第4話赤髪の女
壺を割ったと知覚した瞬間、倉庫ががたがたと揺れ出した――まるで建物全体を揺すられている気分だった。俺たちは反射的に頭を伏せた。地震のときは下手に動くと危険だと分かっていた。
揺れが小さくなった頃合でゆっくりと立ち上がった。そのとき、スマホから緊急地震速報が流れ出す。毎回思うが終わった頃に流れたら意味が無いのだ。
「二人とも、大丈夫か? 怪我はないか?」
「イエス、怪我はないけど……」
「精神的に大きなダメージを負いましたな……」
進藤が真っ青な顔で割ってしまった壺の残骸を見つめている。床に破片が散らばっていて、取り返しのつかないことは重々分かった。これでは復元は無理だろう。
「その、ごめんなさい……私がつまずいたせいで……」
「お前だけが悪いんじゃねえよ。俺だってこけたんだから」
俺は正座して進藤に「ごめんなさい」と頭を下げた。
進藤は慌てて「い、いえ。お気になさらず!」と俺の肩に触れた。
「これは不慮の事故ですから……しかし、母さんになんと言えば……」
「そう、だよな。これ価値ありそうだったし」
「ノー、弁償とかできないよ」
三人で話し合っていると倉庫ががらりと開いた。
口から心臓が飛び出そうに驚きながら振り向くと、由紀さんが「大丈夫!?」と凄い勢いで入ってきた。
「みんな、怪我はない? ……ああ、良かった。無事みたいね」
「えっと、母さん。その……」
「きゃあ! それ――」
覚悟を決めて真実を打ち明けようと思った――しかし由紀さんは予想外のことを言った。
「地震で落ちちゃったの!? 嫌だわ、どうしよう……」
どうやら地震のせいで棚から落ちて割れたのだと勘違いしたようだ。
進藤が「実はそうなのです!」ととんでもないことを言い出した。
「いきなりの地震で、あっという間で、身を守るしかできなくて!」
「そうなの。でもいいわ。進ちゃんたちに怪我も無いようだから。後片付けはやっておくから……」
「ノー、由紀さん。ここは私たちでやりますから」
由紀さんは「ごめんね。なんだか悪いわあ」と言って、最後に怪我がないか確認して、倉庫から出て行った。良かった、勘違いの激しい人で。
「これで問題ありませんな! 良かった良かった」
「それでいいのか? なんか悪いな」
「きっと価値があると思うけど」
進藤は「割れてしまったものは仕方ないですから」とあっさりと言う。どうやら親に怒られずに済んだことに安堵しているらしい。
「さて。冷や冷やしたところでのどが渇きましたな。お腹も空きましたし、早く黒蓮寺殿の家に向かいましょう」
「そうだな。秋草、お前の料理、楽しみにしてるぜ」
「イエス、任せてくれ。材料はあるよね?」
考古学的に価値のある壺を割ってしまったというのに、俺たちはのん気なものである。
やいのやいの言いながら倉庫を出る――
『ふふふ……』
笑い声が倉庫からした気がした。
だが俺が一番最後だったので、誰もいるはずがない。
「……空耳か? それにしても不気味だったな」
「黒蓮寺殿? どうかなさいましたか?」
「うんにゃ。なんでもねえよ」
倉庫の扉が閉められて、鍵が重厚な金属音を立ててかかった。
これで一安心だな。
◆◇◆◇
そう言えば食材が少なかったことを思い出した俺は、家に戻る前に近所のスーパーで買い物をすることにした。そこは秋草もよく行くところで、パートのおばちゃん連中に「秋草ちゃん、今日も格好いいわねえ」と声をかけられまくった。
何でもスーパーのオーナーは秋草の養父の牧師さんと知り合いで、よくサービスしてくれるらしい。流石に孤児院の買い物ではないので、遠慮して断らせてもらった。秋草が今度買いに来るとみんなに言うと、おばちゃんたちは笑顔で喜んでくれた。
「ふひひ。人気者ですな。顔もさることながら、人徳もありますな」
「ノー、みんな私たちの事情を知っているからだよ」
「そんなに経営が危ないのか?」
秋草の孤児院は牧師さんが営んでいる。はっきり言って裕福ではない。
