秀成の記憶力
やはり今日はあのニュースが話題にのぼった。前世紀末に日本中を混乱に陥れた、あの宗教団体による一連の事件の最後の指名手配半が十五年近い逃亡の末、靖国通りを挟んでほーむ新宿店の斜め向かいに位置するインターネットカフェやすらぎ空間新宿店で身柄を押さえられたのだ。
昨日の十三時過ぎに指名手配半によく似た男が来店しているのに気付いたやすらぎ空間新宿店のスタッフが通報をし、現れた警察官に尋問されたところ素直に本人であることを認めたという。逮捕直後にはやすらぎ空間の前に集まった報道陣と野次馬がここからでも良く見え、何事かと大西さんと話していたところ、来店した常連のみかんおばさんが「ねえねえ、向かいのなんとか空間ってお店でずっと逃げてたあの男捕まったらしいわよ!なんかテレビカメラとかいっぱい集まってたから一人捕まえて訊いてみたの。いやー、すごいわねーこんなとこで」とわざわざスマホで撮った動画を見せながら逮捕劇を教えてくれた。またそのことにより昨日やすらぎ空間は臨時休業となり、その影響からか当店の中番、遅番は通常よりいくらか忙しかったらしい。
「ああ、俺の一千万が」と嘆いたのはやはりラブ。
ラブは勤務中に指名手配犯が客として訪れた時に気付けるように、報奨金が付いた犯人たちの顔の画像をスマホで保存しており月に一回確認しているという。
「残念だったな」
「本当ですよ、だって目と鼻の先のあそこですよ?しかも犯人はやすらぎ空間を初めて利用したらしいじゃないですか。なんでうちに来なかったな〜」もしかしたらラブは本当に狙っていたのかもしれない。
「でもまあ他にも狙ってるやつがいるんだろ?」
「そうですけど、あいつが最高額でしたからね。次はもう五百万ですよ」ラブはスマホで指名手配犯の画像を見せながら言った。短髪に薄い眉の男の顔の下には大きく「五百万円」と書いてある。
タイムカードを切ったラブが受付のドアに貼ってある張り紙を見てため息をついた。
「大久保のけちな強盗に、もう一枚は警察の掲示ですらない友人の捜索とか。俺はそんな小物を相手している暇はないのですよ」ラブはそううそぶくと更衣室へ向かった。
「ラブさんも相変わらずわけ分かんないこと言ってるなあ。それにしてもよくやすらぎ空間の人も気付きましたねー。あの指名手配半の今の顔、昔と全然違ったじゃないですか。まあ十五年くらい経ってたら当たり前かー」
莉奈が髪を結びながら言った。
「確かに。それは僕も思った。僕だったら絶対気が付かなかったわ」
「ですよねー。ただ秀成だったら絶対気が付きますよ。ドアに貼ってある友達を捜してる張り紙ありますよね、その男が来た時の話、聞きましたー?」
莉奈が思い出したように言った。
「いや知らないなあ。なにそれ?」
「この間の木曜の早番だったと思うんですけど、なんとその男がここに来たんですよー!」
「本当に?すごい偶然だなあ」
「ですよね!ただ入店の時に接客した莉奈と川島さんは全然気付かなくて。だって髪も黒だったし」
「うんうん」
「でもその男を三階で秀成が見かけたらしいんです。そしたら『ドアに貼ってあった男だ』って呟いて」
「おお、すごいな」
「莉奈が尋ねると『右目の上の黒子の位置が同じだったら間違いないと思う』とか言うんですよー。やっぱりこの子、本当頭いいんだなって思いました。だって普通そんな黒子の場所とか分からないじゃないですかー」
僕は受付のドアを開いて改めて件の張り紙の男を注視した。確かに右目の上に黒子がある。
「本当に黒子あるね」秀成の驚異の記憶力には初めて会った時に既に驚かされている。普通の人だったら一週間は掛かって覚える料金表とブース番号を、秀成は勤務初日が終わる頃には完全に把握していた。
「それでちゃんと電話掛けたの?」
「はい、ちゃんと掛けましたよ。ただ出なかったんで留守電に一応そのことを入れておきました」
「へえ。ただこの張り紙持ってきた人、今でも探してるのかなあ。これが貼られたのってだいぶ前だよね」
「えっと、日付は二月ですね」
莉奈が張り紙に押された日付印を確認して答えた。
「今のところその人から折り返しとかないよね?いずれにせよしてくれても良さそうなのにな」
「莉奈が知る限りでは折り返しないです。連絡ノートにそのこと書いていないんで、念のため書いておきますね」
一度来たということはその男が再び来店する可能性は高い。ただその男が目の前に現れたとして、莉奈同様に僕も気付く自信はまるでない。もしかしたら僕が勤務している時に既に来店している可能性も否定はできない。
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