第1話 選ぶな(3)

 ニニィの言うことが本当なら100名だが、それだけの人数が急にまとまるはずがなかった。あと30分くらいと言われたとて何も、心さえも準備ができていない状態である。幾人かが「ににぅらぐ」を起動して質問をしようとしたが、「お休み中です。ごめんね」とニニィの絵付きで表示されるだけであった。柘植は、次に起こるのは集団パニックと予想していた。しかし――。


 「聞いてくれ! 俺は警視庁捜査第一課の影山だ!」

 そう名乗る男の声が会場に響いた。30代前半だろうか、短髪のスーツ姿で、その目には鋭さよりも燃えるような勢いを宿している。


 この異常事態で警察がどれほど役に立つだろうか。ともかくしかし、銘々が整理の付かない思考の中で動き出すよりも、例え漠然とした中であっても、これから何をするかある程度の舵を取る者が現れたことは意味があった。


 「落ち着いてくれ! 何かタチの悪い奴の仕業かもしれない! 手分けして出口を探すんだ! 怪我人は……いないな! よし! 力のある人はこのブロックを動かしてくれ! 他は壁や床を調べてくれ! 奥に何かあるかもしれない!」

 影山は反論がないことを一拍おいて確認してから、早速手近にいたスーツ姿の男性に声をかけて一緒にブロックを持ち上げ始めた。


 柘植もそれに倣って目の前にあったブロックを持ち上げようとしたが、未だに瑞葉がジャケットの端を握っていることに気が付いた。柘植が体の向きを変えると自然とその手は離れ、瑞葉は一瞬寂しそうな顔をしたが、柘植が頭を撫でると満足感の満ちたものに変わった。

 「じゃあ私は力仕事をするから、瑞葉ちゃんも頑張ってね」

 柘植の言葉に瑞葉は頷くと、近くの壁の方へたどたどしく駆けていった。柘植はその背中をわずかに見送ってから手近にあるブロックの方へ向かった。



 自分たちの中に警察がいる、その警察が動いている、そのことは多くの人に安心感を与えた。影山の言葉に従っていた人の殆どは本当に脱出できると思っていた。脳裏をよぎった大切な人の顔は何かの偶然か、催眠か、そう思い込んで事実をごまかしていた。

 (ドッキリにしては手が込んでいるよな……)

 水鳥究は年末番組なら尺はどれくらいあるだろうかと考えていた。


 (これ、Y○utubeで配信したら相当盛り上がる……!)

 若林光男は儲けになる絶好のネタだと内心喜んでいた。


 すでにこのゲームが逃れようのないものと確信している者も同じことをしていたのは、何かすることがあれば「透明な殺人鬼ゲーム」などという物騒な遊戯から気を逸らすことができるからであった。意識していない限り、手を動かしていれば頭は十分に働かないものだ。

 (なんで? なんで私が?)

 北舛優香は嘆きながらもどこか人任せに壁を叩いていた。


 (退屈な日常が……、変わった……!)

 野口颯真は必死で平静を装っていたが、自分にも分からない心のどこかで高揚を感じていた。


 無論、すでに影山を煙たく思う者もいた。権力への反抗心か、自分よりも地位の低い者の指示に従うことが気に食わないか、あるいは単に自分よりも年下だからという理由だけで言うことを聞きたくないのか、しかし、彼らも手を動かして形だけは従事していた。輪を乱せば、もしこのゲームが本物ならば、狙われるのは明白だからだ。それでも粘りついた横柄な自尊心は彼らの動きを抑制していた。他人の命は当然のこと、自分の命がかかっているかもしれないということよりも重要なのだろう。


 そうして、その空間に集められた者たちが、ありもしない脱出の手がかりを見つけるのに無駄に時間を費やすこと20分、部屋が途端に薄暗くなり、再びモニターが現れた。


 「はい、じゃあみんな揃ったところで、『透明な殺人鬼ゲーム』、1日目の始まりでーす。ルール通り、10分後に投票が始まりまーす。よーい、スタート!」

 ニニィがそう言い残すとモニターは消えた。部屋は薄暗いままだった。





 何をどうするのか、一切の説明はなかった。幾人かが「ににぅらぐ」を起動するも、先ほどと同じ画面が出るだけだった。何人かはブロックに座りルールブックを読み始めている。要するにルールの範囲内で自由に――。


