第5話疑問と当惑

「俺は黒蓮寺の人間だし、黒蓮寺思念は師匠だけど、なんか用があるのか? その……」

「何か、不都合でもあるのか?」


 不都合というわけではないが、見知らぬ外国人の女性を寺に案内するのは、少しだけ抵抗があった。せめて目的が分かれば納得も行くのだが。

 俺は「一体、どんな用で師匠に会う気だ?」と説明を求めた。


「寺の関係者なら『メイス』の名を知っているか?」

「メイス……? なんだそりゃ、英語か何かか?」

「ふむ。日本語で言えば『撲滅教会』と言うのだが」


 燃えるような赤髪をかき上げながら、多分、当人にしてみればこれ以上にない端的な説明だと思うが、俺からしてみれば何もピンとこない。


「黒蓮寺殿。さっきから何を話しているのですかな?」

「ナンパなら別の日にしてよ」


 進藤と秋草が俺の背中近くまで来ていた。

 俺は「この人、黒蓮寺まで行きたいんだって」と言う。


「師匠に用があるらしい」

「へえ、珍しいね。仏教関係者じゃなくて、しかも外国人のお客さんなんて」

「秋草殿もそうではありませんか。それなら一緒に行きましょうぞ」


 進藤が話を進め出した。このまま彼女を黒蓮寺に連れていくつもりだ。

 俺は顔をしかめて「素性も分からない人を案内するわけにはいかない」と苦言を呈した。


「せめて、師匠との関係を言ってくれよ。それから名前も教えてくれないと」

「顔のわりに細かいのだな」

「えっ? なんでディスられたんだ俺……」


 女は当たり前のことを聞いた俺を小心者と思っているらしい。

 それから腕組みをして考え始めた。


「ふむ。メイスを知らないのなら、言えることはないな」

「はあ? 訳が分からねえ。一体全体――」

「しかし、言えるとすれば思念は私の先輩に当たる人だ」


 先輩? 師匠の? 女は仏教徒には見えないが……

 進藤と秋草も頭の中がクエスチョンマークで一杯になっている。


「先輩ねえ……師匠は三十七才だぜ?」

「面識はない。世代的にもかなり離れている。OBと在学生という言い方が適当だろう」

「高校か大学みたいな言い方だなあ」

「とにかく、思念に会いたいんだ。そのためにはるばるアメリカから来たんだよ」


 すげえ遠くから来たのは驚きだけど、師匠がアメリカ人とどう関係があるのか、話を聞くにつれて疑問が湧いてくる。


「とりあえず、思念さんに会わせてはいかがですかな? 黒蓮寺殿」

「……そうだな。よく分からなくなっちまったが、それが手っ取り早いな」


 俺は「すぐ近くなんだ」と言って進藤と秋草から買い物袋を受け取り、黒蓮寺に向けて歩き始めた。女は素直に後をついて来た。


「ありがとう……それにしても、日本は道がごちゃごちゃしていて、分かりづらいな」

「アメリカは違うのか?」

「私の住んでいるところは、各ブロックに区切られているから、分かりやすいんだ」


 俺は去年の修学旅行で行った京都の碁盤状の街並みを思い出した。でもあれはあれできちんと整頓されていて落ち着かなかったな。


「ところで、あなたのお名前はなんだい?」


 秋草がさりげなく女の名を訊ねた。一番気になっていたことなので、俺は女のほうを向く。しっかり聞かねば。


「私は――」


 そのとき、柔らかな風が吹き、女の赤髪を撫でた。

 髪を整えて、何の感情も込めずに言う。


「エルマ。エルマ・タウベルトだ。以後よろしく」



◆◇◆◇



 エルマと名乗る赤髪の女を連れて、黒蓮寺に着いたのは、すっかり夕焼けになった頃だった。

 三十六段の石段を昇って門を潜ると、そこには見慣れた黒蓮寺の姿があった。石畳の先には賽銭箱があり、その奥には本堂がある。右手には小さな道場があり、左手の奥には俺と師匠が住んでいる家があった。


