第2話 選べ(2)

 丸橋明莉は部屋の隅に体育座りをして、電気も点けずにただただ恐怖で泣き怯えていた。彼女は自分から友達に言うくらいにごく普通の中学生である。このゲームと草野の死をすぐに受け入れることができないのは当然だろう。


 (あれ?)

 丸橋は涙の止まらない目の端に滲んだ青白い光が映っていることに気がついた。スマホの通知ランプだ。震える手でそれを取ると、「7SUP」の右上に「1」と表示されていた。丸橋は誰から連絡が来たのか見当もついていなかったが、おそるおそるそれをタップした。


 『急にごめんね。水鳥究です。今日は驚くことばかりだったけれど、大丈夫?』


 「えっ! えええっ!」

 丸橋は驚きのあまり今まで怯えていたことも忘れかけて、そのメッセージを二度見した。丸橋が投票箱を開いて名簿を調べると、件の水鳥の名前があった。端正な顔写真付きで。


 (水っ、水鳥究ってあのテレビに出ているあれだよね? なんで? いたの? どうしよう、返事、返事しなきゃ)

 丸橋は同世代なら知らない人はいない、憧れの水鳥への返事をテンパりつつも完成させると、震える手で送信ボタンを押した。

 『はい! もしかしてあのサバイバルP.Iに出てた、俳優の水島さんですよね?』


 丸橋の恐怖は、薄情のようだが薄らいでいた。見ず知らずの老爺の死よりも、水鳥とのやり取りや自分の今後の方に意識が傾いていた。ようやく空腹を思い出した丸橋はペレットをほんの少しかじって味を確かめると、残りを口に入れた。それから冷蔵庫のドアを開けて、ペットボトルを取り出したところでスマホの方から鈍い振動音が響いた。


 (わっ、もう返ってきた!)

 ちょうどふたを開けていた丸橋はそれを落としそうになるも、何とかそれを掴み、それから一気に飲み干して、ケホケホとむせてから、スマホに手を伸ばす。


 『そうだよ。日高霞役の水鳥です。大丈夫なんだね。よかった』

 『サバイバルP.Iは好き?』


 丸橋はこのアプリにスタンプも絵文字もないことに、それに通話機能もないことに、本当に気持ちが伝わっているのかと不安と少しの不満を抱きながら、しかし水鳥を待たせてはならないと急いで返事を入力した。

 『はい! 大好きです!!!』


 『良かった。僕も大好きなんだ。それでね、お願いがあるんだけど、いいかな?』

 丸橋は自分のメッセージがどうやら水鳥に好印象をもたらしたということに喜び、更には頼みごとをされたせいで舞い上がり、『何ですか???』とメッセージを送ると、その勢いのままベッドに飛び込んだ。


 (お願い……お願い。何だろう?)

 丸橋はスマホを握ったまま、画面から目を離さない。返事はすぐに帰ってきた。


 『一緒に生き残るのに僕と協力してほしいんだ』

 僕と一緒、という言葉に丸橋は自分と水鳥が手を取り合って地下から脱出している姿を想像する。彼女の頬は赤くなっているが、本人は分かっていない。


 『そんな方法があるんですか?』

 丸橋は水鳥に感心しつつ、その方法は何だろうかと少し頭をひねったが、分からなかった。水鳥に感心しきりで真剣に考えようとしていないだけだった。彼女の中ではすでに水鳥が何でもできる白馬の王子様に加工されている。


 『うん。数人で協力するんだ』

 丸橋はその言葉にがっかりしたが、次のメッセージを見て心臓が飛び出しそうになったように感じた。本当にそう感じることにも驚いた。

 『詳しいことは僕の部屋で話したいんだけれど、来てくれない?』


 (え? 部屋? どうしよ? 制服しかない……。臭くないかな?)


 「しょ、消臭剤! じゃなかった消臭スプレー!」

 テンパりながらも丸橋がスマホに向かって声をかけると、一瞬のうちにテーブルの上に消臭スプレーが現れた。

 (これで、大丈夫、かな……?)


