第5話 守るな(3)

 決められた集合時間よりも30分ほど前にそれは起こった。


 「もうさぁ! こうすればいいんだろぉ!」

 円状のブロックの傍に立っている1人の男性が急に大声を出した。それを遠くで見ていた誰かがぼそりと呟いた。

 「近藤駿介だ」


 「だからぁ! こういうことだろぉが!」

 近藤は右腕を上段にかざし、左足を踏み込んで、近くにいた女性目掛けて振り下ろ――。

 「危ない!」

 近くにいた小柄な老人が咄嗟に彼女を弱々しい全力で突き飛ばし、他は誰も動かない、動けない、老人の右袖が小さく赤く染まりだし、ナイフを持ってい――。

 「邪魔すんじゃねぇよ! 死ね!」

刃が老人の首元に、老人はハッと動、かない、頸動脈から鮮血が吹き出して、白いブロックを、近くにいた誰かを、パタパタと染め、首元を抑えた老人が膝をつき――。

 「邪魔だよ! どけぇ!」

 蹴り飛ばされ、近藤が隠れていた女性の胸元を切りつけて、左に吹っ飛んで――。

 「何やってんだ!」

 突き飛ばされて、そのまま鷲尾が近藤を抑え込んで、ナイフを取り上げた。


 「てめぇ何考えているんだ!」

 「誰か止血! ガーゼと包帯! 出せ!」

 「ねえ宮本さん意識が! しっかり! 誰か!」


 一気に広間は騒然とし出した。近藤は誰かが出した縄で両腕と両足をきつく縛り上げられている。

 「これ、研いである」

 近藤が落とした果物ナイフを三石怜誠がまじまじと見ている。彼の学生服はわざと破かれており、ズボンは腰まで下がっている。三石はそれを壁に向かって投げたが、刺さることはなく、乾いた音を立てただけであった。


 「高橋さん、大丈夫?」

 乙黒が切りつけられた女子大生、高橋真弓に声をかける。


 「はい……、何とか……。かすったくらいみたい」

 高橋が息も絶え絶えに答えて、傷口を恐る恐るなぞる。

 「痛っ」


 乙黒は自分のスマホを取り出すと、「ににぉろふ」を起動した。

 「水、タオル、後は……傷パッド。大丈夫、すぐ治るよ」


 女性を庇った老人、宮本誠は周りを幾人かに囲まれており、何とか止血できたようだが、すでに脈は微かで、意識も朦朧としている。


 「輸液製剤! 酸素マスク!」

 「心臓マッサージ!」

 「何で私が?」


 「ニニィ! 手術、何か!」

 誰かが「ににぅらぐ」を立ち上げると広間の天井付近にモニターが現れた。


 「どうしたのかな?」

 ニニィは画面の外側を覗き込むかのように若干前かがみになっている。


 「宮本さんが重傷だ! 手術室と手術器具、麻酔を!」

 君島が両手を血に濡らしながらモニターに、正確には誰かが立ちあげている「ににぉろふ」か「ににぅらぐ」に向かって叫ぶ。その後ろで眼鏡をかけたスーツ姿の男性、鈴木修二が止血をしている。その横に立つ時田が輸液バッグを高く持ち上げて、その先は宮本の左腕に続いている。


 「ないよ。それに、もう死んでいるよ。投票箱を見てね」


 「えっ?」

 心臓マッサージをしていた太った女性、大浜久枝の手が止まった。野口がスマホを取り出す。

 「本当だ。……『宮本誠 3日目の犠牲者』」


 「こうだろぉ! これでいいんだろぉが! これで今日は終わりだ!」

 近藤がしてやったりと言わんばかりの顔で吠えた。


 「話し合いも投票も、あるよ」

 ニニィがその場でくるくると回転しながら答えた。


 「あ?」


 「一体、何があったんですか」

 ちょうどやって来た男が手近にいたセーラー服姿の女子、栗林すなおに尋ねると、彼女は「ひっ!」と驚いた。

 「す、すみません……、さっき、近藤……さんが、宮本さんを、ナイフで……」


 「話し合いも投票も、あるよ。『ルールブック』を確認してね」


 「ふzkng」

 近藤が次の句を言い出す前に鷲尾が口に布を詰め込んだ。さらに、その上から別の布で口を覆うと、柔和そうな顔に似つかわしくない冷たい、しかし何とも言いようのない目で彼を見て、離れた。


 それから、近藤は縛られたままブロックと括りつけられていて、宮本の遺体は隅の方に白い布をかけて安置され、その隣に高橋が胸を抑えながら神妙な顔で正座していて、新たに広間にやって来た誰かが一層重苦しく、血生臭いその場の様子に恐々して何があったか尋ね、また別の誰かが何事があったのかを知った様子で椅子に腰を掛けて、そうやって、時間が来た。


 「はいっ、じゃあ『透明な殺人鬼ゲーム』3日目の始まりですっ。10分後に、投票開始ですっ。今日の参加者は全員。スタート!」


 「もう今日は決まりでしょ。こいつで決定」

 職場の膵臓がん、独身のお局こと徳田梨帆が実に嬉しそうにニッタリと口火を切った。自分が生き残れること、というよりも、他者をいたぶる格好のきっかけを得たことに喜んでいるのは歴然だ。彼女はこの3日、新卒の男性社員をいびっていなかったからストレスがたまっていた。無能なのに。


