第3話 選ばれるな(1)

 翌朝、柘植がスマホのアラームを切ると、まだそのスマホを置かないうちに瑞葉から入室申請が届いた。


 (まさか……)

 柘植は身を固くして部屋の隅に目だけを向ける。ぐるりと一周したところで、柘植は、瑞葉が独りで物を呼び出せないことを思い出した。前の日に実験に使った盗聴器や盗撮カメラは全て柘植が回収して消去していた。偶然だろうと思うことにした柘植は瑞葉に『30分後にして』と返事をして、すぐに返って来た返信を見てから前日に入りそびれていた風呂へと向かった。


 そこはごくありふれたサイズよりも二回りほど大きく、浴槽は足を伸ばして首まで漬かることができ、どこの会社のものかもわからないアメニティグッズが複数置かれている高級な浴室であり、「お湯」と書かれたボタンを押せば一瞬のうちにバスタブに湯がたまり、その栓を抜けば一瞬で乾燥して使用前の状態に戻る、大変にありがたい、しかし、不自然な場所である。柘植は前日に確認していたため、その不自然さを受け入れる余地ができていた。そして、使っているうちに、そこにあるどれもが極上品であるということを何も考えずとも気付かされた。


 柘植が風呂から上がりペレットを飲み込んでから瑞葉を呼ぶと、昨日よりも身なりを整えた彼女が嬉しそうに現れた。背中の中ほどまでの長い髪は多少なりとも毛先が揃っているし、爪もきれいに削られて、肌の艶も出てきて、ようやく地の姿が現れたようである。服は新しい清潔なものになっていたが、サイズだけはどうしようもなかったらしく、腕まくりをして、予め用意されていたベルトとサスペンダーで折って吊るして、それらしく丈を合わせている。靴下もそれらしく折り返して、靴はストラップシューズのように見えて、その胸元には昨日柘植が取り出したハーモニカが下がっている。


 『似合っていますか』

 瑞葉が予め書いてきたであろうメモを柘植に見せる。


 「ああ、うん。可愛いよ」

 柘植が無難な言葉をかけると瑞葉は嬉しそうにその場をくるくると回り、姿見を通り過ぎて、前の日に使っていたテーブルの元へと行き、そこで柘植の方を再び見た。


 「そうだな。その前に、ニニィに聞いてみようか」

 柘植は「ににぅらぐ」を起動して、「どうぞ」と後ろ手を組んでいるニニィの絵を確認してから『音声入力以外の物の出し方』と入力した。


 『ににぉろふの入力画面でスマホを横向きにして、下画面を上にスワイプしてね。キーボードが出てくるよ』

 簡単な操作だったことに柘植は意表を突かれた。瑞葉が試しに行うと、説明通りキーボードが現れた。瑞葉は「ににぉろふ」を閉じると柘植に向き直った。


 「ちょっと待ってくれないか、すでにされた質問のバックログだ」


 『死んだ人の一番大切な人はどうやって死ぬの?』

 『とっても苦しい死に方だよ』


 『このゲームが終わったら記憶は残るの?』

 『ゲーム中の記憶は残るよ。でも、参加者の事はお互いが覚えていたいと思わないと忘れちゃうよ』


 『ニニィって誰?』

 『ニニィはニニィだよ』


 「つまり、このゲームに関しての質問は全て共有されている」

 柘植は瑞葉に自分が思ったことを説明する。それは同時に、瑞葉を通して自分にも説明しているわけである。

 「だから、迂闊な質問はできない。瑞葉、使わないでとは言えないけれども気を付けるんだ」


 『つげさんがいいと言うまで使いません』

 メモ帳に書かれた文字は柘植をわずかに安心させた。何しろ、瑞葉が窮地に立てば、それは柘植が窮地に立ったのと同じだからだ。そして、その言葉の分、自分の責任は重大であると感じるようになっていた。


