第2話 選べ(1)

 柘植は咄嗟に瑞葉の腕を掴むと「カードキー」を使った。視界がほんの一瞬暗転すると、そこは野口が言っていた通りの部屋だった。隣には瑞葉が、柘植の直感通り、腕を掴まれたまま楽しそうに付いてきている。入り口からすぐに高級そうなダイニングキッチンがあって、他に部屋が2つと――。


 (待て……、それは後でいい! 何故だ? 私が何をした?)

 柘植に思い当たる節はない。人間なら誰もがするように、子供に対して親切にしただけなのだから。


 「瑞葉ちゃん、……本当?」

 柘植は何かの冗談であること――欲を言えばこの状況、草野が死んだことも含めて――を期待して、ニコニコしている瑞葉に問い尋ねた。瑞葉は柘植の問いかけに幸福な反応をして頷いた。

 「誰にも……、言っていないよね?」

 再び瑞葉は頷いた。


 (どうする? 瑞葉が死ねば私も死ぬ! 気付かれたら、どうだ? 一度に2人なら、狙った方が得になる……。 明かしてはならない!)

 柘植は備え付けの椅子に腰かけ、思考を巡らせる。対面に瑞葉が座った。その顔は、何を考えているのか分からない。ごく自然な子供の顔だ。すでに柘植の頭の中では草野の死に様が衝撃的なものから客観的なただの事実へと切り替わっている。


 (待て……。逆に、瑞葉がすぐに他人に依存すると説明すれば、私が死んだら次は誰かになると脅すこともできるのではないか? そうすれば、私を狙うリスクが付く。どうだ? だめだ、厳しい、それでも3人、いや瑞葉の2番目に大事な人がこの会場にいなかったら2人、減らすことができる。確率的には得になる。それでも、万が一を考えたら人はそう簡単に決心できないのではないか? 票数に関係なく、貫通する死だ……。だめだ……。ブラフをかけて生き延びるにはリスクが高すぎる……)


 『大丈夫です』

 瑞葉は笑顔を浮かべて柘植にメモ帳を見せた。


 (何がだ……?)


 『つげさんが死んだらすぐに私も死にます』


 「それは……」

 柘植は反射的に椅子を引きそうになったが、無意識のうちに足を止めていた。つまりこの少女が言っているのは、自らの意思である。柘植にはこの少女がここまでする意味の深さを分かろうとすることができなかった。


 (それだと……、誰もが瑞葉の対象になるには時間が足りない! 説得? 無理だ! いや、瑞葉に言わないように強要……、命を握られているから……、そう、頼めば……、自分が死んだ後は好きにしていいと、いや違う! 何にしてもリスクは変わらない! あの人を巻き込むわけにはいかない!)

 柘植は決めた。


 「瑞葉」

 敢えて呼び捨てにする。瑞葉は大きく目を広げてから、心地よさそうな顔をして、次の言葉を待っている。

 「組もう。2人で生き残ろう」

 瑞葉は強く頷いた。


 誰か会話をする相手がいることは、例え自分の考えを反芻するだけの存在でも、正気を保ち、狂った考えの底なし沼にはまらず、冷静に自分を見ることを可能とする。命を懸けたこのゲームを有利に生き残るためには重要なことだ。図らずとも柘植たちはその重要な契約を、柘植にとっては不可抗力であったが、手に入れた。


 「瑞葉、まず私がこのゲームをどう解釈したか、聞いてくれないか」

 瑞葉は嬉しそうに足をパタパタとさせながら柘植の顔を見ている。柘植はそれを了承したと理解した。


 「まず、大事なのは票を入れられないことだ」

 柘植は立ち上がると無意識にごく狭い範囲を歩き始めた。

 「そのためには、つまり……」

 柘植が瑞葉を見る。その意図をすぐに理解した瑞葉はメモ帳を開いた。柘植はうつむいた瑞葉のつむじを見つめる。

 (泣き喚いて現実逃避をしないのは助かる。それに、このゲームについての理解も――)

 『私たちに票を入れそうな人を減らすこと』

 (早い)


 「そうだ。そして、人の思考を変えるのはまず難しい。私たちは話が得意ではない。劇的な何かに期待しても、今の状況の方がよっぽど劇的だから、そう上回る物はないだろう。こういう時、人は元々持っている考えに固執する。変化を恐れる」

 だから、と柘植が続けようとする言葉を瑞葉は心を覗き込んでいたかのように書いていた。

 『だから、死なせる』


 「そうだ」

 自分が生き残るために、一番大事な人が生きるために、他の者を死なせる。それは、このゲームにおいては不可避だ。いや、元々、世界はそうだ。競争だ。自分と自分にとって有益である人物が、得をするように、究極的に言えば生きるために、それ以外がそうならないようにする。むしろ、公平で平等なルールが明示されているこのゲームの方が、その点においては道徳的だ。


 「まず、参加者だ。ニニィはランダムで集められたと言っていたが、それはまず違う。なぜなら――」





 同時刻、吉野和枝は醜い顔に刻まれた皺を歪ませながら、老眼鏡越しにこのゲームのルールを読んでいた。

 (倍率がランダムになるって言ってもねえ、結局は多数決でしょ。だから手数は増やしたいのよ。でも――)

 吉野はすでにこのゲームを生き抜くことに乗り気であった。元来の性質と自信がそうさせていた。

 (8割が揃わなかったらゲームオーバー……、つまり終わりねぇ)

 吉野はペレットを1つ肥えた腹に放り込むと、ごつい宝石の付いた指でコップを掴み、水を飲み干した。


 (参加者はもう99人。20人以上のグループは、だめねぇ、開き直ってみんな引きこもったら死んじゃう。そりゃ、裏切って代わりに助けて、なんてできるけれど、他の人の処分が終わったら、生き残れるとは思えないのよ)

 吉野はすでに自分は生き残るという驕心――無論誰もが持っているものだが、この老婆の場合は群を抜いている――を基に思考している。

 (19……、18人、それで固まって投票するのが安全ね。操作は、他に任せて失敗するより、自分でした方がいいね。少し目立つけれど、その分守りの票を入れさせればいいでしょ)


 「さて、と……」

 吉野はルールブックを閉じると、「7SUP」を開いた。

 「やっぱりあんまり考えなくて、固まるのが好き、それであたしの言うことを聞きそうなのは――」

 すでに登録されている名前の一覧とプロフィール写真を見ながら吉野はふと頭を掻いて思った。

 (身分で票数を変えてほしいものだけどねぇ)

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