卒塔婆

 ラブだけはその内容から「倉柳さんもたまには面白いこと考えるじゃん」と評していたが、それ以外のスタッフからは「そんなに簡単に引っかかるものなのか?」とその成果を疑問視されながら始まった倉柳さんの囮作戦。その開始から一週間を過ぎたある夜、遂に事態が動き出すこととなった。

「慎君ちょっと下来て」

 二十時三十分。トランシーバーからくぐもった倉柳さんの声が聞こえてきた。

 一体なんだろうと思いつつも「了解しました」と答えると、秀成に受付を任せ三階へ向かう。

 階段を降りた先には倉柳さんが待っていた。すると倉柳さんは僕にすぐ更衣室へ向かうよう促し、僕たちが入ると更衣室のドアを閉めた。

「遂に引っかかったわ」

 倉柳さんの口から驚きの言葉が出た。その口角は僅かに上がっている。

「ええ!?本当ですか?」

「まじまじ。やってみるもんだな」

 得意気に語る倉柳さんを前に、改めて僕は犯人が倉柳さんでも星君でもなかったのだと安心した。そして今日はあのパンクロッカーも来ていなかったはず。

「それでその倉柳さんの財布を盗んだ奴はどこに?」

「二十五番」

「二十五番というと…」

 僕は頭の中でパソコンのブース表を再現した。確か今の二十五番は、

「ほとんど毎日のように来てるあの常連だよ。ぼさぼさの髪を束ねているあの臭い奴」

 焼き鳥だ。

 本来なら犯人候補の最右翼になるはずの男だが、星君、パンクロッカー、そして目の前の倉柳さんの存在の影に隠れ、僕の中では彼に対する疑惑が最近薄れていた。

「あいつだったのか…やっぱり今までの盗難もあいつだったんですかね…」

「それを今から確かめに行くんだよ。今受付は?」

「秀成がいます。莉奈は休憩です」

「よし、じゃあ悪いけど莉奈も受付に呼んでくれ。おそらくこれからごたごたするだろうからな」

 そう言われたので僕はトランシーバーの通話ボタンを押しながら「莉奈とれる?」と言うと、数秒後に「はい、なんですかー」と莉奈の明るい声が返ってきた。

「休憩中にごめん、ちょっと受付に来てもらっていい?」

「はい了解しましたー今向かいます」

 休憩に入っているスタッフを受付に呼び戻すのはこれが初めてだ。過去に一度だけ休憩中に僕自身が呼ばれた事件、信長さんの一件を久しぶりに思い出した。普段温厚な信長さんが「滅多に手に入らないアイテムが取れるとこだったのに!」と烈火の如く怒っていたのが今や懐かしい。あの時もいろいろと大変だったが、今回は間違いなくそれ以上のものになるだろうと覚悟した。

 倉柳さんが今度はトランシーバー越しに受付の二人に向けて話した。

「盗難犯が分かったからそいつのとこに今から俺と慎君で向かう。そいつは二十五番の奴」

 二人はこれを聞いてどんな表情をしているのだろう。

「了解です」すぐに秀成の無機質な声が聞こえてきた。

「よしじゃあ行こうか」

「え?警察は呼ばないんですか?」

「いや万が一財布がなかったら相当面倒なことになるから、とりあえずは俺らだけで行こう」

「はあ」

 僕は間抜けな返事しかできなかった。

 

「二十五番ブースのお客様失礼致します」

 二十五番のブースの前にやってきた倉柳さんは丁寧に声を掛けた。

 返事はない。少し待って倉柳さんは再度ドアに向かって言った。

「お客様?」

 しかしまたも返事はない。倉柳さんは僕を一瞥すると今度はドアをノックした。そうすると中からごそごそと音が聞こえ、沈黙を続けることを諦めたのか、焼き鳥のしゃがれた声が聞こえてきた。

「はい?」

 声のトーンから不機嫌であるのが手に取るよう分かった。

「少々お時間よろしいでしょうか?」倉柳さんは続けた。

「今は無理」

 焼き鳥は不敵に言い放った。

 焼き鳥は今一体どんな表情をしているのか?この時ほど、この薄い合板で作られたドアを厚いと感じたことはなかった。

 倉柳さんを見ると、次の一手を考えあぐねているようだった。沈黙を支配したのは有線から流れるJ-POP。紅白にも出た女性アイドルの曲でサビでは「君は君のままでいいんだよ」というような内容を歌っていたが、その言葉は焼き鳥には聴いて欲しくない。

