撤退と告白

言い捨てると、稔は、いきなりその刃の切っ先を恭の首に押しつけた。

じゅわっ!と、肉の焦げる音と共に、恭の首から…肉と血が僅かに落ちた。


その痛みよりも何よりも、殺されるという恐怖の方が大きい。

これには、さすがに恭が真っ青になった。


「!…っ」

「俺の言葉を、単なる脅しだとでも思ったか? …もう一度だけ言うぞ。その首、はねられたくなければ、奴等を連れてさっさと失せろ!」


雷鳴さながらに怒声を落とされて、恭はやむなく結論を出した。


「…、仕方ない、不本意だが…この場は退くことにするか…

皇! 葵! いいな、退くぞ!」

「こんな手にやられるとは…、油断したな」


葵は、舌打ちすると姿を消した。が、皇は退こうとしない。


「退くつもりがないのか?」


稔が嘲笑う。


「…いや。目の前でそこまで見せられちゃ、退かざるを得ないだろう…

だが、何故お前ほどの奴が、こいつらをかばうような真似をするのか…、それが気になってな」


稔が笑みをひそめた。


「余計なことを気にし過ぎだ。聞きたいことがそれだけなら、さっさと退くんだな」


突き刺すように言い、続けて付け加えた。


「無駄話はもういいだろう。恭、皇…、まだ俺に楯突くつもりか?」

「!…い、いや…、そんなことは…!」


これ以上引っ張ると、また血を見ることになる。

それを身をもって知っている恭が、渋々ではあるが…まず姿を消し、続けて皇が、その場を後にした。

それを確認すると、稔は炎の刃を消した。


当然、部屋に残されたのは、稔と、梁と、彩花の三人だ。

沈黙に耐えきれず、梁が稔を見ていると、


「先程、お前には巧く逃げられたんだったな…

だが、今度は逃げられはしない。知っていることは全て吐いて貰うぞ」


その月のように冷たく、孤高な瞳に、梁は、もはや逃げること自体、不可能であることを察した。


「…、このまま、何もせずに殺されるよりはマシか…!」


梁は溜め息をつき、彩花の方へ向き直った。


「彩花も一緒に聞いてくれ。さっきから話そうとすると邪魔が入っていたが、彼がいれば大丈夫だろうからな」


先程の稔の強さを目の当たりにし、梁の言葉にも、その通りだと納得のいった彩花は、驚くほどすんなりと頷いた。


「うん、分かった」


続けて彩花は、部屋のほぼ中央にあるソファーへと、稔と梁を促した。

二人は無言のまま、そこへ座る。改めて、梁が口を開いた。


「…とはいえ、何から話せばいいものか…」

「知れたこと。お前の正体からだ」


間髪入れず、稔が攻めてくる。

彼にとっては、何より、これが一番気になることだったのだろう。


「俺の正体…ねぇ。言うのは構わないが、嘘だと思われちゃ困るんだがな」

「それはこっちが判断することだ。…いいから言え。今更言えないでは済まされないぞ」

「…、分かった。俺の名前は、【はり】…!」

「…!?」


この時、稔と彩花は、同じ疑問を抱えていた。


「“はり”…!?」

はり…だと? お前は彩花に、りょうと呼ばれていなかったか?」

「あれは彩花の早とちりだ。俺の名前は『りょう』じゃない。『はり』が正解だ」

「……」


稔が無言で彩花を見る。


「…やめてよ、そのニュアンス…」


彩花が、さすがにヘコみながら呟く。


「で、名字は? …フルネームでは何て言うの?」

「!うん…」


梁が人差し指で頬を掻いた。


「…俺は…」


言いかけて、戸惑う。それが少しの間、続いた。

が、意を決したように、梁はまっすぐ彩花の方を向き、告げた。



「…俺の名字は、緋藤。

フルネームでは、緋藤ひどうはり…!」



「!え…!?」

「緋藤…だと!?」


同じ名…【緋藤】を冠する者として、稔が驚愕する。


「…どういうことだ…?」


疑問が口をついて出る。


「お前は…一体…」


そんな稔の問いは、彩花の耳には入らなかった。