 「それじゃ、まず、瑞葉の「7SUP」を見せてくれないか。集団になろうとする人たちからメッセージが来ているはずだ。私のと合わせてみて、返事をどう返すか考えよう」





 笠原は朝食のご飯とみそ汁、それから青菜のお浸し、漬物を食べ終えて、熱いお茶を飲みながらスマホを見ていた。


 (そうか……、この子もか……)

 彼の元には自分と一緒に残ることを断る、丁寧な返事が返って来たばかりであった。彼の想像ではもう少し頼りにされると思っていた。


 「中学校の校長でも、か……」

 笠原の独り言の通り、彼は自分の素性を明かして、長年の経験で培った他人に分かりやすく説明する力を発揮して、メッセージを送ったはずだった。しかし、それでも、好意的な返事は見た目と服装から高校生以下だろうと分かる参加者の半数を下回っていた。


 『ごめんなさい……。水鳥さんが一緒にがんばろう、助けてくれるって言ってくれました』


 返事が来ているだけありがたいと思うべきだ、と笠原は思った。何せ返事が戻ってこないものもあるのだ。

 (それに……)

 笠原がスマホをタップする。


 「すみませんっ、遅くなりました……」

 そこに地味目な私服の二瓶有子が現れた。


 「ああ、大丈夫です。よく来てくれました。……長岡くんは、どうしています?」

 笠原は二瓶が面倒を見ていた小学生、長岡陸のことを気にかける。彼に笠原がメッセージを送ったとき、彼は草野の死を目の当たりにしたことでパニックになって、自分の部屋で動けなくなっていた。その面倒を見ていたのが一緒に部屋に入った二瓶であった。


 「泣き疲れて寝ちゃいました。起きたら連絡をくれるようにメモを残してきたんですけど、一回出たら入れなくなっちゃっていて……」


 「そうですか……。このスマホは私たちが知りえない技術でできているようですから……、彼が起きて出てくるまでは何もしてあげられないですね……」

 笠原がスマホの上部をつまみ、両面を交互に見ながら自嘲気味に呟いた。

 「それで……、二瓶さん、本当に良いのですか? 私たちと一緒で?」

 笠原の視線が真っすぐと、貫くように二瓶を捉える。二瓶は、たじろぎも、ためらいもせず、はっきりと、こう答えた。


 「はい」


 それから二瓶はその言葉だけでは不十分だったのかと何か早とちりをして、理由を話し始めた。

 「あの、私教員志望なんです、あっ、今は大学3年で、もともと困っている子供を見ると放っておけなくて、中学生のときにすごくいい先生に助けてもらって、それでその先生みたいになりたくて……」

 他に何を話せばと二瓶は考えて、言葉が上手く出てこなかった。彼女が笠原を不安そうに見ると、彼は似合わない、しかし本心からそうしていることが分かる笑顔を見せた。


 「ありがとう。ありがとうございます、二瓶さん」

 「頼りにしています。こんなゲーム……、やってはなりません、本当は。しかし、皆、生きたい、大切な人を死なせたくない……、それなら、私は子供たちを優先したい。綺麗事じゃない、自分が生きるのに、利用するも同じです。それでも、一緒になってやってくれるなら、全力で守りたいのです」


 「私も、そう思います」

 二瓶も笠原のこの偽りのない言葉に同意であった。同時に、彼女は自分もこういう先生になりたいと思った。


 「それで、今、私が連絡を取れた限りだと、私たちは全員で14人。小学4年生から高校2年生までと私たちです。これからみんなを集めて改めて説明するつもりです。返事が来ないのはもう別の人といることにしたからでしょう」


 「確かに、14だから、12人……。もっといましたから、そうですね……。全員じゃないんですね」


 「はい。残りの男子はどうも野口くんのところに、女子はほとんどが水鳥さんのところにいるようですね。……だからと言って、守らなくて良いとは思いません。ただ――」

 笠原は自分に強く言い聞かせた。

 「優先順位は付けなくてはなりません」

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