手前からか、さすがに真っ赤になって反応した。
「何言ってるの、煌牙さん! 煌牙さんとあたしなんかが、結婚できるわけないじゃない!」
「そう思うか? …お前が否定しようと、梁牙が存在している以上は、未来の世界では、それは現実になるだろう?」
「!ぐ…」
まるでからかわれている、という実感はあったものの、間髪入れずに否定された上、事が本当なため、表立って反論もできない。
彩花が、文字通り言葉に詰まった…が、しかし。
ここでそのまま黙って引っ込むような彩花ではない。次には、直感で閃いたことを、そのまま口にする。
「だけど、煌牙さん…、じゃあ、さっき部屋にいた、金髪の…、あの綺麗な女の人は誰?
あの人と部屋に二人だけでいた事は、一体どう説明するつもり?」
「…、あの女に嫉妬しているのか?」
煙草の煙をくゆらせながら、煌牙がさも楽しげに問う。それに、彩花は今度こそ爆発した。
「馬鹿言わないでよ! 誰が嫉妬なんか… 大体、それって答えになってないでしょ!」
「お前らしくもない。たかが遊びで抱いた女のことが、そんなに気にかかるというのか?」
「!…遊び…!?」
彩花が言葉を失った。煌牙は、少年のうちの一人に煙草を預けると、別な少年が持っていた服を受け取り、無造作にそのまま被り、着替えた。
再び煙草を手にした時、煌牙の表情は、どこか余裕に満ちていた。
「あの女は、超能力の持ち主にしては、その力は極めて微々たるものだ。利用価値のない女など、男を悦ばす以外に、何ができる?」
「!…な…」
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