梁が名乗ったことによって、知ってしまった事実に、愕然としていたからだ。



「…じゃあ…、梁、…あ…、あなたの…父親は…!」

「…ああ。俺の“父親”は…そこにいる、緋藤稔だ…!」



彩花と違って、伏線を与えられはしたものの、よもや目の前の少年が、自分の息子だとは露ほども考えなかった稔は、普段の彼からは窺えないほど取り乱した。


「何だと…!? …お前が…、お前が俺の“息子”だと言うのか…!?」

「…信じる信じないは勝手だけどな」


梁が諦めたように呟く。


「俺は、緋藤稔と、紫藤彩花の息子だ。

今から18年後の未来から、両親を護るためにやってきた」

「…両親?」


稔が訝しげに問い返す。


「彩花だけならまだしも、それには俺も含まれるのか?」

「ああ」


梁が、大真面目に頷く。


「強大と呼ばれる貴方の力をもってしても、ねじ伏せられない…

いや、それどころか、貴方を含めた、未来の世界の超能力者たちの力を合わせて、ようやく互角に至れるくらいの、強い戦力を持った組織が、この時代から頭角を表すようになってきたんだ」

「…なに…?」

「…始めから順序よく話そう。

先程も言った通り、俺はその組織から、両親を護るために来た。…だが、それは父親の命令を受けたからだ」

「“父親”…」


稔が繰り返す。梁は軽く頷いて、先を続けた。


「でも、“この時代の貴方にいきなり接触し、協力を取り付けるのは無理”だと…そう判断した俺の父親…

未来の世界の貴方は、自分の能力を、これに幾つか封じ、俺に、いざという時に、俺や両親の身を護るための手段とさせたんだ」


そう言って梁が差し出したのは、例のスケジュール帳もどきだった。


「!あっ、それ…」

「これは【メモリーリスト】と言うんだが、この中には、俺の母親…、つまり未来の世界の彩花の、空間転移の力も入っている。…俺はこれを使って、この世界に来たんだ」

「!…」


“…彼は、自分自身の存在を、説明によって、何とかして証明しようとしている…”。

それを察した彩花が、労るように声をかける。


「…りょう、じゃなかった、はり…」

「…“りょう”でも“はり”でも構わない。貴女は俺の母親だから…

親に呼んでもらえるなら…俺は…どちらでも構わない」


意味ありげに、梁が寂しげな笑顔を浮かべた。


「“はり”…?」


彩花が不安げな表情を見せる。

それに気付いた梁は、出来るだけ明るく振る舞って見せた。


「…何でもない。脱線して済まなかったな…、話を続けよう」


梁は一息入れ、更に続けようとした。

だが、そこに、先程から黙って話を聞いていた、稔の声がかかる。


「…待て」

「え?」

「梁とか言ったな。…お前は俺と彩花の息子だと言うが、その証拠が何処にある?」


思ってもいなかった稔の冷たい問いに、梁の顔が青ざめた。

その反応を見た彩花は、自分でも驚くほど戸惑いを覚えた。


「!え…、だって、あたしと貴方の力が入った、この…メモリーリストとか言うのを持ってるんだし…」

「そんなものは幾らでも偽造できる。あるいは、その本来の持ち主から奪うこともできる。

…それだけでは証明にはならない」

「!な…」


彩花が稔に向き直った。


「どうして梁を疑うの!?

仮に梁が嘘をついてたとしても、この状態で、梁が得することなんか…何にもないじゃない!」


必死に叫ぶ彩花に、稔は素っ気なく返答した。


「…そう見せかけているだけかも知れない」

「!どうして…」


あくまで疑いを見せる稔の態度に、彩花はいたたまれずに泣きそうになってしまった。

…何故か、彼に否定されることが、悲しくて仕方がなかった。


梁は、そんな彩花をかばうように前に立った。


「…、貴方に疑われるのは承知していた…けど、やっぱりショックだな…」

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