張り紙の男

「犯人は焼き鳥さんだったんですねえ」

 関さんが連絡ノートを見ながら昨日起きた事件を感慨深げに言った。連絡ノートには莉奈が描いた手錠を嵌められ涙を流している焼き鳥のイラストが描いてあった。なかなかのクオリティだ。確か昔漫画家を目指していたと言っていたような。

「ええ。冷静に考えれば明らかに働いている様子のないあいつがお金を支払い続けられること自体おかしかったですよね」

 今日倉柳さんのところに警察から入った情報では一連の犯行はやはり全て焼き鳥の仕業だったらしい。

 就寝中や席を離れているブースを見つけては金目のものを物色し、犯行に及んでいたらしい。更に驚くことに焼き鳥はほーむ新宿店だけではなく、新宿の他のインターネットカフェでも悪事を重ねており、ここでの犯行六件を含む合計二十件の被害総額は五十万円にも上るという。インターネットカフェで悪銭を稼ぎ、インターネットカフェで消費するおぞましき自給自足であった

「しかし俺も現場に居たかったなあ」

 ラブがぼやいた。

「いやいやお前現場にいないからそんな気楽なこと言えるんだって。倉柳さんは途中勝手に四階行っちゃうし。なかなかの緊迫感だったんだぞ」

「それがいいんじゃないですか、こんなシチュエーションそう味わえませんって。慎さんいい思いしたなあ。これで役者としての幅も広がるってもんですよ」

「お前なあ」

「これに関してはラブに一理あるよ。慎君、いい経験したぜ」

「大西さんまで」

 勝手に羨ましがっているラブと大西さんに構わず関さんが言った。

「結局パンクス君は違ったんですねえ」

「そうなんです。あいつはどうやら濡れ衣でした」

 僕は焼き鳥が連行される姿を見てギョッとしているパンクロッカーを思い出しながら答えた。

「大丈夫ですよ。ああいう奴らは疑われることに慣れてますから。それがパンクスってもんです。気にすることはありません」

 ラブは話しながらパソコンで「窃盗罪 罪の重さ」と検索している。

「いや気にはしてないよ。だってあいつ自身は疑われてること知らんでしょ」

「そう言えばそうですね。でも今日はあいつにお詫びの意味を込めて有線を変えさせて頂きやす」そう言うとラブは有線のチャンネルを変えた。聞こえてきたのは強く歪んだギターが全面に押し出されたシンプルなパンクロックだった。こんなチャンネルあったのか。

「おお、いいですねえ。たまにはこういうのも悪くない」関さんは嬉しそうだ。

「さらば焼き鳥。己の罪を悔い改めよ」ラブが慣れない手つきで十字を切った。


 早番、中番通し勤務のため、うとうととしながらカウンターでブックカバーを付けていると一人の男が来店してきた。

「いらっしゃいませ。お煙草は吸われますか?」

「喫煙、リクライニングで」

「ただいまのお時間ですと、三時間、五時間、八時間パックがご案内出来ます。いずれのパックも延長料金は基本料金と同じく、十五分ごとに百円となっておりますのでお気をつけ下さい。また入店後のパックの変更はできませんのでご了承お願いします」

「基本で」

 目の前の男をどこかで見た気がする。男を二十一番に案内すると隣の星君に尋ねた。

「今の客、何回かここに来たことある?」

「さあ」星君は小首を傾げた。

 そうなると常連というわけではないのだろうか。

「どっかで見たような気がするんだよね」

「実は同級生とか?」

「うーん、その可能性もゼロではないけど」

「誰ですかね、あとは微妙に売れてる役者とか?それだと慎さんは分かるけど僕はわからなそうですし」

「かなあ。なんか気になるなあ」

「確かにそういうの分かります。あ、前の時間確かトイレ掃除するの忘れてんたんで行ってきます」星君はそう言うと三階へ降りていった。

 星君の背中を眺めながらも頭の中はまだ先ほどの男が支配していた。なかなか男前だったから星君の言うようにもしかしたら役者とかなのかもしれない。知り合いの舞台を観に行った時に共演していた役者という線もある。

 先ほどの男の顔を頭の中で巡らせていたが、そんな雑念もエレベーターから現れたモハメドの登場によって吹き飛ばされた。

 僕が会うのは事件以来なので若干気まずい。その後犯人が捕まったことを教えてあげた方がいいのだろうか少し迷ったが、厄介なことになったら煩わしいのでとりあえずそのことには触れずにしておいた。

