第3話 選ばれるな(4)

 「はい、じゃあ『透明な殺人鬼ゲーム』、2日目の始まりでーす。参加者は……なんと、全員でーす。30分後に投票が始まりまーす。よーい、スタート!」

 部屋が薄暗くなり、モニターが突然現れて、それから突然消えた。


 (リタイアした人は誰もいないのネ)

 スーツ姿の中年女性、福本絹子は思った。つまり全員が、積極的にしろ消極的にしろ、自分と、自分のもっとも大切な人の価値の和がそこにいる49人と、その人たちのもっとも大切な人たちの価値の和よりも大きいと判断したということだ。


 (誰を選べばいい……?)

 昨日よりもこざっぱりした身なりの老爺、ホームレスの田渕完治は判断基準の1つを失ったことに少なからず狼狽えた。彼は、欠席することが自動的に全滅のリスクを高めること、つまり自分を含めた全員に牙を剥くことと同義で、従って、犠牲者に選ばれても仕方がないことを知っていた。


 (誰か……、助けて……)

 昨日真っ先に嘔吐した渡辺は心の底からそう願った。それはつまり、誰か私が生きるために死んで、と言っているのと変わらないが、彼女は気がついていなかった。



 「……」

 誰も話さなかった。不用意に口にすれば、それはこのゲームに積極的であるとアピールすることと変わらないからだ。そうすれば、投票されるのは明白だ。緊張、恐怖、悲愴、ポーカーフェイス……、全員、違った顔をしている。


 「欠席者は本当にいなかったんだ?」

 野口が独り言のように、何となく誰かに問いかける。松葉がそれを受けて、バインダーに挟まった紙をめくる。

 「そうだね」



 「……」

 再び沈黙が訪れる。この沈黙は大半にとってはプラスにもマイナスにもならない。しかし、リーダーシップをとってグループをまとめる者、つまり、自分が思った通りにグループを動かした方が自分が生き残る可能性が高いと考える者にとっては、この膠着した状態は極めて都合が悪い。他の者がリーダーの元に集まっている理由は、そうすれば自分たちが生き残る可能性が高いと思っているから、自分たちの代弁者だからである。それが、ただ黙る何もできない無能と知れれば、立ち回りを失敗してしまえば、目立ってしまうにも関わらず、この先の守りの票が減る。


 「それじゃ……、何か全員にとって為になる話がある人はいるか?」

 機先を制したのは影山だった。ただし、この話題は投票先を決めるためのものではない。話の内容は何でもよく、要は誰と誰が繋がっているかを推察するためものものでしかない。


 水鳥は手を小さく軽やかに上げると、この場で適切と思われる答えを出した。

 「CDや本をリクエストすると、代わりに全部スマホに入るみたいですね。タブレットとヘッドホンには自動で接続して、使えるようになりましたよ」


 確かにそれはこれから生き残るうえで有益な情報だ、と多くが思う。精神を落ち着かせるものがあれば、気持ちをごまかすことができる。


 「自分の家にある物でも、同じ物を出すことができました。傷の位置が一緒でしたから」


 「部屋の壁紙を変えることもできたわ」


 「金塊は出てきたけれど、現金やその類は出なかったねぇ」


 「テレビやPCは出てきませんでした」


 「生き物も出てこないみたい」


 「食べ物は何でも出てくるな。どれもかなり美味かった」


 「服は出ないわネ」


 誰かが一言話すと、しん、と静まり返り、しばらくして、その音に耐えられなくなった誰かがまた一言話すと静まり返る。それが続いた。合いの手を入れる者がいないのは、変に障らないようにするのと、同じグループであると邪推されて投票先に選ばれうるからであろう。


 「はい、じゃあ投票の時間でーす」

 この沈黙を最後に破ったのはニニィだった。参加者の周りは暗転し、投票先についての相談が表面上は全く行われないまま、闇の中で、自分で決めたのか、予め裏で話し合っていた通りなのか、それともそれさえも表面上のことなのか、誰が誰に票を入れたのか、ともかく、全員の投票が終わった。参加者の視界が元の通りになった。


 「はーい、今日の犠牲者は青井拓斗さんに決まりました」




 ラーメン屋の店主をやっている老爺、酒瀬川喜一は安堵のあまり腰が抜けそうになったが、椅子に座っていたおかげで床に崩れ落ちるのを何とか阻止することができた。彼は、近くにいたどこか翳りのある少女が隣にいる男の袖を握っているのを目にした。それから、透明なケースに入れられた青井の姿が目に入った。


 「はい、じゃあ始めまーす」

 青井は訳が分からないといった顔をして唖然としている。がしかしすぐに、右腕のすぐ近くに平行な赤い線分が数本現れて、逃げるように体を逆の壁に押し付けると、その右袖が赤黒くにじみ出して、だんだんと赤い線分は近づいてきて、壁に張りついて、線分は右腕に食い込んで、反射的に動いた体を新たにできた何本もの線分が等間隔に切って、床に積み重なって、血飛沫が新たな線分を作って、ゆっくりと反対側の壁に消えて、青井の脳ブロックが頭蓋内腔から血のぬめりでするりと落ちた。


 酒瀬川は目の前で起こったことに頭が追い付かなかった。そして、何かからの拘束が解けたのを感じたすぐ後、1人が吐き始めたのをきっかけに、何人もが、昨日よりは少ない数だったが、吐き出した。


 「あー……。明日から名簿の名前の順番、別々にランダムにするね。みんなも部屋に戻ってね。ばいばい」

 そう言い残すとモニターは消えて、それから青井の入ったケースも床に埋まるようにして消えた。


 (ああ、なんてこと……)

 酒瀬川がその椅子から離れられずにいる間に、何人もがすでに広間から消え去っていた。彼を気にかける者はいなかった。そこに残った人数が簡単に数えられるくらいになるまで、彼はそうして椅子に乗っていた。それから、一番大事な人のことを理由に「カードキー」を使って自分の部屋へと帰っていった。



**



今日の犠牲者 青井拓斗

一番大事な人 妻


 五十音順に並べられた参加者名簿の一番上に名前があった。ニニィにアブられるまで派遣社員としてバイオ関係の会社を出入りしていた、ベテランのピペットマスター、いわゆるピペド。誰かと対立をすることもなく、自分の意見は控えめで、言われたことを黙々とこなすタイプ。奨学金で大学に通っていたため子供を育てる経済的余裕はない。彼は密かに試験の手際と正確さに自信を持って満足しているが、その作業が将来的に機械に置き換わった後のことから眼を背けているだけかもしれない。研究者としての知識成果人脈はなく、それなら今の仕事の頭脳労働を、と考えても今までと同じエキスパートが今までと同じ数程度いれば事足りるのだし、新しく雇うのはもっと勉強した人でいいわけだし。

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