第2話 選べ(3)
時田直之は自分の部屋で畚野康介、中川政人と一緒になって缶ビールを飲みながら、それまでの出来事を話していた。彼らは日頃から外で働いている身、ブロックを動かしていたときにその身のこなし、風貌、言葉遣い、何よりも全員作業服姿であることからお互いが同類だと分かり、時田が2人を誘ったのであった。
「やっぱこれウマいっすね!」
普段発泡酒か強い系のチューハイしか飲まない時田たちにとって、例え不自然な現れ方をするものであっても、コンビニでいつも見ている物とは別物でも、何であれアルコールは疲れた体に素早く滲みこんでいった。酔いは、彼らがつい先ほどまで感じていたわずかな恐怖を簡単に溶かしてしまった。
「だよな! こっちのも美味えよ」
畚野の言葉に賛成した中川はちょうど電子レンジから焼鳥を取り出すと、油汚れの滲み付いた指で1本取って、黄ばんだ歯で咥えて、それから空き缶や汚れた皿が散らかっているテーブルの上まで持っていった。
「これ、普通にいるよりヨくない? あ、灰皿」
時田がそう言うと畚野がさっと彼の近くに灰皿を寄せた。時田は太い指でグリッと煙草を押し付けて、ビールを飲み始めた。
「あれだよな! 種類選べないのはあれだけど、その煙草も美味えし」
中川が食べかけの焼鳥の串を時田の方に向けながら同意する。一般的には無礼なこの行為も彼らの間では取るに足りないことだ。
「いやマジで。後は服選べんのがなぁ。ずっとこれだし」
時田が自分の着ている作業服の社名を鬱陶しそうにかきむしった。彼は日頃から会社や会社のホワイトカラーをそうやってけなしてはもっともらしいことを言って、現場で支持を得て、上手くフラストレーションの行き場をコントロールしていた。そうして、たまの会議に出ては借りてきた猫のようにおとなしくなり、それでもその後で、そこにいた誰かの失敗を語っては喝采を浴びていた。
「で、これからどうするよ? 結局、人数が多ければ勝ち残るんだろ?」
中川がアルコールの勢いで気が大きくなったところで、集まった本当の目的について口にした。時田は飲みかけの缶ビールを飲み干すと、缶を手でシンプルに潰し、近くに置いてあったビニール袋に放り投げた。
「だな! 誰か誘おうぜ」
時田がスマホの「7SUP」を立ち上げて、早速メッセージを送ろうとしたところで、手が止まる。
「これ宛先1人ずつしか設定できないのかよ! 使えねえな。めんどいし、明日にすっか」
*
笠原義忠は中学校の校長である。滅私奉公を己の信念として、実直に生きている。そんな彼からすればこのゲームは全くもって理解しがたい。だが、無抵抗は簡潔に死、である。彼は自分の部屋で自宅にあるのと同じ水墨画――どこで買ったのかも覚えていない、ともすると貰い物だったかもしれないもので、審美眼のある者には無価値と切り捨てられる有象無象の作品だが、彼はそれを気に入っている。自分の身の丈に合うからだ――を前に、あぐらをかいて思考していた。
(俺は、どうすればいい? ここには子供たちもそれなりにいる。だから……、違う!)
彼は長年の経験で滲み付いた思考を振り払う。
(それは、違う……。俺だ。俺だけなら、どうだ? 俺の1票が直接人を殺すわけではない。しかし、1票差で決まったら? それは分からない。だが、どうあれ、俺は他人の命よりも自分たち、そう、自分たち、だ。その方が大事なのだ。それは、事実だ。それは人の前に立つ身としてふさわしくなかろうか? だが、事実だ)
滝の流れは黒々と滝壺へ注がれている。岸壁から迫り出す松の木の葉の先は鋭く空を突き刺している。
(俺はそれを受け入れる。できてしまう。だが、子供たちにはどうだ? ボタンを押すことは……できたのだろう、か。その重さが彼らの、生き残った後の人生にどうのしかかる? 草野さんは、自分から志願した。明日からはそうでない。俺は彼らにどう……、どう向き合って行けばいい?)
急峻な岩肌は荒々しく、むき出しているが、暴風暴雨があれば崩れそうな傷が付いている。それは偶然何かの折に付けたものであるが、すでに画の一部として定着している。
笠原はそうやって何分も画の前で思考し、そうして雲がかったその麓を覗こうとしていることに気付いたとき、彼は立ち上がった。
(まとまらざるを得ない)
スマホをポケットから取り出そうとする手が止まる。
(……その考えが、言い訳だ。俺は、自分たちが生き残るためにまとまる。子供たちをまとめる。そうして、彼らに、何をさせる? 自分たちだけが助かるなど言語道断……なのか? 一緒になった子供たちも助からなければならない)
笠原は立ち上がったまま壁の一部をぼうっと眺めていた。水墨画は目に入っていない。
(どう……させる? 1人1人に別の人物に、票の集まらなさそうな人物に入れるように指示すれば、直接手にかけた責を負わせることはなくなるだろうか。……ただの逃げじゃないか。俺が綺麗であるように見せたいだけじゃないか。俺と、子供たちの死ぬ確率を高めるだけだ。それならば――)
(全ての罪は私がかぶろう)
笠原は長い間握りしめていたスマホをポケットから出し、老眼鏡をかけると、まず、見るからに幼くみえた渡辺百夢を宛先に選び、すでに脳内でとっくに出来上がっていた文章を打ち始めた。
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