「少々お話したいことがありまして」

「だから無理だって」

 おそらく焼き鳥は僕たちの話に応じる気は微塵もないのだろう。

 倉柳さんは「間違いなくまだブースの中に俺の財布あるな」と僕の耳元で囁いた後、今度は焼き鳥にも聞こえる大きさで僕に言った。

「とりあえず警察呼んで」

 その一言の効き目は抜群だった。すぐにドアが二十センチほど開くと、その隙間からニキビ跡が目立つ焼き鳥の顔が出現した。

「なんなの?」

「少々お話したいことがありまして」

 今夜この台詞は二度目だった。

 開いたドアの隙間から彼のシンボルである焼き鳥の串がちらりと見えたが、倉柳さんが囮作戦のために買ってきた安物の財布は見えない。

「少しブースの中を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 じわりじわりと倉柳さんは核心へと近付いていく。

「なんで?そんなこと無理でしょ」

 僕たちの会話が気になるのか、隣の二十四番を使用している客がブースの仕切りの上からちらりと頭を覗かせた。

「実はですね、他の方の持ち物をお客様が間違ってお持ちになっているのではと思いまして」

 遂に倉柳さんは踏み込んだ。視線を僅かに落とした焼き鳥は黙り込み、再びJ-POPが沈黙を支配した。

「いや、意味分かんない」

 返ってきた答えは予想通りだったが、焼き鳥は明らかに動揺している。すると倉柳さんは「ちょっと待ってて」とだけ言うとそのまま軽い足取りで四階へ上っていた。

 突然残された僕は何をすることも話すこともなく、ただ時間が過ぎるのを待っていた。先ほどまで流れていた女性アイドルの曲が終わり、今度は疾走感のあるパンクロックに変わった。今は沈黙が辛いのでラウドな曲なのが有難い。

 焼き鳥も同じように無言のまま待っていた。三十秒もしないうちに倉柳さんは小さなメモを手に戻ってきた。焼き鳥に分からないようにちらりと僕に見せたそのメモには「警察を呼んだ。隙を見てブースの中を覗き見て」と書いてあった。

「すみません、お待たせしまして」

 焼き鳥は無言を続けている。

「確認だけさせて頂ければと」

「客を疑ってるのかよ?」

 焼き鳥の声が少し大きくなった。今度は通路を挟んだ向かいの三十三番のドアが僅かに開き、そこから若い女性の怯えた顔が見えた。

「そういうことではないのですが」倉柳さんを遮るように焼き鳥が怒鳴った。

「いやそういうことだろ!」

 焼き鳥の怒声は三階中に響いた。今度は三階の至る所でドアが開く音がした。

「お客様、大きな声を出されては困ります。お手数ですが五階にお越し頂いてもよろしいでしょうか?」

 倉柳さんはまるで慌てている様子がない。これが練馬四天王と謳われた男の胆力なのだろうか?

「やだ」

 ふてぶてしい態度を続ける焼き鳥をよそに僕はこっそり隣の二十六番へ移動した。

 焼き鳥にばれないように壁の上から二十五番を覗き見る。予想通りブースの中はパチンコ雑誌、コミック、発泡酒、そして本物の焼き鳥などでひどく散乱していたが倉柳さんの財布は見当たらない。

「少しだけブースの中を拝見させて頂くことはできませんでしょうか?」

「だから無理だって。とりあえず気分悪いからお前どっか行けよ」

 焼き鳥はそう言うとドアを閉めた。

 倉柳さんは肩を竦めると口の動きだけで「あった?」と尋ねてきたので、僕は首を横に振って答えた。それを見ると倉柳さんは口を僕の耳元に近づけ「ここは俺がいるから上に行ってて。警察来たらまたここに」と囁いた。