 モハメドはいつも通り四十四番を指定すると三階へと降りていった。入れ替わり三階から星君が戻ってきて言った。

「すみません、今日ちょっと具合悪いんで早退させてもらってよいですか?」

「まじ?ごめん、全然気付かなかった。もちろん帰って大丈夫だよ。倉柳さんと川島さんには僕が言っておくよ」

「本当すみません。ありがとうございます」

 そう言うと星君はタイムカードを切って三階に向かった。着替えを済ませてくると再び謝った。

「じゃあ、ごめんなさい。先に帰らせて頂きます」

「オッケー無理しないように」

 星君はエレベーターに乗る際もぺこりと軽く頭を下げた。だいぶ前におなかが痛いと言って帰った真鍋が病院に行くと盲腸だと判明しそのまま入院したことを思い出した。

 滞在客数十四。こんなに滞在客数が少ないのは久々だ。星君は早退し、川島さんは休憩中のため実質一人で接客をしていることになるが、この人数ならまるで問題ない。川島さんが休憩から戻ってきたので、星君が早退したことを伝えていると先ほどの見覚えのある男が受付にやってきた。

「お帰りでよろしいでしょうか?」

「うん」

 僕は男の顔をまじまじと見つめたが、やはり誰かは分からなかった。

「お会計四百円になります」千円札をキャッシュトレーに乗せ、六百円のお釣りを手にすると男はすぐにエレベーターに乗り込んだ。

「川島さん、今の客見たことあります?」

「ごめんなさい、ちゃんと見ていなかったので。どなたですか?」

「それが僕も分からないんですよ…ただどこかで見たことがあるような」

 僕は男の顔を思い出そうとしたが、男の輪郭はぼやけていて最早それも叶わなかった。

 結局気にすることもなくその日は帰ったが、翌日早くも男の正体は判明する。


 タイムカードを切り、着替えに三階へ向かおうとした時だった。

 ドアの張り紙が目に入り眠気が少しだけ飛んだ。

「あ、こいつだったんだ…」昨日思い出せなかった男が目の前に居た。

 早くも着替えを済ませた莉奈が尋ねてきた。

「何がですかー?」

「こいつ昨日来たんだよ。どこかで見覚えがあると思ったら」

「ええ、また?」

「うん、でも僕も莉奈と同じように気付かなかった。実際目の前にしても案外分からないもんなんだなあ。あとやっぱり髪、黒だったね、張り紙のように金髪だったらもしかしたらその場で気付いたのかもしれなかったけど」

「へえ、莉奈は気付くことすらなかったです」

「気になって星君と川島さんにも訊いたんだけどね。二人とも分からなかったよ」

「そういうもんですよー慎さん感付いただけですごいです。秀成は特別」

「しかし電話するべきか否か」

 僕は電話機を見つめた。

「結局今回もこの男はここにいないですもんね…」莉奈の視線の先には張り紙の男がいた。

「でも一応掛けてやるか」僕は受話器を取り上げて、張り紙に記載してあった電話番号を押した。しばらく待って流れたのは留守番電話のメッセージだった。

「私インターネットカフェほーむ新宿店の森永と申します。以前こちらに掲示した男性の方が当店にいらっしゃったのでご連絡差し上げました。では失礼いたします」

「また出ません?」

「うん、そもそも電話番号合ってるよなあ」

 僕は張り紙に記載されている十一桁と発信履歴をもう一度確認した。

「え、間違ってました?」

「大丈夫、合ってた」

「じゃあもういいですよー前に莉奈が掛けた時も留守電だったし、折り返しもなかったし。もうこの友達見つかったんじゃないですかね?それか捜すのが面倒くさくなっちゃったとか。どちらにせよ折り返しくらいしてくれてもいいのに」

「そうだね」

 少し前にオガとこの男の正体について会話を交わしたことを思い出す。男にはオガが邪推したように、借金取りから逃げるような警戒した素振りは特に感じられなかったが。

「またこいつが来たら本人に直接言った方がいいのかな?友人が心配していますよって」

「うーん、どうでしょうね。そもそも、ここまでして捜してくれる関係性っていうのがいまいちよく分からないですよねー。仮に莉奈も親友と連絡が取れなくなったとしても、ここまでしてあげられるかなあ…」

「普通そうだよね。警察に届けるくらいはするかもしれないけど、ネットカフェに足を運んでまで捜すって、家族並みに強い絆だよ。となるとやっぱりオガが考えていた線もあり得るのかなあ」

「なんですか、オガが考えてたって?」

「実は捜しているのは友人じゃなくて、ヤクザとか借金取りっていう推測」

「なくは…ないかも。そもそもどういう人が貼ることを頼んできたんでしょうね。明らかにヤクザっぽい人だったら、その場では了解した振りをして後で捨てちゃいますよー。だってなんか面倒なことに巻き込まれたら嫌ですもん」

 莉奈は眉をハの字に曲げた。

 ほーむ新宿店では特に連絡がなくてもこのような張り紙は一年間は掲示しておくというルールがあるため、今年の二月から貼られているこの張り紙は後二ヶ月はここに掲示することになるが、正体不明の掲示主がまだこの男を捜しているのだろうかと疑い出すと、先ほど律儀に電話をしたことが少し馬鹿らしく思えてきた。

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