第23話 キス

 ・・・・寝られない。おやすみを言って何分経ったのだろう。隣にいる香乃の息遣いだけがやけに強調されて耳に響く。鼓動の激しさを鎮めるために努力するが、努力は成果と結びつかない。


「佐・・・・?」


 やはり、香乃も寝ることができないのか。それもそうか。想い人が隣にいる状況、というのは僕に限定された話ではない。


「何?」


 返事を返す。


「キス・・・・して」


 僕は魚のキスを想像するような愚か者ではないので、直ぐに何を香乃が要求したか理解出来たが、この後どうすればいいのかは理解できていない。


 困っていると、僕の上に香乃が覆いかぶさる。


「これ以上、女の子に言わせるのは反則だよぉ」


 顔を見ると、赤く染まっている。


「ここ、香乃の家だし・・・・」


 逃げ道を探る。


「みんな寝てる」


 ヤバい。香乃が何故か隙のない女子に変化している。


 いや、僕が愚か者になっているだけか。そう、心の中では一緒に寝ていたいと思っていたし、キスもしたいと思っている。


 気持ち悪いな、僕。


「分かった」


 そう言って唇を彼女に近づける。


 彼女は目を瞑る。


「・・・・え?」


 先に声を上げたのは彼女だった。


「はい!! キスしたから寝よう!!!!!」


「え!? それないって!? 頬は違うよ!!!!」


「したものはしたから終わり! おやすみ!!」


「もぉー!!!!」


 はい。逃げました。これは僕の意気地なさと思ってもらって構いません。


 あと、唇は運命に怯えている今ではなく、きちんと香乃と付き合ってからにしたい。・・・・それまで待っていてくれたらだけど。


「・・・・忘れてた」


「・・・・」


 寝ているふりをする。


「・・・・由芽にも勉強教えてね」


「・・・・うん」


 そんなことかい。それならキスの前に言ってくれよ・・・・。


 眠気はいつまで経っても顔を出してこないが、目を閉じ続ける。


 これは幸せなんだ。今以上の幸せはもうしばらく味わえないだろう。


 そして、不幸も訪れるに違いない。だが、今は忘れよう。


 幸せを僕は嚙みしめながら、眠りの世界へと落ちてゆく。




 目覚ましの音が朝を伝える。


「・・・・何時なの」


「うにゃ・・・・」


 香乃に尋ねたが、返事は帰ってこない。


 香乃の寝顔を見る。触りたい衝動を抑え込み、部屋を出る。


 一階に降りると、朝食の匂いが嗅覚をくすぐる。


「おはようございます」


「おはよう。由芽はまだ寝てる?」


「はい。まだ寝てます」


「やっぱりねー。あの子、昔よりさらに寝起きが悪くなって」


 ため息をこぼしながら、僕の制服を出してくれる。


「あ、洗濯しておいたわ」


「何から何までありがとうございます・・・・!」


「良いのよ~! お礼なんて言われたの久しぶりだからくすぐったい」


 クスクスと笑う香乃の母親。やはり、香乃由芽は遺伝を引き継いでいる。笑っている顔の表情。香乃のものと全く同じだ。


「それじゃ、由芽を起こしてくるわね」


 由芽ー! と叫ぶ声がする。


 家庭、という生活体験を僕は味わった。

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