 受付には莉奈と秀成が居た。

「どうですか?」

 莉奈がすぐさま尋ねてきた。

「手強い。全然認めないね」

「そりゃそうですよねえ。でもやっぱりあいつだったんだー。臭いし、汚いし、不細工だし、人のお金は取るし。もう最悪」

 どうやら莉奈の“ほーむ新宿店常連、抱かれたくない男第一位”は永久に動く事はなさそうだ。

「でも倉柳さんも負けてないね。全然動じてない」

「やっぱ元ヤンは違いますねー」

 階段の奥から響く足音を聞き、身を引き締めた僕たちの前に現れたのは常連の浪速だった。

「なに、どないしたんや?下でえらい騒いどる奴おるけど」

「すみません、ちょっと色々ありまして…」

「喧嘩か?それなら助太刀するで」

 浪速は軽くワンツーをして見せた。

「ありがとうございます。もし何かありましたらお呼びします」

 僕は軽く冗談で返した。

「任せといてや。スタッフさんもほんま難儀やねえ。ほな頑張って」

「ありがとうございます」

 黄ばんだ歯をにっと見せ笑った後、浪速はコーンポタージュとスポーツ新聞を手に再び階段へと向かっていった。

 僕は心の中で「ほんま大変やで」と嘆いた。


 エレベーターのドアが開き、中から現れたのは二人の警察官だった。

 大柄で鷲鼻の方は見覚えがある。小柄で角刈りの方は初めて見る顔だ。

「盗難の犯人が分かったとか?」鷲鼻が尋ねてきた。鼻の脂が白熱灯に照らされてテカテカと輝いているのがやけに目に付く。

「そうなんです。今店長が下で詰問しています。さっそく同行してもらってよいですか?」

「ええ」

 そう答えた二人を引き連れて三階へと降りていった。

 二十五番の前にはさっきと同じ様子で倉柳さんが居た。僕たちを見るとすぐこっちへ小走りで向かってきた。

「ここの店長の倉柳と申します。この度はわざわざありがとうございます」

「いえいえ」

「お話は簡単に伝わっていると思いますが、私の財布をお客様が勝手に持っていってしまい非常に困っているのです。実は最近ここで盗難事件が続けて起きていることもありまして」

「私も二度ほどこちらへ伺いました」

 鷲鼻が言った。

「それはご苦労様でした。またまたご迷惑をお掛けしてすみません」

「いえいえ」

 角刈りが続けた。

「で、そのお客さんはどちらに?」

「あちらです」倉柳さんは二十五番を手で示した。

「先ほどからブースの中を見せて頂くようお願いしているのですが、これがなかなか」

「ふむ。そうでしょうな」

「では再度お伺いしてみますのでご同行よろしくお願いします」

「わかりました」

 倉柳さん、鷲鼻、角刈り、僕の順でほーむ新宿店の狭い通路を並んで歩いた。向かう先は焼き鳥が待つ二十五番ブース。僕はすっかりやらなくなってしまったロールプレイングゲームを思い出した。ここはダンジョンとは呼べないだろうし、焼き鳥はラスボスとは呼べないだろうが。


