第8話 見ろ(3)

 水鳥の部屋の空気は重苦しく、風船くらいならそこに留めておけるのではないかと思えるほどである。そこに集まっていたメンバーのほとんどの目には涙で腫らした跡がある。


 「みんな……辛いよね……。僕もだよ……」


 「ねえ、どうして真弓ちゃんを助けてあげなかったの!」

 中津紅梨夢がこのゲームが始まってから初めて水鳥に噛みついた。学生服のブレザーを脱ぎ捨てるくらいの勢いで、と言ってしまえれば格好良かったのだが、実際は少し大きな声を出した程度である。それでもそこの中では水鳥をぶん殴ったくらいの扱いを受けてしまった。何人もの刺し殺そうとする視線が集まる。中津がそれに相応えようと立ち上がりそうになる。


 「みんな、心配してくれてありがとう。紅梨夢ちゃん、ちゃんと言ってくれてありがとう。おかげで少し楽になったよ」

 水鳥が殺気立ったメンバーをなだめつつ中津の行動を正しいものとした。同じ言葉を別の誰かが言ってもこうはならないだろう。話し方とルックスで水鳥はその張り詰めた空気を丸くした。


 「ご、ごめんね」

 「ううん、私もごめんね」「ウチもごめん」「私もごめんね」

 まあ、水鳥の前でこれ以上醜いさまを見せたくないだけだろう。


 「僕はね、真弓ちゃんを助けてあげようと頑張ったんだ。だけどね、あのとき僕が庇ったら、みんなまで危険な目に合わせちゃうところだったんだ……」

 水鳥が少し声を細くして説明を始めた。彼の言うことは全くの事実で、何の脚色も自己弁護もなく、誠実そのものである。しかし、それを堂々と言ってしまえば、変に高ぶった感情を逆撫でするだけだと水鳥は分かっている。


 「みんなと、みんなの一番大事な人をそんな目に合わせるわけにはいかなかったんだ……」

 ゆっくりと、全員の顔をそれぞれ見ながら、その奥にいるその人の最も大切な人を思い浮かべているように、水鳥の声は優しく感情を包む。


 「だから、本当に悲しいけれど、ああするしかなかったんだ」

 そして、水鳥の目からつーっと涙がこぼれる。


 「みんな、覚えておいてね。もし、また同じことがあったら、誰も助けてあげることはできないんだ。昨日も言ったみたいに自分で何とかするしかないんだ……。ごめんね……」

 水鳥のエモーショナルな言葉に、その内容になのか、その音になのか、場の空気になのか、それぞれ理由があるだろうが、感動したメンバーは別の涙を目に潤ませてうなずいた。


 「じゃあ、明日は……坂本、坂本太朗さんに、票を集めてね」

 ただ、どこまで温い空間を作っても、この言葉が出れば一瞬で冷めてしまう。

 「あとは、明日、広場を見に行くのは早矢香ちゃんと……紅梨夢ちゃん、お願いできるかな?」

 中津が先の失敗を取り戻すように大きく頭を動かす。その姿勢を見て、最早後からすぐにグチグチ言う者はいなくなった。


 「あとは……、誰か、みんなに伝えたいことはあるかな?」


 「じゃあ、これで解散しようかな?」

 ガタタッといくつかの椅子が動く。そこに残れないことを残念に思う面々に、水鳥が声をかける。


 「そうだ、みんなにお願いがあるんだ。ちゃんと目の腫れを取って、明日からもいい笑顔を見せてほしいんだ。泣いている顔より笑った顔の方が似合っているよ」


 これは、腫らした目かそうでないかでグループのメンバーを特定されないようにするのが目的である。ただし、そうしなくても泣きはらした目の参加者は、連日の傾向からするに、別に何人かいるだろう。

 「冷やしたタオル、温かいタオルを2、3分かな、それくらいで交互に当てるんだよ。僕も撮影が大変だったときによくやったんだ。……内緒だよ?」

 水鳥はそうやって弱みを見せると、なおも動かないメンバーに「ねっ」とほほ笑んだ。そうやってようやく水鳥の部屋から人の数が減っていった。



 水鳥は、他のメンバーが自分の部屋に戻った後、傍らにあった硬い木の椅子に座ると頭を抱え込んだ。これが何度も続くのかと思うと彼はしばらく頭を上げることもできなかった。





