第10話 目立て(2)
坪根恵美は歯並びの悪い口でポテトチップスを砕きながら、自分の現状を嘆いていた。訳の分からないゲームに強制的に参加させられて、さらには同じような年代の同じ性別の参加者はどこかしらにまとまっていると察知したからである。片手は口とテーブルの上を往復し、もう片方の手でスマホを握り、「投票箱」を操作しながら、彼女は参加者の写真を次々に見ていた。
(このババア)
吉野は彼女に声をかけなかった。
(いつも周りに似たようなババア集めて、まあ、ウチはそんなおばさんじゃないし、別にいいけど)
2000万円のことを知ったらそうは思わなかったに違いない。口元を動かすたびに坪根の下膨れの頬がダルッと動く。画面を何度かスクロールして、次の目的の人物の前に、指が止まる。
「なんでウチの写真、こんな写り悪いの使ってるのよ……」
画面はすぐに次の写真に切り替わる。坪根の写真は、今スマホを見ている坪根と変わらない。事実である。まとまらない細くなり始めた髪も、細い目尻のしわも、何々も、何々も、事実である。それでも最高級のアメニティを数日使っていた分、今の方が彼女の良し悪しの良しなのだろう。
(こいつと、あと、こいつとよくいるあいつとか、あいつとか……)
竹島や妹尾たちほど、彼女は賢くなかった。だから、声をかけられなかったし、向こうからもわざわざかけようとは思わなかったのである。
(どうせウチと違って普通の家に生まれたんでしょ……。友達も普通にできて、普通に勉強できて……)
坪根の片手は一定の速度を保ち、もう片方は親指だけがせわしなく動く。
(それにこいつ、こいつ、あとこいつも……、制服着て、バカの癖に、ああいうのが、究クンはいいの? だいたい、写真が少しキレイなだけでしょ)
坪根は次々に毒づいていきながら、どんどん写真を送っていく。水鳥は彼女を誘わなかった。そのことが坪根を傷つけた。勝手な理由をでっちあげ、水鳥や他のメンバーと思われる人たちをけなして、またきっと碌なことにならないと思って、坪根はその考えを信じてやっと諦めがついていた。ただ、それでも水鳥はかっこいいらしい。
(それで、こいつ! こいつよ! こいつ、どうして死なないの!)
そして、その考えではカバーしきれないほどに、坪根が憎悪を向けるページには岩倉由香里の写真があった。生地のしっかりしたジャンパースカートの学生服を着こなし、それは彼女が中学に上がったばかりなのに、体の丈にぴったりと合っている。つまり、上級国民である。その証拠に、長い黒髪や細い手足は写真の上でも、実物を目の当たりにしても、輝いて見えるほどに磨き上げられている。極めつけはどこかのアイドル顔負けのルックスで、可愛らしさの中にほんの少し不満げな表情をしているのがそのままブロマイドとして使えそうなほどに誰かを惹きつけるのである。
(こいつ、どうやったら死ぬ? 最初の日、ウチがコケて挟まったのに、「ふふっ」って笑って、虫けら見るみたいな目で、それで……、そのままどっか行って……)
坪根は初日の探索の時間、壁際を叩いていたときに、足を滑らせて転んだ。運の悪いことに、ちょうどそこにはいくつかブロックがあった。そのブロックの間にすっぽりと収まってしまった坪根は、長堂が見つけるまでジタバタともがいていた。岩倉がその一部始終を笑って見捨てたというのが坪根の主張である。
しかし、坪根はただ気持ちを自分の中で爆発させて、菓子を食べることで、落ち着けることができた。いくら妬んでも、憎んでも、理性の内で人を殺してはいけないと思っていたし、仮にここでそうして見つかったら、即刻死刑になることを坪根は十分理解していた。彼女にとって、自分と、自分の一番大事な人の命は、高々50日ほど一緒になるだけの小娘を殺すことよりも重要であった。