 「暴力で解決するなんて、本っ当に最低!」

 セーラー服姿の女子、大川広恵が追撃をした。徳田の発言は、今回に限って言えば、正しい。物の言い方や態度には問題だろうが、正しい。


 だが、近藤をこれ以上攻撃したところで何にもならない。結果は、誰の目にも見えているだろう。だから、ここでするべきことは、次の日について話すこと、あるいは近藤に動機を尋ねることであろう。しかし――。


 「お前ならやるー思っちょったけぇ。そげな顔じゃ」

 田川が無意味な追い打ちをかけた。


 近藤は憎そうにその3人を含む近藤から見える限りの全員を睨み付ける。子供たちが少し怯んだが、他に何も起こらない。野口が誰ともなく尋ねるように口にする。

 「なあ、今日はいいとしてさ……、明日から、どうする?」


 誰もが口を開かない。その一瞬を、野口は狙いすまして打ち抜く。

 「ルールをつくらないか? 例えば、人が不快な言葉遣いはしない、とか?」


 「それならまず自分が丁寧語を使うところからですね」

 しかし君島が、血で汚れた片手で叩き落した。


 「いや年r」

 「私が年上だから使え、とは言っていません。知り合って間もないからです。人にやらせるなら自分がまず行うべきです」

 その正論を素早く避けて切り返すほどの技術を野口は持っていなかった。そして、顔を赤くすると悔しそうに黙った。


 「ルール? いいねぇ」

 吉野が野口の言葉を拾う。注目が集まる。


 「人の嫌がることはしない。自分がされて嫌なことはしない。どうだい?」


 大半の参加者は吉野の言ったことを当たり前だと思った。すかさず小さな同意の音がする。松葉だ。影山と君島が警告の視線を発する。それを知ってか知らずか、松葉は変わらず薄い微笑みを貼り付けている。

 「いいですね。それで、どうですか? もし、全体にとって役に立つ人物に間違えて投票したら全体が損をしませんか?」

 松葉は一拍おいて、全体を見渡し、それから続ける。

 「だから、予め伝えるんです。この人に投票します、と。そうすれば、相手側の言い分も聞けて便利でしょう? つまり――」

 松葉の顔は薄く笑いを形作った。

 「自分は、全体にとって価値のある人間だ、と」


 時田がすかさず隻句を見つけたと謂わんばかりに切り込む。

 「おい! それじゃあ、お前は人を殺すのを認めるのか! このゲームの賛成派なんだな!」


 「違うよ。結局、選ばなきゃいけないんだから、全体が生き残るのに必要な人間を選ぶことは全体のリスクを上げることにしかならないだろう?」

 松葉の取ってつけたような表情は、その笑顔の具合がわずかに少しずつ増している。水鳥のような優れた演技ではないが場数を踏んでいる分、普通の人間なら騙すことができる。

 「それとも、時田さん……、全員の死ぬリスクを高めるつもりですか?」


 「いや、俺はそんなつもりじゃ……。俺はただ、みんなのためにだな……」

 時田は必死で顔を作って全員にアピールすると曖昧にぼかしてその話を終わらせようとする。しかし、そうはいかないと松葉は追い打ちをかける。


 「ああ、それから。後々になってから言うよりは、先に言っておけば真実味が増すでしょう。だから、今のうちにアピールしませんか?」

 松葉のこのアイディアは一見すると社会的ステータスを持つ人物にとって魅力的な提案である。水島がすっと手を挙げる。


 「それは、反対ですね」

 この場で最も誰かから知られている立場であろう水鳥が反対した。

 「確かにこの先何があるか分かりませんからこそです。選ばれそうになってからでも十分間に合いますし、何より――」

 水鳥は斜め左に視線をずらすと、そこを指さした。

 「そうした人物は違った形で殺されるかもしれません。自分だけの生き残る可能性が高くなるのであれば、それでよい。その手の人物がいないとも限りませんから」


 「なるほど」

 松葉の薄い笑顔は変わらない。

 「そうですね、僕が浅はかでした。そういうこともあり得てしまうわけですね」


 吉野が小さく咳払いをする。

 「それじゃ、言う言わないは個人の自由ってことにして、今分かっているのは何だい、水鳥サンが俳優サン、君島サンがお医者サン、影山サンが刑事サンぐらいかねぇ」

 吉野が名前を挙げながらぐるりと見渡す。笠原が真っすぐに力強く手を挙げる。


 「私は中学校の校長をしています。私が言ったからといって、他の方に強制するわけではありません」


 笠原の名乗りの後、次に続く者はいない。沈黙が場に流れるが、それを破ったのは床に転がっていた近藤であった。口を覆っていた猿轡を顔を床にこすりつけ、吐き出した。

 「おい待てよふざけんなよ! お前らだって昨日! 一昨日! 殺したじゃないか! 何が違うんだよ! 目に見えてないだけだろお! お前らだって、これで得したんだろおがあ!」


 「はいっ、じゃあ投票の時間です」

 ニニィの声はそのすぐ後、つまりその問いに答える者が出る前に、もっとも答える者がいたかは不明だが、聞こえ、参加者たちは闇の中で思い思いの投票を行った。


 「はいっ、今日の犠牲者は近藤駿介さんに決まりました」

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