 吉野は肥えた腹を撫でさすりながらクッションの効いた椅子に座り、もう片方の手に光る大きな宝石の付いた指輪4つを眺めていた。時折その太い指や手首を動かしてはその反射を楽しんでいる。すでに時刻は遅く、明日の投票先も決めて、メンバーへの連絡事項も終わらせて、吉野の残りの予定はベッドに行くことだけである。


 (まあ、流石だねぇ)

 吉野は、眠気が来るまでただただ指輪を見て悦に浸っているわけではない。そうやって、白髪交じりのよく見ると薄い頭髪の下でものを考えているのである。


 (水鳥……、テレビで見たことがあるよ……。やっぱり若くてもプロフェッショナルだねぇ)


 (あの高橋は絶対に水鳥の仲間だった。あの後、大方騙しこんだのだろうね、自分は絶対に助けるから、それまでこうするように、って。それが最善策、声をかけたら見捨てる、上手くいったら、何だろうかい、ご褒美にご主人様から何が貰えたんだろうねぇ)

 吉野は腐った魚の腹のような色の唇を歪ませると下衆な想像を働かせた。


 (それでも馬鹿が言う通りにできないしないって、あいつはよく分かっているじゃないか。あれが土壇場なわけがない。そして、ごく自然に話しているようで緻密に時間を計算して、話の調子を上手いこと調節する……、あの女を直前まで騙して、他の参加者には集団で行動していない体を表明する……、大義名分でもって誰かが責め立てることもできないじゃないか、理屈的にも時間的にも)

 吉野が指を動かすたびに宝石の輝きは形を変える。その表面に見える吉野の角度も変わる。


 (そして、明日から誰もこの方法を使うことができなくなった。選ばれそうな奴に気付かれる。ねぇ? 他の出張っている連中に牽制……、それに、自分の仲間にも、だ。同じことをしても無駄、ついでに同じことをしたら、助かっても他のメンバーからの報復が、あれ以上の報復が待っている……なんてのはやりすぎかねぇ? まあ、あれだけの時間で、ごたごた飾りもせずに、やるじゃないか。ああいうのたちと一緒にやっていければ……、って言っても無理だ。妬み嫉みが集まってくる。そして後はもう皆殺しって寸法だ)

 憎々しい表情は一層吉野の顔を醜くする。宝石でさえも隠せない。


 (それに、仮にだ。そうならなくても、コントロールしにくい……。それが合わないのよ)

 吉野は明日以降のチームの動き、自分の動きを頭の中で描いていく。明日の話し合いで出て来そうな議題……、自分に注目が集まったとき……、要注意人物……、メンバーが魔女裁判にかけられたとき……。


 (まあ、極論自分が助かればいいからさ、ギリギリまでメンバーが減ってもいいんだよ。でもさ、そんなこと気取られたらおしまい。信用されないと守られない。大分表に出てしまったし、できるだけ多く残ってもらわないと。あたしを守っている人が大勢いるってブラフにもなりやしない)

 吉野が自分の意見に満足げに頷くと、宝石の輝きもそれに合わせて動く。


 (それにさ、悪いことはできないよ。今日のあの女みたいに誰かが見ていたら、撮っていたら、言い訳のしようもないじゃないか。まあ、あれはどう見てもやっていたしね。死人に口なしだから、確かめようもないけれどもさ。ここの刑罰は無罪か死刑。限りなく死刑。それも、裁判は短ければ10分。あくまでも、真っ当に、真っ当に見えるようにやらないと)



 「さて、寝るかい」

 吉野はのそりと椅子から立ち上がるとスマホを持って寝室へ老木のような足を進ませた。そして、指にはめている指輪を全て引き抜くと、ブックライト近くに無造作に置いた。それから押し込まれたごみ袋のようにベッドへ入りこむと、吉野はあっという間に夢の世界へと旅立っていった。

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