「お客様、再度失礼致します」

 倉柳さんは再度ドアに向かって話しかけた。今度は一度目でドアが開いた。倉柳さんの後ろにいる警察官の姿を認めた焼き鳥は分かりやすいほど目を大きくした。

「な、なんだよ」

「先ほどの件になります。是非ブースの中を確認させて頂けないでしょうか」

 鷲鼻と角刈りは無言のままだが、十分すぎるほどのプレッシャーになっているはずだ。

「…だからやだって」

 焼き鳥の声のトーンは明らかに先ほどより弱々しい。見ていて非常に小気味が良かった。倉柳さんは鷲鼻と角刈りをちらりと見た。

「まあ店長さんもこれだけ言ってらっしゃるのですから、一度拝見させて頂けないでしょうか?」

 改めて聞くと、角刈りの声には穏やかで何とも言えぬ深みがあった。僕は勝手に鷲鼻を鬼、角刈りを仏とキャラ設定をした。

「何の権利があって俺がドアを開けなくちゃいけないわけ?そんなこと入店の時に言われてないし。警官だからとか関係ねえし」

 焼き鳥は尚も悪あがきを続ける。どうやらこの様子では犯人であることは間違いないようだ。

「何も出てこなければ我々はすぐに出て行きますよ。逆に言えば店長さんがこう言っている以上、我々も何もせずに帰るわけにはいかんのです」

「いやそんなの関係ねえ!」

 焼き鳥が吐いた言葉がどこかで聞いたことがあるギャグと同じだったためか、どこかのブースから噛み殺したような笑いが聞こえてきた。

「ならば我々もずっとここにいることになりますな」

 鷲鼻の発言を聞いた焼き鳥は視線を落とし、歯を食いしばり始めた。よく見ると手も微かに震えている。決着は近い。

「…いや」

「お願いします」倉柳さんは畳み掛けるように言った。

 しばしの沈黙の後、焼き鳥はブースの中から何かを取り出した。あの安物の財布。勝負ありだった。

「これ、私のです」倉柳さんは安堵の表情を浮かべた。僕も心の底からほっとした。

「ちょっと待て。これは落ちてたから拾ったんだ…」

「どこで?」

「いや、えっと、トイレで…」

「嘘付くんじゃねえよ」

 倉柳さんの声のトーンが変わった。練馬四天王の本領発揮だろうか。

「ほ、本当なんだ」焼き鳥は尚も苦しい言い訳を続けた。

「だから、嘘付くんじゃねえって。俺はお前が盗っていったの見てっから」一人称も“俺”へと変化している。

「まあまあ。いずれにせよここではなんなので、署へご同行お願い致します」

「く…ぐう」

 焼き鳥は声にならぬ声を吐き出した。自業自得とはいえなんとも哀れな姿である。

「ではよろしくお願い致します」倉柳さんは鷲鼻と角刈りに頭を下げた。

「ええ。ただ店長さん、あなたも一応被害者であるし、ここの責任者なのでご面倒ですがご同行をお願い致します」

「分かりました」

「じゃあお客さん、出ましょうか」

 角刈りから促された焼き鳥が沈痛な表情でブースから出てきた。彼がお気に入りのこのブースに入ることは二度となないだろう。

「じゃあ後は頼んだよ。俺もちょっとしたら戻ってこれると思うから」

「了解しました」

「では店長さん、お客さん、行きましょうか」

 そう言うと鷲鼻、焼き鳥、倉柳さん、角刈りの順に並んだ一行は階段へと向かっていった。もちろん焼き鳥は勇者のパーティーに加わったわけではない。

 その時偶然にも僕たちから疑われていたパンクロッカーがちょうど階段から降りてきて、この光景を見てぎょっとしていた。

 周りを見渡すとブースの上から一部始終を覗き見ていた客たちの頭が見えた。僕は心の中で迷惑を掛けたことを三階にいる客全てに謝った。

 二十五番は片付けていいものか、判断ができなかったためとりあえずそのままにしておくことに決めた。パソコンデスクの上の焼き鳥の串が卒塔婆のようでなんとも空しかった。


 受付に戻るともう焼き鳥たちの姿はなく、莉奈と秀成が僕が戻ってくるのを待ち侘びていたようだ。

「いやあ遂に捕まりましたねー!」

 莉奈が笑顔をこぼした。正にアイドルといった笑顔だ。

「うん、なかなか現場は殺伐してたけどね」

 僕もようやく緊張から逃れられた気がした。喉が乾いていることに気付いてドリンクバーでウーロン茶を一杯頂いた。

「そういえば」

 秀成が口を開いた。

「二十五番どうします?」

「あ、すっかり忘れてた。いつものように八時間で入ってる?」

「そうですね」

 秀成はパソコンを見ずに答えた。かつて大西さんが「秀成は滞在している全ての客のパック料金を記憶しているっぽい」と言っていたことを思い出した。

「どうせもう戻ってこないしなあ。もう退店処理しちゃおう」

「了解です」秀成はそう言ってパソコンで退店処理をした。もう二度と焼き鳥の入退店の処理をすることもないのだろう。

「エレベーターに乗る時も抵抗とかしてなかった?」

「はい、大人しいもんでしたよ」

「最初は必死に否定してたんだよ。大声まで出してさあ。周りのお客さんも何事かと思ってブースの上から覗き見てて気まずかったよ。後で何か言ってくるかもしんないね。それにしても最後はあっけないもんだなあ」

 僕は残りのウーロン茶を流し込んだ。

「さっき偶然にもパンクロッカーが来ましたよー」

「ああ、見た見た。警察に連れてかれる焼き鳥見て驚いてたよ。結局あいつじゃなかったんだねえ」

「ですねーあいつはあいつで怪しかったんですけど」

 僕はみんなに疑われていたパンクロッカーの痩けた頬を思い出した。結局滞在中の真鍋が使っていたブースをノックしたことや、不審な動きはただの偶然だったということなのだろう。

 そして倉柳さん、星君もやはり盗難犯ではなかった。二人の気になる点は未だ残ったままだが、盗難犯が判明した今となっては最早僕には関係ないことだ。


 その夜再び事件の顛末を加納さんにメールすると「今までのご協力ありがとうございます。盗難犯が捕まってホッとしております。また今後もよろしくお願いします。」というメールがすぐに返ってきた。

 パンクロッカー、ジョンとヨーコ、逃亡犯、星君、倉柳さんと容疑者多数の盗難事件の犯人は結局焼き鳥だった。逮捕された人間にどんな手続きが待っているのかは詳しく知らないが、焼き鳥は今頃新宿警察署にでもいるのだろうか?

 最初の被害者であるKBK24のメンバー、そして最後の被害者であるアジアをぼんやりと思い出した。

 ほーむ新宿店で四ヶ月近く続いた盗難事件がやっと終わったのだと思うと少しだけ気が楽になった。

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