しかし秋草は「そんなことないよ」と首を横に振った。
「最近、新しい支援者も増えたし、寄付も多くなった。だから大丈夫」
表情と声からは無理をしているように思えなかったので、それならいいかと話を打ち切った。
「――そんなとこ知らねえけどよー。おねえさん、俺たちを遊ばない?」
「そうそう。きっと楽しいよ」
和やかに会話しながら、買い物袋を携えて歩いていると、コンビニの前で二人組の高校生が女に絡んでいた。あの制服は……籾井工業だな。地元の不良校だ。
女のほうはダークスーツにサングラス、燃えるような真っ赤な髪をしていた。年齢が若いように見える。肌が真っ白で日にあまり当たっていないような印象を受ける。
「…………」
「ねえねえ。黙ってないでさあ。一緒に遊ぼうよ」
女は無表情で高校生たちを見ていた。困っている風には見えないが、素振りからして立ち去りたい気持ちで一杯なのは明らかだった。
「お前ら、何してんの? 家の近所でナンパなんかすんなよ」
買い物袋を進藤と秋草に渡して、俺は籾井工業の不良に話しかけた。
二人はドスを効かせた顔で「あぁん? なんだあてめえ……」と威嚇する。
「こんなところにいないで、繁華街で女引っ掛けて、美人局に引っかかって、ヤーさんにぼこられてろよ」
「ざけんなよ。誰が……って、黒蓮寺信念!?」
「お、知ってんのか。俺のことを」
だがここで気になることが起きた。籾井工業の不良だけではなく、女のほうも反応したからだ。サングラスの奥から鋭い視線を感じる。
「知っているなら、さっさとどっか行け。聞いてた話と同じ目にあいたくねえだろ?」
「う、うるせえ! おい、みんな呼んで来い!」
一人がコンビニの中に入る――すぐに六人ほどの不良が出てきた。
全部で……八人か。
「はははは。運が悪かったな! これだけの人数で勝てると思うか?」
「……おねえさん。ちょっと離れてなよ。ていうかもう行っていいよ」
俺は指を鳴らして八人を睨みつける。
「おーい、黒蓮寺殿。加勢は必要ですか?」
進藤が声をかけてきたので、振り向くと奴はスタンガンを手にしていた。
秋草も首をぽきぽき鳴らす。
「いや、要らねえよ――」
「うおおおおお! 死ねこら――」
殴りかかる気配がしたので、俺は素早くその腕を取って、勢いのまま地面に投げ飛ばす。
アスファルトの地面に叩きつけられた不良は悶絶している。
「こいつら程度なら、一人で十分だよ。だって、喧嘩のけの字も知らなそうだから」
俺はゆっくりと怯え腰になっている、残りの七人に歩み寄った――
◆◇◆◇
「お、覚えていやがれ……」
数分後、そんな捨て台詞と共に籾井工業の不良が逃げ去る。息を整えながら、女はどっか行ったかなと周りを見渡すと、離れたところで立っていた。
「……あー、えっと。もう大丈夫だから。行っていいよ?」
「お前、黒蓮寺と呼ばれていたな?」
サングラスを外しながら、男みたいな口調で言う女――目の色が緑だ。
髪が真っ赤でも、染めているのだと思っていたので、外国人だという事実は面食らった。
「外国人? えっと、秋草、来てくれ」
「日本語は分かる。それよりも質問に答えろ」
進藤と秋草が近づいてくる。
俺は頬を掻きながら「えっと、黒蓮寺は俺の名字だけど」と答えた。
「それがどうかしたのか?」
「黒蓮寺の関係者なのか? 三好市にある大きな寺のだ」
「ああ、そうだ。俺はそこの修行僧だ。それがどうしたんだ?」
女は顎に手を置いて「偶然というものもあるのだな」と呟いた。
「ここまで来ると運命的だが」
「はあ? おいおい、どうかしたのかよ?」
「一つ、頼みたいことがある。黒蓮寺まで連れて行ってくれ」
女はにこりともせずに言った。
「住職の
それは確かに、黒蓮寺の住職の名前であり、俺の師匠の名前であり――俺を育ててくれている養父の名前だった。
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