 「やるしかないのか……」

 君島浩樹は自分にだけ聞こえるように呟いた。


 問題は、誰に票を入れるのかということだ。見知らぬ者同士、信頼関係などない。ここまでで関わった者同士の間に弱いつながりがあるくらいだ。およそ100名は黙り込んでいた。先に発言をして、それが総意にそぐわなかったら、票が集まる。つまり、死ぬ。信用を勝ち得てマイナスの票を得る自信があるなら、先手を切るのは得策だ。しかしそれはこのゲームに積極的であること、つまり誰かを殺す意思があることを示すことと同義だ。そうすれば狙われる。しかし結局やることには変わりはない。


 「どうやって……」

 日高悠真はどうすることもできなかった。大人が考えても正解が分からないのに、正解がある問題に答え通りに答えるのが仕事の小学生にはどうすることもできなかった。


 沈黙を打ち破ったのは影山の一声だった。

 「やるしか、ない。誰に入れるのかは……」

 しかしその続きを言うことはできなかった。


 痛いほどの沈黙が流れていた。


 「えっと、くじで決めるのはどうでしょうか?」

 仁多見香織はおずおずと手を挙げながら口に出した。しかしその内には自信を持っていた。彼女は職場で「無能な働き者」と揶揄されているように、考えなしに行動しては他人の足を引っ張るのが仕事だった。本人は辛うじて薄々だけ自覚していたが、それでも省みることはなかった。今回も例に漏れず口に出した。

 「……」

 殆どが仁多見に無言の殺気を飛ばした。誰もが生き残りたい。そのために自分のアドバンテージを活かして、少しでも生き残る確率を上げたい。弁論、財産、容姿、あるいは弱者恫喝……。それらを全て無視し、さらに生死をくじで決めるというあまりにも軽々しい言葉には怒りを覚えて当然であった。仁多見は流石に気がついたようでそれ以上何も言わなかった。


 「こういうのはどうでしょう。まず全員、自分に点の入る票を入れるんです。それから、守りたい人に入れていけば、仮に死んでしまうことになっても、それは自分の票になりますよね」

 藤田純が職場で培った責任の所在をうやむやにしてなあなあにするごまかしを放つと、加藤育夫は藤田の身なりに嫌悪の眼差しを向けながら、

 「お前さあ、みんなが自分に入れんと思ってんの?」

 と切り捨てた。藤田は自分よりも明らかに地位の低い加藤の反対に隠しきれない不快感を抱いたが、何分的を射ていたから、黙った。黙らざるを得ないことが余計に不快感に拍車を掛けた。


 この2つをきっかけに、それぞれが持論を口にし始めた。いかに自分が生き残るのに有利なルールが通るように、あるいは善人の振りをして狙われないように。


 「ジジイババアが死ねよ。年金めっちゃもらってんだし」

 「子供と女子は助かるべきでしょ」

 「専門職は残した方が良いかもしれない。この先何があるかわからない」

 「やっぱりこんなの良くないよ」


 黙っている者もいた。どうすればいいのか分からない者もいれば、目立つのを避けて話さない者もいた。


 (どうすればいいんだ?)

 (助けて……)

 (誰に付くのがいい?)


 まとまらなかった。どのみち時間になれば投票は始まるが、しかし、そのざわめきはある位置から静まった。それが隣に伝播して、全員が黙ったところで、その中心にいた老人は再び同じ台詞を口に出した。


 「俺に入れてくれ」

 その老人、草野一は諦観した顔であった。


 誰も止めなかった。先ほどまで聖人ぶった言葉を繰り返していた者でさえも止めなかった。理由は簡単で、このままならば、残りはひとまず生き残ることができるからだ。仮に止めたとして、それなら誰が、の問いに答えることはできるはずがない。そうなれば、それならお前を、になるのは明白だ。


 「はーい、じゃあ、投票の時間になりました」

 そうして、ニニィの声が聞こえると同時に参加者の周りが暗転した。自分の持っているスマホ以外、誰にも何も見えも聞こえもしない闇の中、誰が誰に票を入れたのか、ともかく、全員の投票が終わった。途端に参加者の視界は明転し、それぞれが元いた場所に元の通りに戻っていた。


 「はい、今日の犠牲者は草野一さんに決まりました」

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