 師匠はちょうど、本堂から家に向かおうとしているところだった。紫の法衣ではなく紺の作務衣を着ている。俺は「師匠、ただいま帰りました」と声をかけた。


「なんだてめえ。帰りが遅かったじゃねえか。何してたんだよ……進藤と秋草も久しぶりだな」


 僧侶とは思えない口の悪さ。しかし口調とは裏腹ににこにこと笑っている。

 作務衣を着ていても、はち切れんばかりの筋肉が分かる。顔は獅子のように凛々しくて恐ろしい。俺と同じく髪を剃っている。目の下の隈のせいでますます強面だ。


 師匠はゆっくりと俺たちに近づいて――エルマに気づく。

 にこやかな表情から一転して「おい、馬鹿弟子」とドスの利いた声を出す。


「女連れ込んで何しようと企んでいるんだ? あぁ?」

「ち、違げえよ! この人――エルマはあんたの客だよ!」


 指を鳴らしてこちらを鋭く睨む眼光は、まるで殺し屋かと思うくらい、迫力があった。

 進藤はこっそりと「相変わらず、おっかないですな」と呟いた。


「客? なんだそりゃ、俺はこの人知らねえぞ? ……ハロー? 日本語分かる?」

「ああ、分かる。少なくとも日常会話ぐらいは」

「そりゃあ良かった。それで……信念、エルマって言ったよな? エルマさんは何の用で俺に会いに来た?」


 エルマは俺をちらりと見て「彼らは何も知らないようだ」と前置きをした。


「きっと、あなたが隠しているのだと推察できる」

「……へえ。気を使ってくれているんだな」

「だから二人で話したい」


 師匠は「三人とも、家の中にいろ」と面倒臭そうに言う。

 よく分からなかったが、師匠の言いつけだからと「わ、分かった」と従う。


「ちょっと三人で料理作っているから。終わったら来てくれよ」

「おう……混ぜご飯、作っておけ」


 師匠は手をひらひら振った。好奇心はあったが、何も聞かないほうがいいなと思い、俺たち三人は家の中に入った。


 手洗いうがいを済ませた後、俺たちは台所で料理を作り始めた。

 俺と師匠は肉食できないので、きのこと野菜の料理を作ることにした。まずはパスタを茹でるか……


「エルマ殿、何者なんでしょうな」


 泡だて器で生クリームをかき混ぜながら、進藤は不思議そうに言う。

 魚を捌いている秋草も「よく分からないね」と応じた。


「高校か大学の卒業生と在学生の間柄にしては、どうもちぐはぐな感じするし」

「師匠は……男子高で仏教系の大学だから、接点は少なそうに思えるけどな」


 可能性があるとしたら、大学の留学生だが……こんな地方都市のさほど有名ではない寺にわざわざ用事があるとは思えない。


「留学生はありえませんな」

「どうしてだ?」

「だって先ほど『アメリカから来た』とエルマ殿は言っていたじゃないですか」

「あー、そうか。だったらエルマも卒業生か?」


 俺の説に秋草は「向こうは飛び級もあるから、一概には言えないけど」と言う。


「大学生って年齢には見えなかったな。私たちの一個か二個上だろう」

「外国人って年齢高めに見えるんだよなあ。でも秋草が言うなら間違いないか」


 炊飯器に混ぜご飯の素と具材を入れて、茹でたパスタと下ごしらえをしたきのこと野菜を炒める。


「仏教を学びに来た、高校生ですかな? いわゆるホームステイ?」

「それなら黒蓮寺くんに話行っていると思うよ」


 俺はエルマが何者かという進藤と秋草の話を黙って聞いていた。

 気になってしょうがないので、後で師匠に聞こうと思った――そのとき。

 がらりと台所のドアが開いて、師匠とエルマが入ってきた。


「師匠。まだ作り始めたばかり――」

「おう、信念。エルマちゃん、今日からうちに泊まるから」


 とんでもないことを言われたものだから、手に持っていた菜箸を落としてしまう。

 進藤も秋草もぽかんと口を開けた。


「師匠、マジですか?」

「だってよ。泊まるアテないって言うんだぜ? ていうか、なんでそんな豪勢な料理作ってんだ?」

「これは正義が守られた……そんなことはどうでもいいよ! 泊まるって……」


 エルマは俺に近づいて、落ちた菜箸を拾って手渡してきた。


「長居はしない。おそらく一週間ぐらいだと思う」

「は、はあ……って一週間!?」

「迷惑か?」


 迷惑というより当惑している。

 だが師匠が許したのなら、仕方ない……


「ま、まあ、一週間、こちらこそよろしくな」

「ああ、よろしく」


 エルマがにこりと笑ったのを見て、こいつ可愛い顔しているとここでようやく気づいた。

 そんな美少女と一週間暮らすと言うのはいかがなものかという考えは後から浮かんだ。

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