 まあ、丸橋はこの後水鳥の部屋で自分と同じようなことを考えている人たちに遭遇して、再びがっかりするのは容易に想像できるが、彼女はまだそのことに気づいていなかった。





 「こいつもしつこいですね」

 Tシャツに雑貨屋のエプロンを着た女性、妹尾律子は同じ部屋にいる文学部史学科の男性、東利晶に自分のスマホの画面を見せると、早速返信を打ち始めた。東はどう返事をしたものかと迷い少し間を空けるも、当たり障りのないコメントをどうにかして答えた。

 「それだけみんな必死なんだと思います。僕たちと同じだと思います」

 東は水を一口飲んだ。それから、うんざりした顔の妹尾に何か慰めの言葉をと思い、さらに間を空けてから口を開いた。

 「それに、彼から連絡が来たということは若いということですよ」


 彼らがいる部屋はすでに柘植の、つまりデフォルトの内装と異なっていた。作業机とキャスター付きのオフィスチェアがいくつも並べられており、壁の1つの面にはホワイトボードがある。そこには印刷したルールが貼り出されており、その横にはマーカーで注釈書きがなされている。Ave = 3n*1.45/2, n ∈ Odd ⇒ μl = (3n-1)/2, μu = (3n-1)*1.9/2-1 ――直感通り、倍率があっても基本は人数――2グループ間が対立する場合、票を入れられる人の倍率は関係ない――その日に決まりそうな人に入れる、あるいは無関係な誰かに――。


 ブレザーを着た容姿の整った女子、関口里奈は灰色のレディーススーツを着た女性、竹島喜乃と共に、いくつもある白のポーンに竹島が打ち出したネームラベルを貼りつけていた。

 「やっぱりモノがあると分かりやすいんですか? スマホで表示するんじゃなくて」

 関口が「七里創」と書かれたラベルをポーンへ念入りに貼りつけながら竹島に尋ねた。自分より年上なら知っているだろうといった漠然とした問いかけだったが、竹島は少し考えた上で、自分の推測できる範囲で答えた。

 「そうだと思うよ。見た目も大事だけれども、触った感触なんかも脳に刺激を与えるし」

 竹島も確信は持っていない。何しろこれをするように頼んだのは彼女よりも頭の切れる人間だ。そして、彼女は曖昧な理解で無責任な伝言ゲームをするような性格ではなかった。

 「あ、なるほど。ありがとうございます」

 関口は本当に知りたくて尋ねたわけではなかったし、知らないと答えが返ってきても何も不満はなかった。それでも、それらしい答えが返ってきたことには多少の感嘆を覚えた。

 「それに、これを作ったから分かったこともあったよね」


 「確かにそうですね」


 会話は一旦途切れて、その部屋にいる人たちは面々の作業を黙って行っていた。関口は竹島ともう少し会話を続けて親しくなろうと、「白川彩々」と書かれたラベルをポーンに貼りながら声をこぼした。


 「でも、影山さんが誘ってくれなかったら、私、怖くて。ほんと、どうにかなりそうでした」

 影山と関口はあのとき偶然近くにいた。影山にとって、それが誘った理由だった。独力では先手を打つことができないと判断して、近くにいる中でもっとも適切と思われる人物に声をかけただけだった。

 「私もだよ。関口さんと影山さんが声をかけてくれなかったら、多分、あっちに行っていたと思う」

 竹島は微笑みながら関口たちに感謝の言葉を伝えた。彼女は自分から言おうと思っていたが、中々切り出すタイミングがなかった。その話をするきっかけを作ってくれた関口をいい子だと思った。


 横で聞いていた影山も少しだけ照れくさそうな、渋そうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻り、説明をするように声を漏らした。

 「まあ、どの道いつかやることですから。早い方が生き残り易いでしょう?」


 「そう、いつ選択するかの話です。U.Nオーエンがこの中にいないようにやることをやりましょう」

 君島が軽く言葉遊びを交えて同意して、濃い青のネクタイを肩にかけた。



 「こっちもまたですよ」

 妹尾が再び東に自分のスマホの画面を見せて、鬱陶しそうに返信を打ち出した。

 「まあ、みんな死にたくないと思います。あー……」

 東も先ほど同様にフォローをしようとして、言葉が詰まった。

 「彼女から連絡が来たってことは、老けてるってことですか?」

 先の言葉を模倣したその続きを妹尾は笑いながら冗談っぽく言ったが、その眉は少し吊り上がっていた。

 (それに、後から誘われた方は先に切り捨てられるじゃない?)

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