それでも、このゲームは殺す人を選んで投票できる。だから、坪根は岩倉の死をある程度の現実感を持って望んでいるのである。ボディーガードもいない、いたとしても意味をなさないこのゲームだからこそ、坪根は積年の鬱憤全てを乗せて望んでいるのである。
*
鈴木雪子はシチリア料理のコースメニューを堪能した後で、今日の話し合いで聞いたことを試そうと、消えて、と考えてみた。まばたきの間にテーブルの上はきれいになっていた。皿の跡さえない。
(そう言えば、私、雅美ちゃんから直に聞いてたわ。究君、すっごい褒めてくれてたなぁ)
鈴木は、本村が皆の前でその小さな発見を発表していた場面を思い出した。その情報はグループ内で共有されて、水鳥の指示の元、最もプレゼンと演技が上手い鳥居が先ほど話した、ということであった。
(でも、私も負けてないわぁ)
鈴木は「ににぉろふ」を立ち上げてペレットと皿を呼び出した。そして、あらかじめ用意していたハサミで袋の口を切ると、数粒皿の上に出した。
(これ、食べると体調がよくなることを教えてあげたのは私)
ポリ、ポリと小さくかじりながら、鈴木は、鳥居の前に話していた男が、「ににぉろふ」で呼び出すものには形容詞を付けられる、と言っていたことを思い出した。
「イチゴミルク味のペレット」
鈴木は新しく出した方の袋の口をはさみで切ると、少しの間止まり、皿の上のペレットと元の袋をゴミ箱に捨てた。
(あ、これ、あたりかも。誰だっけ?)
そして、イチゴミルク味のペレットを先ほどと同じようにしてかじりながら、スタンドに立てたスマホをタッチペンで操作していく。
(あった。確か、この顔。柘植?)
「投票箱」の名簿を見る鈴木の顔は、特に何も変化しない。街中の掲示板を見るような、ニュースのアナウンサーを見るような顔つきである。
(やっぱり究君。究君には絶対適わないわぁ)
(究君。素敵。もう、全部。あの目で見つめられると堪らない。あの声、体が熱くなる。あの唇)
皿の上を片付けた鈴木はぺろり、と自分の唇を舌でなぞる。
(あまり食べ過ぎると太っちゃう)
それから鈴木は洗面所に向かい、備え付けの新品の歯ブラシを手に取って、白い歯磨き粉をたっぷりと乗せると口に頬張った。
(究君。年下の男の子なのに、かっこよくて、やさしくて)
鈴木は歯を磨きながら自分の顔をチェックしていく。傷やシミ、しわがあったら大事である、と涙ぼくろをアクセントに添えた鏡の中の目が訴えてくる。
(――むくみもないわぁ。私も、イケるわよね?)
口をゆすいだ鈴木が元の部屋に戻ると、テーブルの上はきれいに片付けられていて、スマホとスタンド、タッチペンだけが残っていた。
(究君)
鈴木はおもむろに着ていたベストとフレアースカートを脱ぎ棄てると、そのまま椅子に腰かけて再びスマホを操作し出した。
(もっと、おしゃれしていればよかった)
彼女はここに来る前に、課長に注意されて渋々一回り地味な格好で働き出したことを後悔していた。
(それよりペレット、効くわぁ。ちょっと前は食欲なかったのに。それに、頭も腰も痛くない。体が楽。仕事してないからかしらぁ)
鼻歌混じりで鈴木が眺めているのは水鳥とのやり取りである。
目を通し終えた鈴木が次にしたことは、スマホを持って寝室へ向かうことだった。彼女はベッドに寝転がると、サイドテーブル上にあるタブレットを手に取り、電子雑誌のピンナップらしき水鳥の、様々に恰好を変えた写真を眺めていった。
(ちょっと前の究君もカワイクていいわぁ)
(あ、こっちも。隣のカレも結構いいわぁ)
そうやって、満足した鈴木はそのままベッドに体を預けてまどろんでいった。
(そうだ。ダイエット薬、出てくるのかな。そうしたらいっぱい……)
眠りに落ちる寸前、鈴木の頭に思い浮かんだ。もう一度起きてスマホを触るほど、鈴木は眠気に抵抗力がなかった。
(明日試そ。究君に教え……)
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